プロジェクト‐ノート:競馬/競馬記事の特筆性議論

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競走馬の特筆性の基準[編集]

Wikipedia:削除依頼/カーマイン (競走馬)で書いた事ですが、1勝でもした馬や、近親に活躍馬がいる様な馬なら、出典と出来る資料が溢れているため、Wikipedia:特筆性を基準とすれば「特筆性あり」と判断できます。もちろん、これは競馬界の現実に即していませんし、この様な基準で競馬記事を運営するのは無理があると思いますが、しかしながら、何度も基準作りに頓挫して、曖昧な指標しか無いのが現状です。PJ競馬に競走実績と特筆性に関してプロジェクト:サッカー選手/サッカー選手記事の作成基準の様な踏み込んだ内容の基準があった方が良いと、思っていましたが、削除依頼であれこれ書くもの変ですので、今回を機にPJに提起いたします。--クレイジャン 2010年12月23日 (木) 14:49 (UTC)[返信]

(追加)後日になると思いますが、過去の議論を踏まえて、少し踏み込んだ事を書きたいと思います。--クレイジャン 2010年12月23日 (木) 14:52 (UTC)[返信]
特筆性基準を作るのはPJ競馬の積年の課題になりますので、作成することには吝かではありませんが、たたき台の方向性の段階で間違ってしまうと、後からどうしようもなくなるので、最低限以下のことを言っておきます。
1.客観的な基準が第一条件です。競走成績ないし繁殖成績が優れていることが第一条件です。競走成績ならば重賞未勝利馬でもある程度のラインの実績ならばOK、そうでなければ削除の記事になります。今回はこのある程度のラインを決めることを念頭に入れておいてください。競走成績がぱっとしなくても繁殖成績は優れているフェアリーキングホワイトナルビーなら分かるが、では、どのあたりだとOUTなのかを考えるのです。
2.客観的な基準として競走成績、繁殖成績がぱっとしなくても社会的に話題になった馬が第二条件です。ハルウララスーパーオトメあたりが目安になると思います。
これらを踏まえて、過去の削除依頼の前例から特筆性基準ができると考えてください。--Wushi 2010年12月24日 (金) 11:17 (UTC)[返信]
私は、百科事典として胸を張れる内容を執筆できるのであれば、未勝利馬であろうが未出走馬であろうが立項しても構わないと思っています。「胸を張れる内容」というのは主観的ではありますが、競馬分野ではすでに秀逸な記事としていくつか選出されているものがありますから、それらが大いに参考になるでしょう。逆に、過去何回かの議論でも書いたことがありますが、「○○は競走馬、何賞で何着、血統表、おしまい」しか書けないような記事であれば、G1をいくつも制した馬であろうと不要だと思っています。少し踏み込んだことを書くというのは大いに結構ですが、基準を作ることによって取るに足らない内容しかない記事の存在にお墨付きを与えるだけのものにならないことを望みます。付け加えれば、「1勝でもした馬や、近親に活躍馬がいる様な馬なら、出典と出来る資料が溢れている」とおっしゃるのであれば、件のカーマイン (競走馬)にぜひともそれらの豊富な出典に基づく加筆を行って、競走成績の優劣が記事立項基準となり得ないところをご例示いただきたく思います。--けいちゃ 2010年12月24日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
コメント(特に日本の)競走馬については、「出典さえあれば記事を作成しても構わない」という考え方そのものに反対します。残念ながら日本にはペーパーオーナーゲームという特殊な遊びが存在するため、1勝どころか競走馬としてデビューできるかどうか定かではない段階の馬であっても、出典だけは山のようにある馬も存在します。しかし、そのことはペーパーオーナーゲーム愛好家に注目を集めているという以上の意味を持たないでしょう。そもそもペーパーオーナーゲームは一定期間内に指名馬が獲得する賞金額を競う遊びです。そのような遊びを行う上で有力であるという偏った観点(だけ)から出版された文献の存在をもって、「百科事典に記載するのに相応しい」という結論を導き出すことには強い違和感を覚えます。むしろ「ペーパーオーナーゲーム関連文献における言及だけでは、『単独記事としての収録基準を満たす』とする根拠とはならない」というルールの策定を提案したいくらいです。--Pastern 2010年12月24日 (金) 16:17 (UTC) (加筆)--Pastern 2010年12月24日 (金) 16:21 (UTC) (修正)--Pastern 2010年12月24日 (金) 16:25 (UTC)[返信]
基本的にはけいちゃさんの考え方に近いです。例えば英ダービー馬全てに特筆性はあると思いますが、英ダービー馬全てに、百科事典的な記事に出来るだけの資料があるかといえば、それは難しいでしょう。
英語版には、グランドナショナルやメルボルンカップの勝ち馬でその様な記事が結構ありますが、それらは特筆性の有無とは無関係に削除されてもおかしくないと思います。
