井出丸山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井出丸山古墳
井出丸山古墳 全体(南から北向きに撮影)
所在地 静岡県沼津市井出丸山地先
位置 北緯35度08分54.689秒 東経138度47分36.669秒 / 北緯35.14852472度 東経138.79351917度 / 35.14852472; 138.79351917座標: 北緯35度08分54.689秒 東経138度47分36.669秒 / 北緯35.14852472度 東経138.79351917度 / 35.14852472; 138.79351917
形状 円墳
規模 墳丘直系15メートル
埋葬施設 石室
築造時期 6世紀後半
史跡 未指定
地図
井出丸山古墳の位置(静岡県内)
井出丸山 古墳
井出丸山
古墳
テンプレートを表示

井出丸山古墳(いでまるやまこふん)は、静岡県沼津市井出丸山地先にある円墳である[1]

概要[編集]

井出丸山古墳は茶園の改良工事の際に発見された。復元はされず発掘調査時の状態で残されている[1]。出土した耳環から、被葬者は少なくても3名で1回、ないしは2回追葬されたと推定されており、追葬された場合の築造年代は6世紀中葉、追葬がされていない場合は、6世紀末の築造と推定されている[2]

発掘の経緯[編集]

土地の所有者が元々この古墳の存在を知っており、茶園改良のためのこの土地の工事を考えていた。そのため、1992年(平成4年)3月に沼津市教育委員会と協議をした結果、発掘調査が行われた。当時は、既に所有者が地表から1メートルほど削平した状態であったため盛土が薄く、すぐ石室が検出された[3]

付近から石室の天井石と考えられる石や、裏こめ石と思われる河原石が発見された。1965年(昭和40年)頃、土地所有者の実弟が調査したところ、土器や斧、石鏃が出土したところから、縄文時代の遺物もあると推測された。1992年(平成4年)3月の試掘で古墳が1基であることが確認された[4]

規模[編集]

井出丸山古墳 案内看板

調査時点で削平を受けていた為、正確な大きさは不明。石室の位置から推測し、墳丘は直径15メートルほどと調査報告が上がっている[5]

石室[編集]

井出丸山古墳 石室
井手丸山古墳石室内

横穴式石室があり、は規模は下記の通り[1]

  • 長さ約6メートル
  • 幅約1メートル
  • 高さ約1メートル

天井石は付近に置かれてたが、部分的に石室上に残っている。入口には、閉そく石が詰められていた。奥壁は、2枚の岩を小口に合わせて積み重ねている。側壁は、3から4段積まれており、西側がやや広い[3]。石室閉塞部の前方に墓道があり、長さ4メートル、幅1メートルである。石室床石に続くものではなく、石室閉塞部に水平に近い状態であるが、現在では確認することが難しい状態である[1]

出土品[編集]

石室の表面には縄文時代早期の山形押型文土器片、須恵器甕破片、黒曜石片が飾られていた[6]。石室の中から以下のものが出土している[1]

耳環[編集]

6個3セットが出土した。

  • 長径約2.7センチメートル 短径約2.4センチメートル 銅芯の太さ約0.5センチメートル 重さ約10グラム[6]
  • 長径約3.3センチメートル 短径約2.9センチメートル 銅芯の太さ約0.8センチメートル 重さ約26グラム[6]
  • 長径約3.5センチメートル 短径約3.1センチメートル 銅芯の太さ約0.9センチメートル 重さ約33グラム[7]

管玉[編集]

碧玉製2個出土した[7]

  • 長さ約2.49センチメートル 径約0.91センチメートル 重さ約3.93グラム 片側穿孔約0.22センチメートル
  • 長さ約2.37センチメートル 径約0.75センチメートル 重さ約2.34グラム 片側穿孔約0.28センチメートル

切子玉[編集]

水晶製が4個出土した。

  • 長さ約1.18〜2.43センチメートル 径約1.16〜1.49センチメートル 重さ約2〜6.14グラム 片側穿孔径0.35〜0.39センチメートル[8]

ガラス玉[編集]

青または緑色13個(小玉7点内1点は粉砕、臼玉4点、丸玉2点)出土した[7]

  • 小玉 大きさ約0.22〜0.27センチメートル
  • 臼玉 大きさ約0.3〜0.48センチメートル
  • 丸玉 大きさ約0.31〜0.43センチメートル

有孔砥石状石製品[編集]

黄白色が1個出土した[7]

  • 長さ約5.97センチメートル 幅約2.22センチメートル 厚さ約1.16センチメートル 重さ約24グラム 穿孔径約0.38センチメートル

須恵器[編集]

2点出土した[7]

  • 坏蓋 黄灰色 口径約14.2センチメートル 器高約4.3センチメートル 焼き切れていない状態で石室内から発見されている。
  • 坏身 明灰色 口径約12.9センチメートル 最大径15.2センチメートル 器高3.8センチメートル 外面底部は回転ヘラケズリにより平底となっている。

鉄刀、鉄鏃[編集]

  • 鉄刀1振と鉄鏃1本は発掘時には確認されているが、調査終了後に紛失している[7]

現地情報[編集]

所在地

関連施設

  • 沼津市文化財センター -井出丸山古墳出土品を保管

周辺

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『沼津市史 資料編 考古』2002年 沼津市史誌編纂委員会 沼津市教育委員会編 P351
  2. ^ 沼津市文化財調査報告書第55集『大谷津・井出丸山古墳発掘調報告書』1994年 沼津市教育委員会編 170ページ
  3. ^ a b 沼津市文化財調査報告書第55集『大谷津遺跡・井出丸山古墳発掘調査報告書』沼津市教育委員会 1994年 158ページ
  4. ^ 沼津市文化財調査報告書第55集『大谷津遺跡・井出丸山古墳発掘調査報告書』1994年 151ページ
  5. ^ 沼津市文化財調査報告書第55集『大谷津遺跡・井出丸山古墳発掘調査報告書』1994年 沼津市教育委員会
  6. ^ a b c 沼津市文化財調査報告書第55集『大谷津遺跡・井出丸山古墳発掘調査報告書』沼津市教育委員会 1994年 165ページ
  7. ^ a b c d e f 沼津市文化財調査報告書第55集『大谷津遺跡・井出丸山古墳発掘調査報告書』沼津市教育委員会 1994年 169ページ
  8. ^ 沼津市文化財調査報告書第55集『大谷津遺跡・井出丸山古墳発掘調査報告書』沼津市教育委員会 1994年 168ページ

外部リンク[編集]