ラクソール (サマセット)

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ラクソール
石造りの四角い塔が奥に建つ。手前には墓地が広がる
全聖人教会 (ラクソール)英語版
ラクソールの位置(サマセット内)
ラクソール
ラクソール
サマセットにおけるラクソールの位置
英式座標
ST495715
教区
単一自治体
セレモニアル・カウンティ
リージョン
構成国イングランドの旗 イングランド
イギリスの旗 イギリス
郵便地域BRISTOL
郵便番号BS48
市外局番01275
警察エイヴォン・アンド・サマセット
消防エイヴォン
救急医療グレート・ウェスタン
欧州議会サウス・ウェスト・イングランド
英国議会
  • ウッドスプリング (en
    →ノース・サマセット (en(次回の国政選挙から適用)
場所一覧
イギリス
イングランド
サマセット
北緯51度26分25秒 西経2度43分41秒 / 北緯51.4402度 西経2.728度 / 51.4402; -2.728座標: 北緯51度26分25秒 西経2度43分41秒 / 北緯51.4402度 西経2.728度 / 51.4402; -2.728

ラクソール: Wraxall)は、イングランドサマセットノース・サマセットにある村でブリストルの西6マイル (10 km)に位置する。1811年までは同じ名前の行政教区に、ネイルシー英語版フラックス・ボートン英語版も含まれていた。現在はラクソール・アンド・フェイランド英語版行政教区に含まれている。

歴史[編集]

ラクソールという名前は、サマセットだけでなく近隣のウィルトシャードーセットにも見られるが、「ノスリが頻繁に訪れる人里離れた場所」(: "a nook of land frequented by buzzards")というのが語源と考えられている[1]

川岸の土手や水路で囲まれた楕円形の防御用土塁は、400メートル (1,300 ft)南にある荘園農園を守るために作られた、鉄器時代の防御施設とされている[2]

ラクソール・コート(英: Wraxall Court)は、この地区の元々のマナー・ハウスである。イングランドのノルマン征服が起こった後、荘園はデ・ロックシェール家(英: The De Wrokeshale family)の所有となり、結婚によってモアヴィル家(英: The Moreville family)・ゴージズ家英語版へと受け継がれた。ラクソールの教区はポートベリー英語版ハンドレッド英語版の一部だった[注 1][4]ヴィクトリア朝には、フォード家がラクソール・コートに入居していた。第二次世界大戦中にコートは海軍本部に接収され、後にブリストル大学学生寮に作り替えられた[1]

さびれた中世の集落から続く土塁は、ラクソール・ハウスから300メートル (980 ft)東南東の位置にあるが、これは家や囲い (Enclosureの存在を指し示すもので、中世には水車小屋があった可能性も指摘されている[5]

ノース・サマセットを流れる川、ランド・ヨー英語版[注 2]には、ウォータークレス・ファーム(英: Watercress Farm)に1基だけ水車が設置されている。1885年以前に建てられ、小さなレンガ小屋に納められたこの水車は、直径6フィート (1.8 m)で、ポンプとして利用されている。18世紀から19世紀にかけては、ラクソール教区に別の水車もあったが、1885年までに使用されなくなり、1950年までに荒廃している。この水車は、道路を拡張しラクソール・スコア(英: Wraxall Score)を直線化するため、1961年に取り壊された[6]。現在ではラクソール・ハウスの入り口に壊れた壁だけが残されている[7]

「ザ・ロックス」(英: "The Rocks")として知られる地区は、バトルアクシズ(英: The Battleaxes)からフェイランド英語版まで広がっており、地元原産の建築用石材、魚卵状英語版礫岩の採石場が数多く存在する[1]。フェイランドにはかつて支聖堂英語版があったが[注 3]、現在ではヴィクトリア朝の教会・聖バーソロミュー教会が別に建っている。

バトルアクシズ・フリー・ハウス(英: The Battleaxes free house)は、1838年に建てられ、現在ではグレードII(第2級)指定建築物 (listed buildingとなっている。また以前は「ウィディクーム・アームズ」(英: The Widdicombe Arms)として知られていた。この建物は、元々ティンツフィールド地所の労働者向けに、集会場として作られたものだった[9][10]

