レフ・コニュス

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レフ・エドゥアルドヴィチ・コニュス
アントン・アレンスキーのクラスメートと(コニュス(左)、ニキータ・モロゾフ、ラフマニノフ
基本情報
生誕 (1871-04-26) 1871年4月26日
出身地 ロシアの旗 ロシアモスクワ
死没 (1944-01-18) 1944年1月18日(72歳没)
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト・音楽教育家・作曲家
担当楽器 ヴァイオリン

レフ・エドゥアルドヴィチ・コニュスロシア語: Лев Эдуа́рдович Коню́с; ラテン文字転写の例:Lev Eduardovich Conus, 1871年4月26日1944年)は、ロシアピアニスト・音楽教育家・作曲家

経歴[編集]

1871年生まれ。モスクワ音楽院に学び、アントン・アレンスキーの作曲科上級クラスでセルゲイ・ラフマニノフと同級になる。1918年まで母校のピアノ科の主任教授を務めた。ソビエト政府を嫌って1921年パリに亡命し、その後パリ市内のロシア音楽院(現在はラフマニノフ音楽院に改称)で教鞭を執る。最終的に1935年アメリカ合衆国に行き、73歳で他界するまで、オハイオ州シンシナティで教育活動に携わった。

スクリャービンの《神聖な詩》と《法悦の詩》をピアノ4手用に編曲したことで名を遺した。

家族親族[編集]

ゲオルギー・コニュスおよびユーリ・コニュスの弟。

脚注[編集]