ユーグ4世・ド・リュジニャン

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ユーグ4世・ド・リュジニャン
Hugues IV de Lusignan
リュジニャン卿
クエ卿

出生 997年以前
死去 1030/32年
配偶者 オーデアルド・ド・トゥアール
  マオー
子女 ユーグ5世
ロルゴン
ルノー
家名 リュジニャン家
父親 ユーグ3世・ド・リュジニャン
母親 アルセンド・ド・ヴィヴォンヌ
渾名 千人隊長卿
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ユーグ4世・ド・リュジニャンフランス語Hugues IV de Lusignan, 997年以前 - 1030/32年)は、リュジニャンの4代目領主。ブルヌスBrunus, ラテン語褐色卿)またはル・キリアルクle Chiliarque, フランス語で千人隊長)と呼ばれた[1]

生涯[編集]

ユーグ3世アルバスとアルセンド・ド・ヴィヴォンヌの息子。気性の荒々しい貴族で、無名であったリュジニャン家ヨーロッパ、ひいては中東での事件で注目される一族とした。

ユーグは自分が領主の座に就く正当性に主張した領地を巡ってトゥアール副伯ラウル1世と長年に渡る戦争をしたが[2]、ラウルの娘オーデアルド(またはアルディアルド)とユーグ4世が結婚したことにより協定が結ばれ、一時的に和睦した[2]

結婚の際に持参金として、ユーグはムゼイユ(フランス語版)城を受け取った[2]。ユーグ4世はこの他、祖父ユーグ2世ル・シェールによって建てられたリュジニャン城とアキテーヌ公によって建てられたクエ(フランス語版)城を既に所持していた。しかし、ラルフ1世が死去した後、トゥアール副伯位を相続した甥ジョフロワ2世にムゼイユ領を奪還された[2]

ユーグ4世はラ・マルシュ伯ベルナール1世の領地であったシヴレー(フランス語版)を略取したランコン(フランス語版)卿エメリー1世と長い戦争をした[1]。アキテーヌ公ギヨーム5世との同盟により、ユーグとベルナールはシヴレーを奪還し、ユーグはシヴレーを領有したが、その後すぐに失ってしまった。それにも関わらず、ユーグはエメリー1世との戦争を続けた。

シャテルロー副伯の座が空席になった際、ユーグは君主ギヨーム5世にその座を要求したが、口約束を理由に延期された。焦れたユーグはギヨーム5世と戦争を繰り広げ、ギヨームはかつて母方のおじジョスラン1世が所有していたヴィヴォンヌ(フランス語版)領をユーグに与えた。ギヨーム5世の実母にあたる先のアキテーヌ公ギヨーム4世妃エマにより、父ユーグ3世にサン=メクソン(フランス語版)領の税金の徴収権を与えられ、ユーグ4世が相続したが、ギヨーム5世により権利を剥奪された。

1025年3月6日、ユーグは自分ののための修道院を見つけるために、ポワティエのサンティレール修道院(フランス語版)と土地を交換した。ギヨーム5世はフランス王ロベール2世から、2つの勅許状を得て、この修道院とクエにある別の修道院の設立を認めた。ユーグとポワティエ司教イセンバールはその後、教皇ヨハネス19世に手紙を送り、ヌアイエ(フランス語版)の権限を除いて、自分の修道院がすべて教皇権限から免除されることを求めた。この免除は認められた。

リュジニャンのノートルダム修道院では、修道僧の年代記編者がユーグの戦歴を称える『アキテーヌ公ギヨームとユーグ千人隊長卿の会談(ラテン語題; Conventum inter Guillelmum ducem Aquitaniae et Hugonem Chiliarchum)』を書いた。これによると、ユーグ4世はギヨーム5世との最終合意から1年後、おそらく1026年頃に死去した。

子女[編集]

ユーグは妻オーデアルド(1008年以前 - 1030年以前)との間に以下三男を授かった。

  • ユーグ5世(1021年頃 - 1060年頃) - リュジニャン・クエ卿位を父から継承。ル・ピュー(敬虔卿)と称された。
  • ロルゴン(1022年頃 - 1079年頃) - 兄ユーグ5世の死後、クエ卿位を継承。名前・出自不明の妻との結婚により、次代クエ卿であり、ポワティエのサンティレール修道院のカントル律修司祭ユーグ・ド・クエ(1050年頃 - 1125年頃)が生まれたとされる。
  • ルノー(? - 1029年以降)

2人目の妻マオー(1017年以前 - 1030年頃)との間に知られている子女・子孫はいない。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • Painter, Sidney (1957). “The Lords of Lusignan in the Eleventh and Twelfth Centuries”. Speculum (University of Chicago Press) 32 (Jan.): 27-47. 
先代
ユーグ3世
リュジニャン卿
1012年頃 - 1030/2年
次代
ユーグ5世