つまりは、競走馬に特筆性があるかどうかと、記事が存続できるのかどうかは、この場合切り離して考えた方が良いです。
そして、競走馬の特筆性についてですが、大きく分けて以下の4通りがあります
  • 競走成績(競馬界で高い評価を得ている競走での実績)
  • 繁殖実績(現状では種牡馬はほぼ特筆性ありとなっている)
  • 話題性(Wushiさんの上げられた馬などが実例)
  • 記録関係(レコード保持や、連勝、高齢記録等)
過去の例を見る限りは、このどれかで「特筆性あり」と判断されれば、その馬に特筆性があると判断されて来ました。
そして、過去の議論のログを読む限りは、基準作りに失敗してきた背景の1つに、これらの要因を混同して話をしようとしてきた事があると思います。
多くの重賞勝ち馬よりも知名度の高い重賞未勝利馬の存在が話を厄介にしてきたと言う事です。
私はそれを踏まえて、これら4つの要因について、徹底的に切り離して、議論したいと思います。
まず、記録関係ですが、これは立項されている該当する馬は多くなく、今後もあまり多くは立項はされないでしょうし、今までと同様に基準は設けず個別に特筆性を判断するので問題ないと思います。
つぎに話題性ですが、Pasternさんが言及されている様に、一定の範囲の出版物を、特筆性を裏付ける出典とは認めず(加筆のための出典としては問題ないでしょうが)、競馬に特化していない媒体を出典として求める事で合意できれば、競馬を知る人がほとんど特筆性を認めていないのにWikipedia:特筆性を満たしている馬に対応できると思います。
具体的に競馬界の価値観に沿った判断が必要になってくるのは、競走成績と繁殖実績です。
重賞未勝利の競走馬を参照すればわかりますが、種牡馬はほぼOKと言うのが現状でして、そのためにかなり競走成績の低い馬が存続しています。
種牡馬=OKとなっている是非はともかく、ここでもやはり「種牡馬」としての特筆性と、競走成績の特筆性は切り離して議論した方がよろしいと思います。
以下に節を展開してより具体的な議論をお願いしたいと思います。--クレイジャン 2010年12月25日 (土) 12:09 (UTC)[返信]
確か過去ログでも同様の指摘があったと思いますが、難しいのはロイスアンドロイスのような馬の扱いでしょう。競走成績、繁殖実績、話題性、記録、それぞれの要素だけを見ると特筆性の根拠を見出しがたいように思うのですが、おそらく削除依頼が出された場合には存続意見が相当数つくのではないでしょうか。具体的には、それぞれ単独では十分な特筆性の根拠とはなりがたい(オープン特別勝ちがなく、G3で3着3回、G2で2着1回、G1で3着2回という)競走成績と、そのような競走成績の特徴に関するいくらかの話題性を総合すると存続へ近づいていくという印象です。この馬のように、結局のところ基準の混同といいますか、合わせ的・総合的判断が避けられないケースもあるのではないでしょうか。個人的な意見としては、どの馬を当てはめても白黒がはっきりつく基準作りを目指すことはあきらめ、明らかに特筆性がある(つまり記事を作成しても大丈夫)と認められる基準をいくつか設けて、「これらの基準を一つも満たさない馬については、削除される場合があります。過去にどのような馬について削除依頼が出されたかについてはWikipedia:削除依頼/ログ/競馬をご覧ください」とするしかないと思います。--Pastern 2010年12月26日 (日) 03:57 (UTC)[返信]
プロジェクト:競馬/立項されている重賞未勝利の競走馬(2010年12月18日 (土) 13:57版)で記事になっているもののを見直してみましたがいきなり種牡馬と書かれてあるものの中には、GI(級)2着馬も入っているので網羅的に出来ていないのが難点なんですよね。表作ろうと思いましたが、種牡馬の実績をExcelに整理するだけでげんなりしました。種牡馬のうち、ロイスアンドロイスより競走実績がだろうという馬(つまりGI(級)2着経験あり)はアサヒエンペラーグランパズドリームディヴァインライトラスカルスズカ。切り離して考えるということで繁殖実績のうち、重賞勝ち馬を出している種牡馬としてエイシンダンカークカバーラップ二世サンシャインボーイ・ディヴァインライト・ニューイングランドミラクルアドマイヤメイワパッサーヤマニンスキー、地方のみではゴールドヘイローフィガロモルフェデスペクタがいます。ほかの種牡馬は良血だとか兄弟姉妹が活躍しているから種牡馬になっているだけ実績なしと言ったところですね。オンファイア(全兄ディープインパクト)、スリリングサンデー(全弟ダイワメジャー)などは種牡馬になっているからと言って記事の存続価値があるかどうかは今後の繁殖成績いかんなのでしょう。--Wushi 2010年12月26日 (日) 13:25 (UTC)[返信]
ありがとうございます。
返信は下にしました。
プロジェクト:競馬/立項されている重賞未勝利の競走馬を改訂して見ました。
これで多少見やすくなると思います。--クレイジャン 2010年12月27日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

