レオンハルト・カウピッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レオンハルト・カウピッシュ
Leonhard Kaupisch
生誕 1878年9月1日
ドイツ帝国
ザクセン州ビターフェルト
死没 1945年9月26日
占領下ドイツ
ヴァイマル
所属組織  ドイツ帝国陸軍
 ヴァイマル共和国軍
 ドイツ国防軍空軍
 ドイツ国防軍陸軍
軍歴 1898 – 1942
最終階級 航空兵大将
砲兵大将
テンプレートを表示

レオンハルト・カウピッシュ:Leonhard Kaupisch、1878年9月1日 - 1945年9月26日)は、ドイツ陸軍軍人空軍軍人。最終階級は空軍航空兵大将、陸軍砲兵大将第二次世界大戦中、デンマークで軍の指揮をとったことで知られている。

経歴[編集]

入隊から[編集]

彼は1898年ドイツ帝国陸軍に入隊し、1899年少尉に昇進した。1907年から1909年までリヒターフェルデの軍学校で訓練したのち中尉に昇進。1911年からはベルリン参謀本部に従事し、1914年大尉に昇進した。

第一次世界大戦[編集]

第一次世界大戦では参謀本部で働き、徐々に功績をあげ1917年に少佐へと昇進した。同時期に二級鉄十字章ホーエンツォレルン家勲章を受賞している。

戦間期[編集]

第一次世界大戦の後、彼はヴァイマル共和国軍へ入隊し、1923年に第7砲兵連隊司令官へ就任、同年中佐へと昇進した。1927年大佐へと昇進した彼はユーターボークの砲兵学校へ異動になった。彼は1932年に中将へ昇進するまで砲兵学校勤務を続けた。

1934年4月1日ドイツ国防軍空軍へと転属した彼は、1935年12月に航空兵大将へ昇進。1938年3月末に一度空軍から離れるも1939年前半には陸軍に復帰した。

第二次世界大戦[編集]

1939年9月半ば、彼はダンツィヒ=西プロイセン帝国大管区の軍政長官に任じられた。

1939年11月、第1国境警備司令部が軍団司令部格の第31高級司令部(Höheres Kommando z.b.V. XXXI)に改組されると、カウビッシュはその司令官となった。この司令部は1940年4月9日ヴェーザー演習作戦において、デンマークの占領を指揮した(デンマーク占領作戦はWeserübung Südとも呼ばれ、ヴェーザー演習作戦の一部である)。彼は、ドイツ軍機がデンマークにばらまいた投降勧告を呼びかけるビラOPROP!英語版に署名している。

1940年4月12日から6月1日までデンマーク占領軍司令官として勤務し、その後は司令部とともにフランス侵攻作戦に参加した。1940年9月、砲兵大将に昇進。1942年4月10日に軍を退役するまで、そのままフランス占領部隊の一部を率いた。

戦後[編集]

第三帝国の終焉を悟った彼は、家族とともにベルリン・ウエストエンドへ移り、ヴァイマルの南10キロほどの温泉街バート・ベルカで静かに過ごした[1]。彼が移った直後の1945年5月、ドイツは降伏し、都市は次々とアメリカ軍に占領されたが、ヴァイマルはソ連軍に占領された。その夏、彼が退役した軍人であり、終戦まで平和な私生活を送っていたことに気が付いたデンマークのジャーナリストから取材を受けた[2]。即座に彼はソ連軍に逮捕され、ヴァイマルの焼けるような暑さの中を歩かされた。収容所の手荒い対応もあり彼の体調は悪化していき、1945年9月26日、妻の介抱むなしく彼は収容所で死去した[1]

叙勲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Letter Archived 2014年2月28日, at the Wayback Machine. Margarete Oldenburg to Heidi Teckenberg from 1 October 1976 at the Kaupisch family website. (Retrieved 24 February 2014).
  2. ^ Haller, Virginia: Neumond über Kopenhagen. Bergstadtverlag Korn, Munich 1961, p. 56.

参考文献[編集]

  • Kaupisch, Leonhard” (German). lexikon-der-wehrmacht.de. 2009年5月10日閲覧。
  • Kaupisch”. generals.dk. 2009年5月10日閲覧。

関連項目[編集]