井上八重吉

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井上八重吉

井上 八重吉(いのうえ やえきち、元治元年7月2日[1]1864年8月3日) - 昭和6年(1931年12月27日[2])は、日本の衆議院議員立憲政友会→交友倶楽部)。弁護士

経歴[編集]

相模国高座郡座間村(現在の神奈川県座間市)に内藤甚左衛門の三男として生まれ、井上利助の養子となった[1][3]1881年明治14年)、神奈川県師範学校に入り、卒業後は小学校訓導を務めた[4]。その後、東京法学院(現在の中央大学)に入り、1890年明治23年)に卒業した[2]。同年、高等文官試験に合格[1]。司法官試補、横浜区裁判所検事代理、八王子区裁判所検事、同判事、高崎区裁判所判事、横浜地方裁判所判事を歴任した[4]1898年(明治31年)、退官して横浜市で弁護士を開業した[1]。その他に破産管財人を務めた[2]

1903年(明治36年)、第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

脚注[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。