特筆性がある競走成績とは[編集]

すでに書いた通りですが、他の要因とは切り離して、競走成績のみを対象として、どの様な基準が相応しいのか議論をお願いします。具体的にはハルウララスーパーオトメフェアリーキングは考慮せず競馬界で高い格付けを受けているレースでの実績を残した馬を対象として下さい。提示された基準にハルウララスーパーオトメフェアリーキングが該当しなくても、これらの馬は、ここでは議論されていない別の要因で特筆性を満たしています。

よろしくお願いします。--クレイジャン 2010年12月25日 (土) 12:09 (UTC)[返信]

コメント PJ議論に参加するのも久しぶりで恐縮ですが、私は以前「競走成績以外で特筆性のない競走馬の記事の立項の最低条件は重賞勝ち」という意見を拝見したことがあります。多分PJ競馬の過去ログかなんかだと思いますけど。ただ最近はこの最低条件ですら曖昧になりがちで、オープン特別勝ちのみの馬や、重賞2着馬(例:エイシンタイガー)の記事が乱立しているのが現状です。一応特筆性なしのテンプレが貼られていますが、特に咎められることもないし、わざわざリダイレクト化するのも面倒なので放置してますが、さすがにカーマイン (競走馬)のような現状条件クラスの馬の項は必要ない(重賞勝ちor2着後に降級した馬除く)と思います。結論を言いますとオープン特別勝ちにしろ重賞2着馬にしろ一度はオープンクラスに昇級してから立項するのが望ましいと思われます。まぁ、こんなこと書いちゃうと捻くれた人が「2歳新馬始まる頃は新馬勝つだけでオープンクラスなれるんだから、記事立ててもいいよね」とか言い出しかねませんけどね。その辺のさじ加減は新規記事作成する人の良心に委ねます。長文失礼致しました。--Eruku11111 2010年12月26日 (日) 11:14 (UTC)[返信]
(追記)あ、あと少し追記で。Wikipedia:削除依頼/カーマイン (競走馬)でクレイジャン氏は「乱造の弊害が見えてきませんが。」と仰られていましたが、本気でそう思いますか?「良血」ってだけで条件戦走ってる馬は山ほどいますし、今回の件が存続として認められてしまうと、その条件戦を走る良血競走馬たちの記事が乱立されることくらい予想できるはずです。中身の無い記事が乱造されると仰られてますが、ぶっちゃけた話、先述したオープン特別勝ちや重賞2着馬の記事でさえもすっからかんな記事なのに、そのまま存続放置されている例が多いです。カーマイン (競走馬)が今後どういう成長を見せるのかは知る由もないですが、仮に今後記事の成長が望めないような凡走を繰り返して、尚も記事が存続していたら、「あんな馬の記事が存在するんだったら、この馬の記事も作っていーや」って思われる人が少なからず出て来ると思います。そうした乱立乱造乱発を防ぐために、せめて重賞勝ちやオープン勝ちといった成績が必要になってくるのではないでしょうかね?--Eruku11111 2010年12月26日 (日) 11:27 (UTC)[返信]
確かに競馬場に行くと、GIを複数勝った馬の産駒やその近親が条件戦で走っています((例)ファビラスラフインの産駒やフサイチエアデールの産駒(フサイチリシャールの弟妹ほか)。いくら良血だからと言ってそんな実績がない馬の記事を作成する必要はまったくないわけです。ノーザンファーム社台ファーム生産馬になると(他にもメジロ牧場などの大手もありますが)そのような馬は毎年いくらでもいて、セレクトセールなどで高値で競り値がついても結局鳴かず飛ばずの成績になるのが普通なわけです。最低でもオープン勝ち実績があってはじめて(2歳戦のみだとその後、条件馬に転落する可能性が高いのでせめて3歳、古馬オープンクラス)、記事を立てられるようにすべきじゃないでしょうか。重賞未勝利馬でグレーゾーンの境界線になるのが、上記に書いているロイスアンドロイスかその少し下くらいの馬になると思います。--Wushi 2010年12月26日 (日) 13:25 (UTC)[返信]
失礼ながら、この節で対象としてもらいたかったのは、あくまでも自身の競走成績でして、近親に活躍馬がいるかどうかについて、議論するのならば、別の節を作っていただきたいです(わざわざそんな事をしなくても、近親に活躍馬ばいるだけでは特筆性なしで異論はでないと思いますが)。
さて、PasternさんやWushiさんが具体的に示して下さっていますが、「競走成績での特筆性」があると思われる馬の最低のラインはG1三着、重賞二着、オープン特別一着と言った所でしょうか。
レディブロンドはこの条件には該当しませんが、オープン入りを条件とするとすでに指摘されている通り、2歳馬は一勝しただけでオープン入りできるのでオープン入りを基準として明記してしまうのは問題でしょうね。
オープン勝ちのないオープン入りしている馬については、「G1での好走等総合的に判断」で良いかも知れません。--クレイジャン 2010年12月27日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

