中野二郎三郎

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中野 二郎三郎(なかの じろさぶろう、1853年4月11日嘉永6年3月4日) - 1918年9月4日[1])は日本自由民権運動家。

明治維新前は亀岡藩士であった[1]。維新後は滋賀県で警部となる。1880年静岡県浜松で私塾を開き、1882年に遠陽自由党常議員となった。静岡事件により1886年に逮捕されて懲役14年の判決を受け、1897年に特赦で釈放された[1][2]

遠陽自由党[編集]

浜松初の政治結社で、静岡(現・静岡県東部)に創立された岳南自由党に対抗し、1882年に結成された[3]。母体は遠州出身の県会議員29名より成る同盟会で、党員には中野のほか、沢田一朗沢田寧鈴木貫之らがいたた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 中野二郎三郎 - デジタル版 日本人名大辞典plus(コトバンク
  2. ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和 - コトバンク
  3. ^ a b 遠陽自由党 浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ、浜松市史 三