メアリー・トゥルー

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メアリー・トゥルー
Mary T. True
中国宣教師の頃メアリー・トゥルー
個人情報
出生 (1840-12-17) 1840年12月17日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州
死去 (1896-05-01) 1896年5月1日(55歳没)
日本の旗 日本東京府
墓所 青山霊園
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
両親 父:コーリン・エリエタ・ピッチャー
配偶者 アルバート・トゥルー
職業 教師宣教師
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メアリー・トゥルー(Mary T. True、1840年12月17日 - 1895年5月)は、アメリカ合衆国出身の在日宣教師で、明治時代の教育者である。マリア・ツルーとも表記される。

生涯[編集]

初期[編集]

1880年代半ばのアメリカ合衆国長老教会東京ミッションのメンバーの家族の集合写真,トゥルーは最後列は最後列右から2人目

1840年米国ニューヨーク州清教徒の流れを汲む家系コーリン・エリエタ・ピッチャーの四女として生まれた。1855年の15歳の頃にウィゴーの町で起こったリバイバルの時にキリスト教に入信し、献身を決意する。

その後、オーバン神学校にいたアルバート・トゥルーと出会い結婚する。夫と共に伝道するが、1871年10月18日に夫は病死する。その後、夫の遺志を継ぎ、1873年9月に中国派遣宣教師になる。

日本宣教[編集]

翌1874年来日し、1875年にアメリカ合衆国長老教会の伝道局の勧めで東京京橋(巣鴨教会)で伝道を始める。その時出口せいが協力者になる。

1879年に金沢啓明学校に出口せいと共に移る。1883年に休暇のために米国に帰国する。1884年に再来日し、伝道をしながら原女学校新栄女学校桜井女学校などの発展に尽くす。

新栄女学校時代に、当時未信者であった矢嶋楫子を教師として起用し、修身聖書のクラスを委ねた。桜井女学校の経営は矢嶋に託す。

また、新宿角善に養生園という老人ホームを建設した。

参考文献[編集]