えっと、自分の意見を。成績面「だけ」の特筆性で言うと、「JRAのGI、JpnI、J・GI、地方の統一GIに格付けされている競走の優勝馬」じゃないかなと。海外はちょっと分かりかねますが・・・。グレードとしては一番上の競走なので、勝ったこと自身が特筆すべき点じゃないかなと思います。むろん、それより下の格付けのレースを優勝していても、そのことが特筆すべき点であるというのが信頼性の高い出典で分かるのであればOKだと思いますが。--PALNAS 2010年12月27日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

はじめまして。ご意見聞かせていただけないでしょうか。レジェンドハンターの項目が無いのには何か理由があるのでしょうか。G2勝利・G1二着(一番人気)の実績があり、競走成績でも話題面でも記事に値すると思うのですがいかがでしょうか。「競走成績での特筆性」に関しては競馬は3着まで馬券対象であることから多くの競争馬・陣営が目標とするG1での三着馬は記事作成に値すると考えます。ただし個人的には重賞二着・三着馬は成績面だけでは不十分だと考えます。 --Giffen 2010年12月28日 (火) 11:38 (UTC)[返信]

コメント レジェンドハンターの記事が赤リンクなのは、誰も資料を現段階であまり持ち合わせていないからではないため、手が回っていないのが現状だと考えます。ラガーレグルスを負かしたデイリー杯3歳S朝日杯3歳ステークスエイシンプレストンの2着は実績として特筆性はあるかと思います。出来れば、ネイティヴハートコスモバルクのように中央に挑戦し続けた笠松の雄みたいな記事に仕上げてくれることを期待します。因みに当馬の実績は中央・地方合わせて61戦26勝、2007年11月まで現役だったとか(→参考地方競馬_データ情報_レジェンドハンター)。--Wushi 2010年12月28日 (火) 12:11 (UTC)[返信]
コメント こんにちは、いつものキチガイ削除厨です。
レジェンドハンターは実際のところ、書こうとする人がいないだけかと思われます。競馬記事の編集はつい最近の中央競馬に関する記事に偏重しがちで、少し昔に遡ると中央の重賞勝ち馬ですら補完できておらず、クラシック勝ち馬に至っても赤リンクのものが多く存在します。競馬の記事なんて書く気のある人さえやれば、資料はなくともちょちょいと1日と掛からずにできるようなもんです。競馬分野に限らず、結局はそういった物好きなお方の登場に期待するほかありません。
競馬記事の書き手・編集者の考えも様々で、特に私のようなGI級勝ち馬でも削除依頼を検討するようなキチガイもいるし、一方で「記事そのものにはなんの問題はない」とだけ言い残して、すべての削除依頼で無条件に存続票を投じる参加者もおります。これはさすがに両極端な例ですが、おそらく個々の意向は一致しないでしょうから、削除主義者も包括主義者もそうでない人も、どこかで妥協点を取らざるを得ないと思うのです。戦績のみの話であれば、現状で実質の基準となっている「重賞勝ち」あたりを線引きとすれば、おそらく多くの参加者の間で折り合いがつくと思うのです。
一方で「重賞○着」については、やはり特筆に値しないと思ってしまうのです。ロイスアンドロイスの場合はその回数が多いことが注目に値するわけであり、2着のひとつひとつそのものには大して評価するほどの価値を見いだせておりません。一方で、「一部で話題になった」と記事中で言及されている割に、ロイスアンドロイスの記事には出典がひとつもないんですよね……話題になった媒体、なんか残っていませんでしょうか? --by(あ) 2010年12月29日 (水) 03:53 (UTC)[返信]
レジェンドハンターに関してのコメントいただきありがとうございました。時間があるときに記事作成に挑戦したいと思います。--Giffen 2010年12月29日 (水) 12:57 (UTC)[返信]
重賞勝ち以外でも重賞2着やGIであれば電光掲示板に載る5着までは十分特筆性があるように思います。出典がほとんど見つからないであろう時代のクラシック制覇馬などでも特筆性ある成績を修めた競走馬は記事があって良いと思います。それこそ中国の周王などはそんなような人物だらけです。ナカミアンゼリカなどは是非作成してほしいところですが資料をお持ちで書こうとする方が現れるまでは難しいでしょうね。--Tiyoringo 2010年12月29日 (水) 06:38 (UTC)[返信]
例えば「重賞2着」でも、それが例えば地方所属馬として初の快挙である場合は特筆性があるでしょうし、JRA所属馬であれば普通にありえることであり、特筆性は薄いでしょう。同じ着順でも異なるケースがあるので、成績「のみ」で考える場合は少なくとも「優勝」だと思います。「重賞」が良いかどうかは若干の疑問がありますけど・・・。たぶんJRAしか想定して無いような。あと、中国と競走馬は話が違います。--PALNAS 2010年12月29日 (水) 07:59 (UTC)[返信]
いつぞや、地方重賞馬の記事が「実績たらん」として削除されたことがありましたっけね。
なんで電光掲示板に特筆性があると仰られるのか、よく理解できません。特筆性のありそうな2着というと、ロッキータイガーが地方馬として初の2着に食い込んだジャパンカップや、日本調教馬として初めて凱旋門賞で2着に入ったエルコンドルパサーの快挙などでしょうか。
乱暴なことを言うと、資料が確保できないならば周王朝も歴代の王をわざわざ単独立項する必要ないはずなんですよ。こうやって特筆性がないものの例としてあげつらわれる程度の特筆性なんですから、周の記事または「周王朝の王一覧」のようなものでまとめておけばいいようなもんなんですよ。なんでしたっけ、以前にも田舎の駅がどうとかこうとかって、よくわからないことを言われた気がします。 --by(あ) 2010年12月29日 (水) 10:07 (UTC)[返信]

成績だけで言えば、文句なしに存続と言えるのは重賞勝ち以上という見解です。G1を含む重賞で2着、オープン特別を1勝程度ですと、単独では苦しい印象です。--Pastern 2010年12月29日 (水) 12:45 (UTC)[返信]

