ヘンリー・G・サパースタイン

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ヘンリー・G・サパースタイン
Henry G. Saperstein
本名 ヘンリー・ガーガン・サバ―スタイン(Henry Gahagen Saperstein)[1]
別名義 ヘンリー・サパースタイン
(Henry Saperstein)[2]
生年月日 (1918-06-02) 1918年6月2日
没年月日 (1998-06-24) 1998年6月24日(80歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ[2][3][4]
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズ[2][3]
民族 ユダヤ系アメリカ人[1]
職業 プロデューサー[2][3]
ジャンル 映画[3]・テレビ[2]
活動期間 不明 - 1998年[4]
配偶者 あり[2][3]
著名な家族 パット・サパ―スタイン[1]
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ヘンリー・G・サパースタイン[6]Henry G. Saperstein1918年6月2日[3][4] - 1998年6月24日[3])は、アメリカ合衆国プロデューサー[3]映画配給業者[3]イリノイ州シカゴ出身[4][3][2]

アメリカにおける版権ビジネスの先駆者とされる[4]。複数の映像関連会社を経営しており、ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ、テレビ・パーソナリティーズ、ベネディクト・ピクチャーズ(ベネディクト・プロ)、グレン・フィルム、スクリーン・エンターテイメント、HGサパースタイン&アソシエイツなどがある[2]

人物[編集]

イリノイ州シカゴで5つの映画館を経営するアーロン・サパースタインの息子として生まれる[1]

シカゴ大学航空工学と数学を学びながら、父親が経営している映画館で映写技師として働いていたが、1938年に父親が死去した為、大学を中退し、事業を相続[1]第二次世界大戦時に事業を売却した後、徴兵を受け、訓練用映画の制作に関わった[1][4]

除隊後、テレビ放送が開始されると1948年に50本の低予算映画の権利を買い集めテレビ局に映画作品を配給するようになる[1][4]。当時、映画業界はテレビを敵視しており、テレビ局に映画を配給する業者がいなかった為、サバ―スタインは権利の買収にかかった額の二倍の金額で映画を配給することで多額の利益を得た[4]

その利益でテレビ番組の制作会社テレビ・パーソナリティーズを設立[4]アニメを欲していたテレビ局の要望に答えるため、ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカを買収[4]。テレビの宣伝性と版権ビジネスの可能性を見込んだサパースタインはテレビ・キャラクターの権利を買い集めた[4][1]

1950年代にはトム・パーカーのエルヴィス・プレスリー・エンタープライズと契約して[4]、エージェントとして働き[7]エルヴィス・プレスリーのグッズを販売することで利益を得ている[4][1]

1955年にカリフォルニア州ハリウッドに移る[3][1]全米テレビ芸術科学アカデミーの創立に参加[1]

1960年頃にSF映画をテレビ局が欲していることを部下から聞き、SF映画を製作している外国企業として東宝ハマー・フィルム・プロダクションに目をつける[4][1]

ハマー・フィルムとの交渉との交渉は難航することを予測したサバ―スタインは東宝に話を持ち掛けることを決め[4][1]ロサンゼルスにあった東宝の日系人向け映画館東宝ラブレア劇場で『ゴジラ』を鑑賞したサパースタインは、同シリーズの権利取得を計画[4][1]。日本企業との交渉に備え、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の夜間クラスで日本について学ぶ[4][1]

その甲斐あって東宝から北米における「ゴジラ」シリーズのテレビ・劇場配給権とマーチャンダイジング権を取得[4]。さらに自身の会社であるベネディクト・プロを東宝と提携させ、『怪獣大戦争』、『フランケンシュタイン対地底怪獣』などの映画を製作する[4]。提携に際してサパースタインは制作費を半分負担する代わりに脚本段階からコンサルティングを東宝に要求[4]。撮影に関しては日本式の手法を尊重する方針を撮った[8]

彼は世界で「ゴジラ」シリーズをヒットさせるために核の恐怖のメタファーだったゴジラをヒーロー化させるように提案した[4]。その際にともに仕事をした田中友幸本多猪四郎などの東宝関係者を称賛しており、円谷英二に関しては崇拝しているとまで述べている[1]。東宝との30年の関係は愛憎半ばするものだったとされ、東宝側からは最後まで部外者として扱われていたと言い、「ラドヤード・キップリングの言うように東は東、西は西だ」と述べている[4][1][9]

ニック・アダムスラス・タンブリンを東宝との提携作品に出演させたのは作品をテレビ局に売るためであり、劇場では集客効果は無くともテレビ向けにある程度知名度のある俳優が必要としている[4]

