ポール・グリモー

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ポール・グリモー
Paul Grimault
ポール・グリモー Paul Grimault
1961年
生年月日 (1905-03-23) 1905年3月23日
没年月日 (1994-03-29) 1994年3月29日(89歳没)
出生地 ヌイイ=シュル=セーヌ
国籍 フランスの旗 フランス
主な作品
王と鳥
 
受賞
ヴェネツィア国際映画祭
審査員特別賞
1952年やぶにらみの暴君
セザール賞
名誉賞
1989年
その他の賞
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ポール・グリモー (Paul Grimault1905年3月23日 - 1994年3月29日) はフランスアニメーター映画監督。繊細なスタイルで風刺や自然の情感あふれる描写を得意とする。ポール・グリモオとも。

来歴[編集]

グリモーはパリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌで考古学者の息子として生まれた。美術学校で学び、15歳でパリのボン・マルシェ百貨店のアートショップで働く。兵役を勤めた後に家具職人となる。この時、詩人のジャック・プレヴェール(『やぶにらみの暴君』の脚本担当)と出会う。1931年からグリモーは実験アニメーション映画製作を始め、1936年、アンドレ・サリュと共に広告アニメーション製作会社のレ・ジェモー(Les Gémeaux)社を設立。アニメーション映画製作を始める。ところが第二次世界大戦が勃発。アニメーション製作は中止される。グリモーはカサブランカで戦闘のに従事する。戦争が終結すると製作チームは再結成され製作は再開。宝くじに当選するという経済的な幸運にも恵まれて、1943年に『大熊座号の乗客』を公開する。

1948年、彼の最もよく知られる作品である『やぶにらみの暴君』(La Bergère et le ramoneur)の製作を開始するが、予算が増大するばかりで映画は遅々として完成しなかった。1952年、レ・ジェモー社のアンドレ・サリュは、グリモーらメインスタッフを解雇してフィルムの編集版をヴェネツィア・フェスティバルに出品、翌年には劇場公開した[1]。このことでグリモーとサリュは衝突。会社は分裂し、以降グリモーは自らの会社から作品を発表するようになる。1963年、グリモーはフィルムの所有権を取得し、1977年に発表、最終的に1980年に『王と鳥』(Le Roi et L'oiseau )というタイトルで公開した。

1985年に開催された第一回広島国際アニメーションフェスティバルでは国際名誉会長を務めた[2]1988年には過去のグリモー作品をグリモー自身が楽しむという作品、「ポール・グリモー短編傑作集」を発表している。実写部分は友人の映画監督ジャック・ドゥミが担当。『やぶにらみの暴君』にも声優として参加した、女優のアヌーク・エーメも出演している。

1994年、グリモーはメニル=サン=ドニ英語版で亡くなった。

影響[編集]

高畑勲ら日本の作家達に大きな影響を与え、日本のアニメーションに大きな影響を与えている。2001年にパリで開催されたアニメーション・フェスティバルにおけるインタビューで、宮崎駿は「特に強い影響を受けた映画製作者を一人」という条件でポール・グリモーの名を挙げた。

主な作品リスト[編集]

  • 「大熊座号の乗客」(Les Passagers de la Grande Ourse, 1943年)※
  • 「かかし」(L'Épouvantail, 1943年)※
  • 「避雷針泥棒」(Le Voleur de paratonnerres, 1944年)※
  • 「小さな兵隊」(Le Petit soldat, 1947年ヴェネツィア国際映画祭アニメーション賞受賞※
  • 「やぶにらみの暴君」(La Bergère et le ramoneur, 1953年)ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞受賞
  • 王と鳥」(Le Roi et L'oiseau, 1979年)「やぶにらみの暴君」の改作。ルイ・デリュック賞受賞
  • 「ポール・グリモー短編傑作集」(La Table Tournante, 1988年

※は「ポール・グリモー短編傑作集」に収録

脚注[編集]

  1. ^ 昼間行雄、権藤俊司、編集部編『ユーロ・アニメーション』フィルムアート社、2002年7月21日、22頁、ISBN 4845902354
  2. ^ 第1回大会(1985)|広島国際アニメーションフェスティバル. 2022年2月17日閲覧

外部リンク[編集]