マクシマ・フィルム

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マクシマ・フィルムMaxima Film Compagnia Cinematografica )は、かつて存在したイタリア映画製作会社である。

略歴・概要[編集]

1957年 - 1962年の5年間、映画製作を行った形跡がある。カルロ・ポンティ、あるいはディノ・デ・ラウレンティスといった新興プロデューサー、あるいはスペイン・フランスの映画会社と組んでの共同製作を行った。全作が共同製作であり、配給機能を持たないため、つねに配給も手がける製作会社と組む必要があったのである。

ステーノ監督の作品を多く手がけた。

同社では、のちに独立し、映画プロデューサーとして大成するマリオ・チェッキ・ゴーリピオ・アンジェレッティクレメンテ・フラカッシライモンド・カステッリらが製作主任として現場を動かし、のちの映画監督のルチオ・フルチが助監督として修行をした地である。

チェッキ・ゴーリは同社ですぐにプロデューサーに昇格、1960年には独立して映画製作配給会社「フェア・フィルム」を設立する。また、カスティケリは同社が主演女優に育てたシルヴァ・コシナと1960年には同居し始め、1967年にメキシコで結婚している。

フィルモグラフィ[編集]

プロデューサーは「製作」と表記
  • Femmine tre volte 1959年 監督・脚本ステーノ、原案・共同脚本マルチェロ・マルケージ、ヴィットリオ・メッツ、撮影トニーノ・デリ・コリ、製作カルロ・ポンティ、クレメンテ・フラカッシ、ヘスス・サイス、製作主任マリオ・チェッキ・ゴーリ、ピオ・アンジェレッティ、助監督ルチオ・フルチ、音楽アンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノ、主演シルヴァ・コシナ、ヘルマン・コボス(共同製作カルロ・ポンティ・チネマトグラフィカ、ヘスス・サイス、イタリア・スペイン合作)

関連事項[編集]

外部リンク[編集]