ボルジア (競走馬)

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ボルジア
ボルジアと仔馬
欧字表記 Borgia
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1994年4月4日
死没 2012年3月29日(18歳没)
アカテナンゴ
ブリタニア
生国 ドイツの旗 ドイツ
生産者 Gestut Ammerland
馬主 Gestut Ammerland
調教師 ブルーノ・シュッツ(ドイツ
アンドレアス・シュッツ(ドイツ)
アンドレ・ファーブルフランス
競走成績
生涯成績 22戦6勝
獲得賞金 155万3767ユーロ
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ボルジア (Borgia) はドイツ競走馬牝馬ながら1997年ドイチェスダービーバーデン大賞に勝った。1997年のドイツ年度代表馬。

母ブリタニアはG2ドイチェスセントレジャーなど重賞3勝。半弟には2001年のドイチェスダービー、2002年コロネーションカップを制したボレアルがいる。

戦績[編集]

ドイツ時代[編集]

2歳時は2戦して2着・3着と勝ちきれなかったが、3歳になった1997年に初勝利を挙げるとパルトナー賞、ディアナトライアルと3連勝、ディアナ賞2着を挟んで出走したドイチェスダービーではバルーンを破って優勝し、1955年のルスティゲ以来42年振りとなる牝馬によるドイチェスダービー制覇を達成した。次走オイロパ選手権では前走破ったバルーンに敗れて2着となったが、ドイツ最大の競走であるバーデン大賞では古馬のルソーを破って優勝し、1958年のダシュカ以来39年振りとなる牝馬によるバーデン大賞制覇の快挙を達成した。

そしてボルジアはドイツ国外へと戦いの舞台を移し、フランスの凱旋門賞ではパントレセレブルピルサドスキーに続く3着、アメリカブリーダーズカップターフではチーフベアハートの2着と健闘した。1997年はGI競走2勝を含む9戦5勝2着3回3着1回という成績で終え、ドイツ年度代表馬に選出された。

4歳となった1998年は3月のドバイワールドカップに出走したが、競走中に屈腱炎を発症し、生涯最低着順となる8着で競走を終えた。

屈腱炎からの復帰[編集]

ドバイワールドカップでの屈腱炎発症後、ボルジアをフランスのアンドレ・ファーブル厩舎に移籍して現役を続行することが発表された。ボルジアは1998年10月に牝馬限定戦のG3競走であるフロール賞で競走に復帰したが、復帰初戦は1番人気を裏切る2着と敗れた。

1999年、5歳となってからもG3競走のエクスビュリ賞とジョッキークラブステークスで1番人気を裏切る敗戦を重ね、G1競走のコロネーションカップサンクルー大賞ではともに5着と惨敗した。9月にはG2競走のフォワ賞でエルコンドルパサーをクビ差に追いつめ苦しめるも、続く凱旋門賞では7着、ジャパンカップでも8着と惨敗した。引退レースとなったG2競走の香港ヴァーズで1着になり、実に13戦振りの勝利で引退レースを飾った。

引退後[編集]

2000年に繁殖入り。

繁殖牝馬としては11頭の産駒をもうけ、2010年に生まれたオアシスドリームとの仔Bermuda Reef がアルマスドカップ(G3)に優勝している。

2012年3月29日、繋養先のアメルラント牧場で疝痛のため死亡した。

2014年9月14日、孫のバルチックバロネスヴェルメイユ賞を制覇し、自身の牝系からG1勝ち馬を出した[1]

競走成績[編集]

血統表[編集]

ボルジア血統ダークロナルド系 / Owen Tudor 5×5=6.25%) (血統表の出典)

Acatenango
1982 栗毛
父の父
Surumu
1974 栗毛
Literat Birkhahn
Lis
Surama Reliance
Suncourt
父の母
Aggravate
1966 鹿毛
Aggressor Combat
Phaetonia
Raven Locks Mr.Jinks
Gentlemen's Relish

Britannia
1985 鹿毛
Tarim
1969 青鹿毛
Tudor Melody Tudor Minstrel
Matelda
Tamerella Tamerlane
Ella Retford
母の母
Bonna
1978 鹿毛
Salvo Right Royal
Manera
Birgit Altrek
Borinage F-No.14-b


脚注[編集]

外部リンク[編集]