中条信礼

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中条 信礼 (ちゅうじょう のぶのり、文化9年(1812年)- 没年不詳)は、江戸時代高家旗本。父は中条信徳。通称は兵庫、桜翁。官位は従四位上侍従左衛門督

文政12年(1829年)12月1日将軍徳川家斉御目見する。文政13年(1830年3月19日家督を相続する。天保6年(1835年)12月24日高家職に就任し、従五位下侍従・山城守叙任する。後に中務大輔に改める。嘉永3年(1850年)12月20日高家職を辞職する。高家末席に列する。安政2年(1855年)3月26日隠居し、養子信汎(実父戸沢正令)に家督を譲る。安政3年(1856年)6月25日惣髪を許可されて、桜翁と称する。文久2年(1862年)12月1日再び高家職に就任する。中務大輔を称し、後に左衛門督に改める。文久3年(1863年)3月従四位下に昇進し、同年5月30日高家肝煎に就任する。元治元年(1864年)4月18日従四位上に昇進する。慶応4年(1868年)2月19日高家肝煎を辞職する。

王政復古後朝廷に早期帰順して朝臣に転じて中大夫席に列する。明治元年11月に藩列請願書を出しているが、不許可となっており同家は華族にはなれなかった。明治3年1月5日に諸陵権頭に任じられる。同年11月に旧位が廃止されたことで従四位上の官位は失効し、改めて従六位に叙されたが、その後の動向は不明[1]

脚注[編集]

  1. ^ 松田敬之 2015, p. 457-458.

参考文献[編集]

  • 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724 
先代
中条信徳
高家中条家第7代当主
1830 - 1855
次代
中条信汎