三祖寺

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三祖寺
三祖寺の位置(中華人民共和国内)
三祖寺
中華人民共和国における位置
基本情報
所在地 中華人民共和国の旗 中国安徽省安慶市潜山市天柱山
座標 北緯30度40分18秒 東経116度30分08秒 / 北緯30.67167度 東経116.50222度 / 30.67167; 116.50222座標: 北緯30度40分18秒 東経116度30分08秒 / 北緯30.67167度 東経116.50222度 / 30.67167; 116.50222
宗教 仏教
宗派 禅宗
建設
様式 中国建築
創設者 宝志
創設 505年
完成 1944年(再建)
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三祖寺(さんそじ)は、中華人民共和国安徽省安慶市潜山市天柱山にある仏教寺院。またの名は山谷寺と乾元禅寺という。

歴史[編集]

南朝宋泰始元年(465年)、宝志がその山秀地霊を喜び、結庵して居した。南朝梁天監4年(505年)に宝志により創建された。当時は菩提庵と称した。大同2年(536年)、武帝蕭衍により「山谷寺」の名を賜った。

開皇10年(590年)、禅宗の五祖の僧璨は寺院に来て仏法を発揚する。

天宝4載(745年)、舒州別駕李常は仏塔を建て僧璨の舎利子をまつった。乾元元年(758年)、粛宗により「三祖山谷乾元禅寺」の名を賜った。大暦7年(772年)、代宗により「覚寂塔」の名を賜った。会昌年間、武宗会昌の廃仏を発動し、寺院の宗教活動は中止に追い込まれた。大中元年(847年)は寺院を重修した。

北宋天聖6年(1028年)、章献明粛皇太后が出資して資寿塔を建てた。

宣徳元年(1426年)、住職の普聚が伽藍を整備した。成化年間、潘鑒が先頭に立って出資し、寺院を修復。崇禎8年(1635年)、張献忠の兵火で焼失した。

康熙乾隆年間、破暗と智海は資金を集めて寺を再建した。咸豊10年(1860年)、太平天国の乱の火難で寺は全焼した。

1944年、住職の月海は寺院再建した。

1983年、中華人民共和国国務院は仏寺を漢族地区仏教全国重点寺院に認定した。

主な住僧[編集]

  • 宝志(開山)
  • 僧璨(隋)
  • 道信(隋)
  • 智岩(唐)
  • 湛然(唐)
  • 釈宏行(中華人民共和国)
  • 釈寛容(中華人民共和国)

伽藍[編集]

山門、天王殿、鐘楼、鼓楼、大雄宝殿、千仏殿、祖師殿、覚寂塔、地蔵殿、法堂、尊客堂、五観堂、蔵経閣

参考文献[編集]