ヨゼフ・パーレニーチェク

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ヨゼフ・パーレニーチェク
生誕 (1914-07-18) 1914年7月18日
出身地 ボスニア トラヴニク
死没 (1991-03-07) 1991年3月7日(76歳没)
学歴 エコールノルマル音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト、作曲家
担当楽器 ピアノ

ヨゼフ・パーレニーチェク チェコ, 1914年7月19日1991年3月7日[1]は、チェコピアニスト、作曲家。

経歴[編集]

ボスニアトラヴニクに生まれる。幼少時からピアノに親しみ、11歳のときオロモウツで初舞台を踏んだが、演奏活動を本格化させるのは1935年からである。1927年から1936年までカレル・ホフマイスターにピアノを師事し、作曲をオタカール・シーンノヴァークに学んだ。この間の1935年にスメタナ三重奏団(後にチェコ三重奏団)を結成している。[2]1936年からは奨学金を得てエコールノルマル音楽院に留学し、ディラン・アレクサニアンピエール・フルニエに室内楽を師事した。また、このときにアルフレッド・コルトーの知遇を得、アルベール・ルーセルにも個人的に作曲を習っている。

第二次世界大戦後は、ヨーロッパ、日本、中央アメリカから南アメリカまで演奏活動を行い、1962年にはリオデジャネイロ、1967年にはモントリオールでマスター・クラスを開いた。1962年以来プラハ芸術アカデミーのピアノ科と室内楽科の教授を務めた。1991年、プラハにて没。

作曲家としては、3つのピアノ協奏曲オラトリオ《人間についての歌》など、数多くの作品が残されているという。

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]