三谷晃代

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三谷 晃代
生誕 (1959-10-08) 1959年10月8日(64歳)
出身地 日本の旗 日本 北海道江別市
ジャンル 歌謡曲
ポップ・ミュージック
職業 歌手
活動期間 1976年 - 1980年
2016年 -
レーベル 東芝EMI
事務所 ホリプロ

三谷 晃代(みたに てるよ[1][2]1959年10月8日[1][3] - )は、主に1970年代後期から1980年頃に活動していた日本歌手、元タレント。愛称はテッチ[4]

ホリプロに所属していた[1][3]

来歴・人物[編集]

北海道江別市出身[4][1][3]1975年6月に地元北海道の歌謡学院に通い始める[1]。そこでの3回目のレッスンの時にフジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』の出場者を捜しに来ていた千家和也浜圭介(二人とも同番組で審査員を務めていた)に誘われ同番組に出場、そこでスカウトされ芸能界入り[1]1976年11月5日発売のシングル『絶交』で歌手デビュー[3][2]。デビュー翌年の1977年に上京し[3]堀越高等学校に転校[4]。レコードリリースは1977年を最後にストップするが、その後も女優などの活動は継続。1980年頃に活動を停止するが、2016年12月21日にアルバム『想い出のファースト・キッス』がCDとして再発売されたのをきっかけに、ライブ活動を再開。

身長156cm[3]。クリっとした目がトレードマークといわれていた[1]。中学3年間の部活はバスケットボール[1]、この他にバレーボールも好きなスポーツだった[3]。デビュー当時、趣味はペナント集めで全国各地のものを200枚持っていると話していたことがある[1]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

発売日 レーベル タイトル 作詞 作曲 編曲
1976年11月5日 東芝EMI A 絶交 千家和也 佐瀬寿一 船山基紀
B 天使の涙は雨になる
1977年3月5日 A 友達の恋人
B 転校
1977年5月20日 A ひい・ふう・みい 島武実 実川俊 矢野立美
B あいつ
1977年10月5日 A 想い出のファースト・キッス 浜田省吾 渡辺エジソン
B ボーイ・フレンド

アルバム[編集]

想い出のファースト・キッス」(1977年11月5日/LP:TP-72280)

  • SIDE A
  1. 想い出のファースト・キッス
    作詞:浜田省吾/作曲:浜田省吾/編曲:渡辺エジソン
  2. 転校
    作詞:千家和也/作曲:佐瀬寿一/編曲:船山基紀
  3. 恋は1/4オンス
    作詞:島武実/作曲:佐瀬寿一/編曲:船山基紀
  4. 友達の恋人
    作詞:千家和也/作曲:佐瀬寿一/編曲:船山基紀
  5. 七月のバレンタイン
    作詞:高田ひろお/作曲:山中宣正/編曲:あかのたちお
  6. あいつ
    作詞:島武実/作曲:実川俊/編曲:矢野立美
  • SIDE B
  1. 絶交
    作詞:千家和也/作曲:佐瀬寿一/編曲:船山基紀
  2. ボーイ・フレンド
    作詞:浜田省吾/作曲:浜田省吾/編曲:渡辺エジソン
  3. ニャンコの書いたラブレター
    作詞:高田ひろお/作曲:佐瀬寿一/編曲:船山基紀
  4. 夏の浜辺
    作詞:高田ひろお/作曲:山中宣正/編曲:あかのたちお
  5. 天使の涙は雨になる
    作詞:千家和也/作曲:佐瀬寿一/編曲:船山基紀
  6. ひい・ふう・みい
    作詞:島武実/作曲:実川俊/編曲:矢野立美

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

バラエティ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 明星集英社)1976年12月号 p.126「11月のニュー・アイドル」
  2. ^ a b GORO小学館)1977年2月24日号 p.204「ニュー・アイドルの大学めぐり」
  3. ^ a b c d e f g 週刊ポスト 1980年2月1日号 本人グラビアページ。
  4. ^ a b c 週刊プレイボーイ 1977年1月18日・1月25日号 217頁(最終ページ)『この顔歌手に見えますか?三谷晃代(東芝EMI)』

外部リンク[編集]