三雲四郎

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みくも しろう

三雲 四郎
生誕 (1921-07-28) 1921年7月28日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (2007-01-11) 2007年1月11日(85歳没)
東京都
死因 肺炎
出身校 慶應義塾大学経済学部
職業 ジャーナリスト
子供 三雲孝江
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三雲 四郎(みくも しろう、1921年(大正10年)7月28日 - 2007年(平成19年)1月11日[1])は、日本ジャーナリスト産業経済新聞社取締役論説委員長。

来歴・人物[編集]

鹿児島県出身[1]学徒出陣後に復学し[2]慶應義塾大学経済学部を卒業。

「自分はペンで生活していきたい」と[2]、1946年産業経済新聞社に入社[3]。本社経済部長や編集局次長、外信記者としてロンドン特派員、パリ支局長、欧州総局長を務めたほか[3][4]、論説委員長も担った[2]。娘・孝江も小学2年の夏から小学6年までロンドンで過ごしたという。

1971年に東京都公害審査委員会委員に就任し[5]、1983年3月まで務めた。

2007年1月11日、肺炎のため東京都内の病院で死去[1]。85歳没。葬儀・告別式は近親者のみで行われた[1]

家族・親族[編集]

娘は、フリーアナウンサーの三雲孝江(元TBSアナウンサー[1]、孫はNHKアナウンサーの星麻琴[6][7]。TBS関連会社プロデューサーの星勝幸(孝江の夫)は娘婿にあたる。

脚注[編集]