資料が確保できないならばと仰いますが、競馬の場合、カーマインですら資料が確保できてしまいますので、それとは別の話でしょう。
それから、今は特筆性の話をしているわけですが、もしGI級勝ち馬の削除依頼を特筆性を理由に検討されたのなら、失礼ながら、方針文章への理解が十分であるのかどうが疑問に感じてしまいます。
たしか、以前PJで議論になった時は、記事の成長可能性から依頼を出す事を検証されていたはずですから、杞憂かと思いますが。
さて、ここまでの流れを見ると、「重賞勝ち」が大きな目安となる一方で、それだけでは対処しきれない部分があって、「重賞勝ち」と明記していまうのは問題がある、という感じですね。
G1二着は、重賞勝ちよりも価値が見出される場合が少なからずありますし、G1二着は特筆性があると見てよろしいかと思います。
問題はそこから下の重賞二着、G1三着、オープン特別優勝と言ったあたりでしょうね。
「○○二着はOKで、△△二着はダメ」という形で合意するのは難しいでしょうし、注釈をつくようでは明記される基準としても、不適切でしょうから、ハッキリとした一線を引けるのかどうか、さらに詰める必要があるでしょう。--クレイジャン 2010年12月29日 (水) 13:13 (UTC)[返信]
私はあまり競走成績で特筆性を求めるのには賛成できないのですが、強いて言うなら「JRAのGI、JpnI、J・GI、地方の統一GIに格付けされている競走の優勝馬」というPALNASさんのご意見に賛成ですね。
で、ここで検討を続けるのはいいのですが、これさえ満たせばどんなに内容が薄かろうと記事の存続を保障するようなものを考えているのであれば、それには反対します。--けいちゃ 2010年12月30日 (木) 17:13 (UTC)[返信]

コメント 個人的にはJRAやダートグレードの重賞勝ち馬については特筆性があると考えてもいいと思います。日本の競馬で最上位に当たるものといえば中央競馬ですし、ダートグレード競走についてはJRAのグレードと互換性があるので、これらの勝ち馬はOKだろうという理由からです。重賞2位についてははっきりと基準を示すことはできないんじゃないかと思います。1年間の重賞成績が全部2位だったとか、国際的にも名が知られている競走で日本調教の競走馬で初めて2位になったとかいろいろ考えられるので。そちらに関しては個別に考慮するしかないと思います。あとこれはあくまで特筆性に関する議論なので、内容が薄かったら特筆性以外の理由で削除される可能性は十分にあると思うので、けいちゃ氏の懸念は杞憂に終わるんじゃないかと。--五斗米道評定|戦歴|矢文 2010年12月31日 (金) 07:46 (UTC)[返信]

コメント 誤解されないよう最初に言っておきます。競馬に関心のある身としては、JRAでオープンまで出世したらそれだけで相当な上級馬ですし、競馬四季報なんかを見れば1勝以上の馬にはすべてコメントが付きます。重賞で掲示板に乗ったら大騒ぎですよ。しかし、総合百科事典であるウィキペディアの編集者として考えると、見方はかなり変わります。

「戦績に限定して」との議論のようですが、クレイジャンさんが始められた議論はつまり、「他には何一つ見るべきところはこれっぽっちもないけども、これだけの戦績があれば『特筆性がある』と公式認定するための基準制定」ですよね。仮にそうであれば、私は相当厳しい基準を設けざるを得ないと思います。一般の読者に「この馬は特別なんだよ」というためには、(今の)JRAG1(統一グレードも含めて。)を1つ勝ったぐらいでも怪しい。年度代表馬とか最優秀○○馬クラスでないと。もちろん、昭和50~60年代の「G1」と2010年の「G1」では星1つの重みが違うという点も考慮するべきです。ダイナアクトレスはG1を勝っていませんが、G1勝ち馬のコイウタより上に来ると思いませんか?単なるJRA重賞1勝馬であれば、各重賞記事の歴代優勝馬一覧で十分です。(しかし実際には、JRAG1を勝つような馬は必ずそれ以外の何かで特筆性を獲得しているものです。)でも、JRA賞最優秀2歳牝馬を見てください。かわいそうに、チャンピオンのノーザンドライバーやシノクロスでさえまだ赤字なんですよ。こういう赤字を残したまま「足切りライン」を議論するなんて、と思いません?(お前が書け、と言われてしまいそうですが)

以前から「どこかで線を引くのか否か」「引くならどこか」の二点の議論があり、どちらも多数の納得のいく結論が出ずに終息しています「基準は作成しない」という結論に至っています。私個人は「線は引かない」派です。個々の記事について「然るべき見識を備えた複数の選者」(=つまり、我々ですw!)による討議によって取捨するということです。理由:「線の設定が難しすぎる」「線を引くことで、『線内でありさえすればいくらでも記事を立てていい』『線外であればどんな馬の記事でも削除する』」という編集者が現れるという懸念」を挙げます。基準を設けることは、低質な記事を乱造することを防止するどころか、かえって促進する結果になるだろうと考えます。「戦績に限定して特筆性について議論する」という行為自体に危険性を感じます。「特筆性」を担保するのは記事の内容であるべきです。「○○であれば特筆性がある」と決めるのは楽ちんですが、ここから「○○でないから特筆性がない」という論法に発展することには強い懸念を提起しておきます。

