中野慶子

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中野 慶子
生誕 (1937-12-08) 1937年12月8日(86歳)
出身地 日本の旗 日本 長野県松本市
学歴 学習院大学文学部英米文学科卒業
職業 歌手
事務所 有限会社宮崎音楽事務所
(2003年時点)

中野 慶子(なかの けいこ、1937年12月8日 - )は、日本歌手長野県松本市生まれ。テレビ番組『うたのえほん』(後の『おかあさんといっしょ』)にて、眞理ヨシコ(当時は真理ヨシコ)とともに初代「うたのおねえさん」を務めた。本名︰宮崎慶子。

来歴[編集]

子どもの頃、NHK松本児童合唱団に所属していた。地元の長野県松本深志高等学校卒業後、学習院大学文学部英米文学科に進学し、在学中の1958年にNHK俳優養成所第1期生となった。養成所ではソプラノ歌手の関種子、坂本芳子に、大学卒業後は作曲家磯部俶に師事した。養成所卒業後、卒業メンバーで「劇団三十人会」を設立。

1960年11月、ラジオドラマ『渦潮』の主演を務め、芸術祭奨励賞を受賞。1961年4月から1964年9月までの3年半、「うたのおねえさん」として『うたのえほん』に出演した。1961年10月、テレビで「いぬのおまわりさん」を初めて歌いヒット、彼女の代表作となった。その後、NHKで作曲家の宮崎尚志と出会い、1964年に結婚。その後もタレント活動を続け、1967年、次男(宮崎道)の出産を機に芸能界を引退した。

1980年に仕事を再開し、1987年に宮崎音楽事務所を設立。歌手やプロデューサーとして活動し、子どもの音楽に関するイベントなどに出演している。

2019年に80歳で終活を始めた。

コンサート[編集]

  • 1996年まで、コンサートをしていることが明らかになっている[1]
  • 2005年 デビュー45周年コンサートを開催した[2]
  • 2014年 中野慶子&りぼんコンサートを開催している[3]

ディスコグラフィー[編集]

シングル
  • 僕は涙をこぼさない/子もりうた(1965年、キングレコード、BS-322)[4]
  • おひさまにこにこ(キングレコード、EC-210)※B面はキングオーケストラの「みつばちとくまんばち」。
  • お山の交通ごっこ/あかるい花ぞの(キングレコード、ED-171)※「お山の交通ごっこ」は友竹正則楠トシエと共演。
EP
  • 『うたのえほん』関連
    • ママとかけっこ/やくそく/カンガルーのかあさん/いちょうのはっぱ(東芝レコード、JB-1048)
    • おもちゃのチャチャチャ/みちゃった みちゃった/海賊のうた(東芝レコード、JB-1050)
    • あくしゅでこんにちは/めだか/リス リス コリス/はなび と ほし(東芝レコード、JB-1053)
    • 夜のおもちゃ/おくつのうた/ぼくのゆめ/べんりだな(東芝レコード、JB-1054)
    • 犬のおまわりさん/はまべの貝がら/トマト/知らない子(東芝レコード、JB-1055)
    • あたらしいうち/そらにてんてんおほしさま/どんぐりダンス/アヒルのスリッパ(東芝レコード、JB-1057)
アルバム
  • 世界の有名な子どものうた(1967年、キングレコード、SKK(H)-326)
  • デビュー45周年記念盤(2005.9リリース)「歌集」[5]

家族[編集]

『うたのえほん』同期[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 作品歴/中野慶子コンサート”. sogaku.com. 2019年6月27日閲覧。
  2. ^ スカッとさわやかコカコーラ宮崎尚志(1934~2003)とそれ行けカープ 名曲の影にこの人あり 今明かされるエピソード - 魔法のiらんど”. s.maho.jp. 2019年6月27日閲覧。
  3. ^ 『中野慶子&りぼんコンサート』”. 徒然ぱんだ ~ダウン症★育児日記~. 2019年6月27日閲覧。
  4. ^ 宮崎尚志ディスコグラフィー、SOGAKU.com - 2021年7月24日閲覧。
  5. ^ Peter Michi Miyazaki Official Website”. sogaku.com. 2019年6月27日閲覧。

参考資料[編集]

  • 『毎日新聞』東京夕刊 1991年7月12日 7面