久保勝正

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久保勝正
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文17年(1548年
死没 元和4年3月16日1618年4月11日
別名 勘次郎、平左衛門
戒名 日道、日浄
墓所 妙行寺
幕府 江戸幕府
主君 織田信雄徳川秀忠
父母 久保勝近
沢井雄重の妹
勝行勝房勝重勝氏勝成、林勘兵衛室、七右衛門
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久保 勝正(くぼ かつまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将

略歴[編集]

当初は織田信雄に仕える。天正12年(1584年小牧・長久手の戦いでは黒田城を守って高名があった。のち尾張北方を守る日下部左近と黒田城の沢井雄重が不和となるとその和親に尽力する。天正18年(1590年)信雄が改易となると、信雄から暇を出されて剃髪する。のち豊臣秀吉、次いで徳川秀忠に仕えて大番頭となり、上総山辺周准郡内に700石を領した。慶長5年(1600年関ヶ原の戦いに従軍。慶長20年(1615年大坂夏の陣では伏見城を守備した。

参考文献[編集]