ワイルドモア

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ワイルドモア
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1966年3月8日
死没 1983年3月15日
ヒンドスタン
ジェッタ
母の父 Nasrullah
生国 日本北海道浦河町
生産者 幌別牧場
馬主 吉原貞敏
調教師 尾形藤吉東京
競走成績
生涯成績 22戦7勝
獲得賞金 5838万3000円
勝ち鞍
八大競走 皐月賞 1969年
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ワイルドモア日本競走馬。おもな勝ち鞍は、皐月賞弥生賞スプリングステークス

尾形四天王(ほかはミノル朝日杯3歳ステークス)・ハクエイホウ日本短波賞)・メジロアサマ天皇賞安田記念))の一頭で、それ以外の同期にはダイシンボルガード東京優駿)・アカネテンリュウ菊花賞)・トウメイ(天皇賞・有馬記念)・リキエイカン(天皇賞)らがいる昭和44年(1969年)世代。

戦績[編集]

中央競馬で競走生活を送る。2戦目こそ5着敗退したとは言え、デビュー戦大差勝ちと3歳(当時表記)から非凡なところを見せ、尾形四天王と呼ばれた中で一歩リードしてクラシックに臨んだ。皐月賞を森安重勝騎手の巧みな逃げで優勝。だが骨折で後のクラシックを棒に振った。弥生賞・スプリングステークスにも勝利し、500キログラムを超す雄大な馬格から「天馬の逃げ」と評された。骨折休養明けは、クモハタ記念で3着入着以外は重賞舞台で思う様に好成績を挙げられず、引退直前に700万円条件のUHB賞を勝った以外は勝ち鞍を稼げずじまいであった。骨折自体は完治していたが、精神面の後遺症からか往時の輝きはすでになかった。

引退後[編集]

引退後はヒンドスタンの後継種牡馬として、供用先の青森県ではそこそこの人気を博した。中央競馬で成功した馬はいないものの、地方競馬で活躍馬(デンタルプリンス・リュウイソー・アサヒテルヒカリ)を輩出していたこともあり、種付け件数は毎年50頭前後と競走実績の割には多い方である。そのワイルドモアもアクシデントには勝てず、1983年3月15日に頚椎骨折のためこの世を去った。

血統表[編集]

ワイルドモア血統ボワルセル系 / Udanipur (Umidwar) 3×3=25.00%、Solario3×5=15.63%、Pharos5×4=9.38%(母内)) (血統表の出典)

*ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛
父の父
Bois Roussel
1935 黒鹿毛
Vatout Prince Chimay
Vasthi
Plucky Liege Spearmint
Concertina
父の母
Sonibai
1939 鹿毛
Solario Gainsborough
Sun Worship
Udaipur Blandford
Uganda

*ジェッタ
Jetta
1960 鹿毛
Nearula
1950 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Respite Flag of Truce
Orama
母の母
Jet Plane
1946 鹿毛
Umidwar Blandford
Uganda
Light Velocity Pharos
So Quick F-No.1-p

半妹アサヒタマナーの子にアサヒエンペラー、曾孫にアサヒライジングがいる。

外部リンク[編集]