ラクソール・ヒル(英: Wraxall Hill)がブリストル・ロード(B3130号線)と交わる小さな三角地には、かつてラクソール・クロス・ツリー(英: Wraxall Cross Tree)と呼ばれた大きなニレの木が建っていた。元々の木にはうろが出来てしまい、地元の子供たちはその中を登って遊んでいた。木は次第にニレ立枯病に屈し、1977年5月に倒木した[11]。ラクソール・スクールは、木がウォータークレス・ファームへ運ばれるのを子供たちが見られるようにこの日を休校とし、木は運ばれた先でバーベキュー用木材として使われた。跡地にはオークが植えられた。

1990年代半ばには、ネイルシー英語版との境に新しい住宅地が建てられ、現在では「ロウワー・ラクソール」(英: Lower Wraxall)と呼ばれている。ほとんどの住宅は、ラクソールがブリストルベッドタウンとなる過程で建てられたものである。

2007年4月には、チャールトン・ファームにこども病院が建てられた。チャールトン・ファームは、ティンツフィールド地所の一角を成し、中世のチャールトン・ハウス英語版と関係がある場所である。チルドレンズ・ホスピス・サウス・ウェスト英語版が入院している子供たちに緩和医療を提供しており、外来患者向けやデイケア治療も行っている[12]。開設は、ブリストルやサマセット地区で数年に渡って集められた基金によって成し遂げられたものである。

考古学[編集]

1950年から1953年にかけて、タワー・ハウス・ファームからタワー・ハウス・レーンを下りきった先までの考古学的掘削調査が行われた。この調査でローマ時代のヴィラが見つかっている[13][14]。谷には、別のローマ時代の痕跡が散在していることも分かっている。鉄器時代ヒルフォートであるキャドベリー・キャンプ英語版からは2.5キロメートル (1.6 mi)の位置にある。

教会[編集]

男女2人が手を合わせて横たわった様子を象った墓
ゴージズ家のエドマンド・ゴージズ(1512年没)と妻アン・ハワード(英: Ann Howard)の墓。ラクソール教会の東端、内陣の北壁

教区教会である全聖人教会英語版は12世紀に建てられ、後の時代に時計が加えられた。現在はイングリッシュ・ヘリテッジによって、グレードI(第1級)指定文化財 (listed buildingに指定されている[15]

教会の内陣には、ゴージズ家英語版のエドマンド・ゴージズ(英: Edmond Gorges)とその妻を象った、彩色された石像がある。広大な教会の境内には、近くにあるティンツフィールド地所に名前が残るティント家(英: The Tynte family)の記念碑もいくつか残っている[16]。教会塔には変イ長調に調律された8つの鐘が設置されている。最も古い鐘は18世紀初頭にチュー・ストーク英語版で鋳造されたもので[17]、1番重いテナーの鐘は1.1トンを超える重さがある。17世紀には近くに牧師館が建てられた。

ラクソール (サマセット)の位置(サマセット内)
ラクソール
ラクソール
チュー・ストーク
チュー・ストーク
ラクソールとチュー・ストークの位置関係

教会の南東にある村の鍛冶屋の隣には、"Remember Lot's Wife"(意味:ロットの妻を忘れない)と名付けられたパブリック・ハウスがあった[18]。この建物は、1920年頃に、ジョージ・ギブズ大佐によって取り壊され[注 4]、下方にあった村の教会の境内拡張に使われている[19]

ティンツフィールド地所[編集]

ティンツフィールドの邸宅

ティンツフィールドは、巨大なゴシック・リヴァイヴァル建築の邸宅と、その周辺の地所両方を指す言葉である。

元々ティンツフィールド地所には2つの大きなマナー・ハウスが建っていたが、第2代ラクソール男爵が亡くなったのをきっかけに、地所は2つに分割された。

ティンツフィールドは、ヴィクトリア朝に建てられたゴシック・リヴァイヴァル建築であり、分割前の巨大な地所の一部を成していた。ラクソール男爵の死をきっかけに地所は売りに出され、2002年にはナショナル・トラストがティンツフィールドの邸宅を含む地所の一部を買い取っている。邸宅と周辺の地所の修繕・改修の進捗は遅く、地元の商人たちはナショナル・トラストがどのように修繕を進める気なのか尋ねたほどだった[20]。1940年代にはアメリカ軍によって、地所内に「ティンツフィールド・キャンプ」と呼ばれる病院施設が建設され、施設内には広大なセントラル・ヒーティングの熱水暖房機ネットワークが張り巡らされた。戦後施設の用地は野原に戻され、現在でもそのまま残っている[1]

