久野宗晴

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久野 宗晴(くの むねはる、慶長14年(1609年) - 慶安2年(1649年))は、紀州藩田丸城代家老久野家2代当主。

父は紀州藩田丸城代久野宗成。正室は山本正春の娘。子は久野宗俊通称は外記。官位は従五位下。

経歴[編集]

慶長11年(1606年)、田丸城代久野宗成の子として生まれる。寛永2年(1625年)、父が死去する。翌寛永3年(1626年)、家督と知行1万石を相続して田丸城代となり、藩主徳川頼宣に仕える。正保3年(1646年)、従五位下に叙任、外記と通称を改める。慶安2年(1649年)、田丸城の天守が大雨で倒壊する。以後、天守が再建されることはなかった。同年に病死、享年41。家督は嫡男の宗俊が相続した。

参考文献[編集]

  • 池山始三著「田丸郷土誌」

関連項目[編集]