三条公俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三条公俊
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 建久5年(1194年
死没 不詳
改名 公俊→真空(法名)
別名 知足院
官位 従二位非参議
主君 土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 三条家
父母 父:三条実房、母:藤原経宗の娘
兄弟 公房姉小路公宣正親町三条公氏、公兼、公俊、覚実、公円、覚教、公恵、公深、公豪、公誉、徳大寺公継室、女御代
藤原親能の娘
実清、公為、実為、実仲、公秀、俊誉、女子、阿古ら
テンプレートを表示

三条 公俊(さんじょう きんとし)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿三条家3代、左大臣三条実房の子。官位従二位非参議

経歴[編集]

藤原頼実の猶子となる。

正治2年(1200年)1月5日に従五位下となる。元久2年(1205年)8月9日左少将となり、下野権介加賀介を経て、建暦2年(1212年)1月に左中将に任ぜられる。

建暦3年(1213年)4月に正四位下、建保6年(1218年)1月に従三位(左中将を辞す)、承久4年(1222年)1月に正三位、寛元2年(1244年)に従二位に任ぜられる。建長3年(1251年)9月に出家し法名を真空とした。

系譜[編集]

出典[編集]

  • 角田文衛『日本の女性名』、国書刊行会、2006年
  • 橋本政宣編『公家事典』、吉川弘文館、2010年