それらの作品群の製作が終わった後、ゴジラシリーズの作品としての質が低下していることを感じたことから共同制作や出資はせずに北米における配給とマーケティングに専念した[1][11]。サバ―スタインはゴジラシリーズの質の低下を嘆いており、再び超大作としてのゴジラシリーズを作らせるため、その後も東宝に複数回新作の企画を提案しているが、ドルの値下がりもあり実現には至ってない[4]

サバ―スタインが東宝に提案した映画には『サンダ対ガイラ』の生き残りがサイボーグ化したゴジラと戦う映画[4]、『エクソシスト』に影響を受けた『ゴジラ対悪魔』[4]、『スター・ウォーズ』に影響を受けたゴジラが宇宙に行く映画[4]、1980年頃に企画された超大作としての新しいゴジラ映画[5]、1988年に企画が好評されたアニメーション映画などがある[1]


1993年にゴジラ関係の権利の内、映画作品のライセンスをシミタールに、玩具関係のライセンスをトレンドマスターに与えた[4]。サパースタインはアメリカの映画会社にゴジラ映画の製作を持ちかけており、それを受けたトライスター ピクチャーズが『GODZILLA』を製作することになるが、それによりソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが東宝とゴジラシリーズの版権管理の契約を結び、自身はゴジラの権利を手放すことになった[4]

1998年6月24日にガンの為、ビバリーヒルズで死去[3]。遺作は同年冬に公開された映画『Mr.マグー[4]

版権ビジネスをするにあたって彼が心がけていたのは商品を過剰に供給せず、商品数をコントロールすることでキャラクター人気を長期にわたって維持することだったと言う[4]

娘はバラエティのシニア・エディターのパット・サパ―スタイン[1]

参加作品[編集]

映画[編集]

タイトル 公開年 担当 備考
The Big TNT Show 1966 プロデューサー ドキュメンタリー
フランケンシュタイン対地底怪獣
Frankenstein Conquers the World
製作総指揮
Turn On, Tune In, Drop Out 1967 プロデューサー ドキュメンタリー
太平洋の地獄
Hell in the Pacific
1968 製作総指揮
怪獣大戦争
Monster Zero
1970
フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 海外版
The War of the Gargantuas
メカゴジラの逆襲
The Terror of Godzilla
1978
血を吸う薔薇
Evil of Dracula
1980 テレビ放送用英語吹替
GODZILLA
Godzilla
1998 コンサルティング
Mr.マグー
Mr. Magoo
製作総指揮

劇場アニメ[編集]

タイトル 公開年 担当 備考
Gay Purr-ee 1962 製作総指揮

テレビアニメ[編集]

タイトル 放送年 担当 備考
ディック・トレイシー
The Dick Tracy Show
1961–1962 製作総指揮
Mister Magoo's Christmas Carol 1962
がんばれマグー
The Famous Adventures of Mr. Magoo
1964–1965
Uncle Sam Magoo 1970

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Fox, Andrew (2022年2月10日). “Godzilla’s Jewish Hollywood Friend” (英語). Tablet Magazine. https://www.tabletmag.com/sections/arts-letters/articles/godzilla-jewish-hollywood 2022年9月25日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h Henry Saperstein; Produced and Distributed TV Shows, Movies”. ロサンゼルス・タイムズ (1998年6月26日). 2014年7月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l Obituary: Henry G. Saperstein”. インデペンデント (1998年6月29日). 2014年7月28日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag パトリック・マシアス 著、町山智浩 訳「『ゴジラ対悪魔』を作ろうとした男」『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』太田出版、2006年、60-70頁。ISBN 978-4778310028 
  5. ^ a b 「序之壱 復活への長い道のり」『平成ゴジラ大全 1984-1995』編著 白石雅彦、スーパーバイザー 富山省吾双葉社〈双葉社の大全シリーズ〉、2003年1月20日、34 - 35頁。ISBN 4-575-29505-1 
  6. ^ ヘンリー・G・サパスタインとの表記もある[5][4]
  7. ^ Henry G. Saperstein”. Variety (1998年6月28日). 2014年7月28日閲覧。
  8. ^ Ryfle, Steve (2017-10-03). Ishiro Honda: A Life in Film, from Godzilla to Kurosawa. EWesleyan University Press. p. 222. ISBN 978-0819500410 
  9. ^ パトリック・マシアスはキップリングの発言を誤った意味で引用していると指摘している[4]
  10. ^ Galbraith IV, Stuart (1994). “Godzilla's American Cousin”. FILMFAX (Filmfax, Inc.) # 45: 63. 
  11. ^ メカゴジラの逆襲』には資金提供を行っている[10]

外部リンク[編集]