以下、「個々の事情に鑑みると特筆性があるように思われるが、機械的に線引きされると削除される懸念」の例をいくつか。

  • (1)JRA重賞(統一グレードも含めます。)を基準にするというのは馬鹿げてさえいると考えています。確かに、JRAのG3の優勝馬Aと地方競馬の重賞を連覇した馬Bを並べて走らせたら、多くの場合JRA馬が先着するでしょう。しかしそれでも、JRAにおけるAの価値と、地方競馬におけるBの価値とでは、Bのほうが上なのです。笠松で統一グレード対象外の全日本サラブレッドカップを勝った馬と、JRAでG3のシリウスステークスを勝っただけの馬の、どちらがより「特筆性がある」かと言えば、問答無用で全日本サラブレッドカップです。「特筆すべき戦績」と「強い弱い」は必ずしも一致しません。特筆性というのは、ある集団の中で何かの観点で抜きんでているということです。「集団」の設定しだいでどうにでもなります。「JRA所属馬の中での戦績の特筆性」と言った場合にJRA重賞実績を持ち出すことは強くは反対しませんが、「日本の競走馬」に対して「JRA重賞」を基準にすることには強く反対です。
  • (2)過去に比べて、現在は重賞の数が増えています。誤解を招きかねない乱暴な言い方になってしまいますが、G3時代のフェブラリーハンデの勝ち馬とダートのG1が増えた現在のダートG1勝ち馬では、フェブラリーハンデ優勝馬の方が「より価値が高い(高かった)」場合が多いと感じています。
  • (3)定番ですが、現在的にはシャコーグレイドはよくある皐月賞2着馬にすぎません。しかし、「シンボリルドルフの仔であるトウカイテイオーに迫った、追い込み一辺倒のミスターシービーの仔」であったがゆえに、ちょっとした特筆性を獲得したはずです。こうした個々の事情を人の手で選り分けてこそ有意な情報になるのであり、機械的に「重賞優勝」みたいな基準で選別するならば、別の専門サイトのほうが豊富な情報を手に入れることができます。
  • (4)私の主戦場である戦前期には「重賞」の概念すらあやふやですし、相当する競走の数も僅かです。しかし「重賞」ではない「優勝戦」をいくつも勝つというのは類稀な戦績です。
  • (5)当PJに限った話ではありませんが、「たまたま競馬に分類されるから」我々が仕切ることになる主題というものがあります。ハルウララなんかがそうです。重賞未勝利の競走馬では「記録」に分類されていますが、私はむしろ「話題性」になると思います。ハルウララは我々が通常用いる基準(すぐれた競走成績)ではないところから特筆性を獲得した「社会現象」です。たまたま競走馬であるために、我々が仕切ることになるわけです。(そんなものが存在するかどうか知りませんが)本当は「テレビ芸能PJ」みたいなところが取り扱うべき主題です。我々の縄張りに出現したために血統表なんかが整備されちゃっていますが、ハルウララの場合、たぶん血統なんてどうでもいいんです。近親の活躍馬なんて完全に不要な情報で、そんなことよりも尻尾の長さが何センチだったとか、何本毛があるとかの方が重要な情報でしょう。競馬PJのみなさんが多く編集にかかわっていますが、競馬とは無関係の人が編集したほうがいい記事になったかもしれません。