やや知名度の劣るベルモント・ハウス(英: Belmont House)は、ティンツフィールドからおよそ1キロメートル (0.62 mi)東に位置する。リアル・テニス英語版のコートも備えられている[注 5][21]

ノアズ・アーク・ズー[編集]

ノアズ・アーク・ズー・ファーム英語版(意味:ノアの箱舟動物園)は、村の観光施設として役立っている。この動物園は充実した動物コレクションを持つほか、体験型施設や子供の遊び場も備えている。動物園は創造論を売り込んでいる[22][23][24]。また動物虐待疑惑が複数回持ち上がっており[25]、現在では動物園へ、独立した獣医師が6ヶ月ごとに視察に訪れることが定められている[26]

ノース・サマセット・ショー[編集]

メイデイの一般公休日には、毎年農業フェアであるノース・サマセット・ショー英語版が開催される。舞台はノース・サマセット・ショーグラウンドである。このショーは1840年にノース・サマセット農耕協会(: North Somerset Ploughing Society)が始めたもので、将来の農業発展を目的として、農業の問題点に関する話し合いや、地元の一般住民向けの展示が行われている。このイベントは1990年代半ばまでアシュトン・コート英語版で開かれていた[27]

学校[編集]

チャールトン・ハウスにあるダウンズ・スクールの建物

1801年デーム・スクール英語版[注 6]が開設されたことが記録に残っており、ほかにも数校がこれに追随している。現在でも残る1校は1856年に建設されている。これはラクソール・イングランド国教会VA英語版)スクールと呼ばれ、5歳から12歳までの児童を対象に教育を行っている。道向かいには村の鍛冶屋: The village blacksmith)があり、近くにはストックス英語版[注 7]さらし台も設置されていたことがある。また数世紀の間、年次の "Stumps Fair" もここで開かれていた[1]。この地区は地元で「ラクソール・クロス・ツリー」と呼ばれている。

ブリストルから350メートル (380 yd)の場所には、かつて古い男子校が存在した(ラクソールはサマセット北部にありブリストルにも程近い)。この学校は1856年に建設され、土地はG・スミス(英: G Smyth)、建設費用はウィリアム・ギブズの寄付で賄われた[29]。学校は1938年に閉校され[30]、以来跡地は私有地となっている。

村にはダウンズ・プレパラトリー・スクール(英: Downs Preparatory School)という私立の上級小学校があり、チャールトン・ハウス英語版を使用している[31]

水泳プール[編集]

B3130号線の南側、旧アメリカ軍病院の反対側には元々自然の泉があり、1890年代にここから水を引いて冷水浴用池(リドー英語版)が作られた。現在ではコンクリートや自然石で作られた2つのプールが建築されている。北側にある小さなプールは2フィート (0.61 m)の深さで、ここから南側にある5フィート (1.5 m)の深さのプールへ水が引かれている。南側のプールには鉄製の手すりが付けられている[32]。プールは長年使われず、消失の危機に瀕している。南側のプールはほとんどが植物など有機物で覆われてしまっている。

交通[編集]

