ボルボ・260

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
264GL

ボルボ・260シリーズはスウェーデン自動車メーカー・ボルボ・カーズ1974年から1982年まで生産した乗用車である。その基本設計は1968年登場のボルボ・164と共通だが、240同様、 1972年に試作車が公開された実験安全車ボルボ・VESCVolvo Experimental Safety Car )で試みられた多くの安全対策が実用化されている。具体的には前後の衝撃吸収ゾーンの拡大(そのために前輪サスペンションをストラット式サスペンションに改め、エンジンベイを拡大した)、ステアリング機構のラック・アンド・ピニオン方式への変更による操縦性改善などである。

この拡大されたエンジンベイを利用し、従来の164に用いていた自社製直列6気筒エンジンに代え、ルノープジョーと共同開発したPRV2,664ccV型6気筒エンジンを搭載したのが260シリーズである。同じエンジンはルノー・30プジョー・604、後にはランチア・テーマV6にも用いられた。

モデルの変遷[編集]

1974年秋に1975年モデルとして最初に登場した260シリーズは4ドアセダンの264DLと264GLであった。翌1976年モデルでは5ドアワゴンの265DL・265GLが追加され、2ドアの262DL・262GLも生産された。なお、アメリカ及び日本にはV6エンジンの排気ガス対策が遅れたため、1975年まで164が輸入された。1977年には262をベースとした高級版の262Cがジュネーブモーターショーで発表され同年から1981年まで生産された。

1980年には排気量が2,800ccに拡大され、従来のB27型からB28型に呼称が変更された。1982年760が登場すると、260はこれに跡を譲って消滅した。4気筒の240は1993年まで継続生産された。

スペシャルモデル[編集]

リムジンモデルの「264TE」(Top Executive )が1975年から1981年まで作られ、特にメルセデス・ベンツBMWには立場上乗りたくないドイツ民主共和国(東ドイツ)の政府公用車として多数が用いられた。同国のエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長は在任当時、264TEを改造したランドーレットを儀式用に用いていた。日本にも輸入され、当時のディーラーの親会社であった帝人社長夫人・大屋政子もオーナーであった。

2ドアクーペの「262C」も1978年から1981年まで作られた。屋根を低められた車体はイタリアコーチビルダーベルトーネによって製作された。

日本への輸入[編集]

1974年を最後にヤナセがボルボ車輸入から手を引き、代わって発足した帝人の子会社・帝人ボルボ1976年以降264を販売した。当初は角型ヘッドライトが車検に通らず、米国仕様の丸型4灯式に変更されていた。265は上陸しなかったが、264TE・262Cも輸入された。

164以来安全性・信頼性から、240ほどではないが比較的多数が販売され、1986年以降はメーカー現地法人の「ボルボ・ジャパン」、1991年以降は「ボルボ・カーズ・ジャパン」が輸入販売を行った。