  • (6)個々の1頭1頭は「特筆性」未満でも、それらを束ねることで「特筆性」になりうると考えています。かつてナリタブライアンの記事でナリタブライアンと戦った主な競走馬という節が一時的に採用されていました。現在はエアチャリオットやサクラスーパーオー、イイデライナーの記事はありません。しかし、ナリタブライアン(という現象)を理解するためにこれらの馬についても何か書かれるべきだと思いませんか?クラシック戦線では単なる新馬戦や条件戦が、地方開催の古馬G3優勝馬よりも特別視される傾向の存在は否定できないと思います。単独では記事にできなくても、このような手法もありうると思います。(恨み言を言うようですが)逆に、ボージェストのような記事もあります。かつて私が書いた「華麗なる一族」が分割されてできた記事です。はっきり言って、この馬の競走成績では「特筆性」はありません。あくまでも「華麗なる一族」という主眼で見た時に重要なのであって、単独の競走馬としてはほぼ無価値です。
  • (案1)手間がかかるという点で実現性の乏しい案ですが、JRAに関しては単純に「重賞優勝」よりも、公式なレーティングを基準にするという方法も考えられます。これだと、レベルの高い競走では3着や5着でも「特筆性」を獲得し、一方で「どうでもいいG3」の優勝馬は除外されます。毎年何10頭も「どうでもいいG3」の優勝馬が誕生する一方で、過去の年度代表馬でもスタブ級の記事は多く残っています。
  • (案2)ブラックタイプも一つの指針になるように思います。少なくとも、当PJ内のローカルルールよりは、より広い世界で受け入れられている基準です。
  • (提案)「平成○年生まれの競走馬」のような記事を作ってはどうでしょう。クラシック戦線がらみの速報的な馬についてはひとまずこちらに置き、単独で立項に値するようになったものは独立させるとか。2010年の日本競馬なんかが現状ではこれに近いんですが、いろんな情報が多すぎて、私はあんまりこの記事好きじゃないんですよねwなにが重要で何が些末な事なのか、パッと見ぜんぜんわからなくて。(まあ、何が重要かは受け手によって異なりますからね。私の立てた記事とか、多くの人にとって重要とは思えないものばかりでしょうし。)
  • 基準、必要ですか?若葉ステークスの歴代優勝馬を見てください。単独で記事になっている馬とそうでない馬を比較したとき、「概ね妥当な取捨選択が行われている」と思いませんか?私の個人的なセンスで言うと、ハシノケンシロウ(G3×3勝)やシルクライトニング(本番の皐月賞で2着)、マイネルプラチナム(G3勝ち)の記事が無く、その代りにペルーサ(G3勝ち)、ベストメンバー(G2勝ち)、フサイチジャンク(テレビ番組『ジャンクSPORTS』で頻繁に取り上げられた)の記事はあるというあたりに多少の違和感を感じるものの、まあこんなものかな?とは思います。個人的には「テレビでよく取り上げられた」というのはどうかと思いますが、テレビに強い影響を受ける人が少なくないのも事実なので、マイネルプラチナムよりもフサイチジャンクのほうが特筆性があるとみなされるのも仕方がないのかもしれません。このように個人の感じ方で一定のブレはあるものの、明確な基準がなくても、(人々の努力によってですが)概ねマトモな状態が維持されていると考えます。--零細系統保護協会 2011年1月4日 (火) 10:36 (UTC)[返信]