最寄り駅はネイルシー・アンド・バックウェル駅英語版で、2マイル (3 km)南側にある。また最も近い空港はブリストル空港である。

ブリストル・ロードには354号線、クリーヴドン・ロード(: The Clevedon Road)沿いには361号線のバスが運行されている。どちらのバスもファースト・ブリストル英語版が運行している。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「ハンドレッド」はカウンティの下位区分で、日本での「郡」に相当する[3]
  2. ^ Land Yeo. "Land" と名前こそ付いているが、実際には細い川である。
  3. ^ 「司祭出張聖堂」とも言う[8]。教区内に、教区教会とは別に建てられた教会を指す。
  4. ^ ギブズ大佐は後述のティンツフィールドの持ち主だった。邸宅を建てた実業家ウィリアム・ギブズの孫に当たり、最後の当主となったリチャード・ギブズ(第2代ラクソール男爵)の父親。
  5. ^ 現在のテニスの元になったと言われるラケットスポーツの1つ。同様の競技ジュ・ド・ポームを指して「リアル・テニス」と言うこともあるが、ジュ・ド・ポームはリアル・テニスよりも起源が古い競技であり、厳密には別の競技になる。
  6. ^ "Dame school." 「女性が子供に読み書きを教えるため自宅で行った私塾」[28]であり、イメージとしては日本の寺子屋に近い。
  7. ^ 中世に用いられた晒し用の足かせ。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e Wraxall”. Bristol & Avon Family History Society. 2016年8月16日閲覧。
  2. ^ Iron Age defended settlement 400m south of Manor Farm”. English Heritage. 2016年8月16日閲覧。
  3. ^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "hundred". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458
  4. ^ Somerset Hundreds”. GENUKI. 2016年8月16日閲覧。
  5. ^ Deserted medieval settlement 300m ESE of Wraxall House”. National Heritage List for England. English Heritage. 2014年12月7日閲覧。
  6. ^ Peter Wright (editor) (2009, p. 33)
  7. ^ Bodman, Martin. “Mills on the Land Yeo” (PDF). Nailsea and District Local History Society. 2016年8月17日閲覧。
  8. ^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "Chapel of ease". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458
  9. ^ Minutes of meeting 12 March 2013” (PDF). Wraxall and Failand Parish Council. 2014年6月17日閲覧。
  10. ^ The Widdicombe Arms”. National Heritage List for England. English Heritage. 2016年8月17日閲覧。
  11. ^ Peter Wright (editor) (2009, p. 35)
  12. ^ Our hospices”. Children's Hospice South West. 2016年8月17日閲覧。
  13. ^ Monument No.195364”. Pastscape. Historic England. 2015年7月6日閲覧。
  14. ^ Wraxall Somerset, England”. The Princeton Encyclopedia of Classical Sites. 2015年7月6日閲覧。
  15. ^ All Saints Church”. Images of England. 2007年7月18日閲覧。
  16. ^ Siddique, Haroon (2008年8月5日). “Bombs, bears and a carved coconut: inside a neo-Gothic treasure trove”. The Guardian. p. 8. http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2008/aug/05/heritage 2008年8月5日閲覧。 
  17. ^ All Saint's Wraxall”. Wraxall with Failand. 2015年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月17日閲覧。
  18. ^ Peter Wright (editor) (2009, p. 21)
  19. ^ Pennant 20” (PDF). Local History Journal of Backwell, Nailsea, Tickenham and Wraxall. 2016年8月17日閲覧。
  20. ^ stone me”. Tyntefield Estate. 2011年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月6日閲覧。
  21. ^ Belmont House and Racquets Court”. English Heritage. 2011年5月20日閲覧。
  22. ^ “Darwin Has Done a Lot of Damage”. Evening Post (Bristol News and Media). (2008年9月23日). オリジナルの2009年11月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091102052858/http://www.thisisbristol.co.uk/news/Darwin-lot-damagearticle-345879-details/article.html 2009年11月3日閲覧。 
  23. ^ Russell, James (2006年1月2日). “James Russell: A fun day out for all the creationists”. The Guardian. 2016年8月17日閲覧。
  24. ^ PRV. “BCSE : Noah's Ark Zoo Farm”. British Centre for Science Education. 2009年2月17日閲覧。
  25. ^ CAPS expose zoo breeding tigers for circus owner”. The Captive Animals' Protection Society (2009年10月). 2010年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月19日閲覧。
  26. ^ “Zoo cruelty claims are rejected”. BBC News. (2010年3月24日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/somerset/8585669.stm 2010年3月27日閲覧。 
  27. ^ About NSAS”. North Somerset Agricultural Society. 2014年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月17日閲覧。
  28. ^ 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). "Dame school". ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458
  29. ^ Peter Wright (editor) (2009, p. 20)
  30. ^ Peter Wright (editor) (2009, p. 30)
  31. ^ The Downs School”. The Downs School. 2015年7月6日閲覧。
  32. ^ Open-air bathing pond”. British Listed Buildings. 2010年11月22日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]