井上正兼

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井上 正兼(いのうえ まさかね、文政6年(1823年)8月 - 明治11年(1878年8月7日)は、常陸下妻藩の第13代藩主。井上家宗家当主である遠江浜松藩主・井上正甫の八男。正室は飯田氏。子は井上正巳(次男)。官位は従五位下、伊予守。幼名は門次郎。初名は時季。

安政3年(1856年)9月10日、先代藩主で甥の正信の死去により、下妻井上家へ養子入りして家督を相続した。同年11月15日、将軍徳川家定に拝謁する。同年12月16日、従五位下・伊予守に叙任する。元治元年(1864年)、水戸藩天狗党の乱の鎮圧に当たったが、逆に天狗党に攻撃されたため下妻陣屋を自焼して逃れた。慶応2年(1866年)11月23日、次男の正巳に家督を譲って隠居し、明治11年(1878年)8月7日に56歳で死去した。墓所は東京都台東区谷中霊園

系譜[編集]

父母

正室

  • 喜代 ー 飯田与四郎の娘

子女

  • 井上孝丸(長男)
  • 井上正巳(次男)生母は喜代(正室)