(追記)クレイジャンさんが念頭におかれているサッカー選手の基準なんですが、実情はたった2人だけで決めた基準なんですよね。きっと参加者がもっと多ければ基準作成は難しかったのではないでしょうか。PJサッカー選手で設定された基準は「然るべき団体に所属したこと」です。「優秀さ」ではありません。基準としては明確に線が設定できます。おそらく、学生や非Jリーグの地方の選手の記事が乱造されるのを防ぎたかったようです。こういう基準を競馬に持ち込むのは容易ですがバカバカしいものになります。つまり「JRAかNARの所属馬に限る。」となります。明確で、争う余地はなさそうに見えますね。でも、バカバカしいようですが、「オグリキャップの第一子誕生!」みたいな場合に記事作成ができなくなります。登録できる年齢に達する前の血統馬(メジロリベーラ)やセリで高額ついて世間の話題(サンゼウス)になったような場合でも排除されます。(もちろん、やがて正式に登録を受けると記事作成が可能になります。)未登録のまま繁殖用になったものも排除されますよね。ところでそもそもこれらは未だ「競走馬」ですらないわけですが、PJ競馬が取り扱うべき主題なんでしょうか?超高額の仔馬が世間の話題になった場合、もちろん将来の競走馬として購入されるので「競馬」に関わる話題であることは自明ですが、上で設定した定義に抵触します。サッカーについえは無知なのでよくしりませんが、「ものすごい高校生選手」みたいなのが出た場合も、PJサッカー選手では記事作成はNGなんでしょうかねえ。もうひとつ、おそらく皆さんが想定していないような例を出します。皆さんは草競馬や祭礼競馬の競走馬(なのか?)の記事を見たことがありますか?私はありません。たぶん、今まで誰も書いていないからです。しかし、もしですよ、伊勢神宮で毎年開かれる祭礼競馬で5連覇した馬が登場して、それがかつてJRAの未勝利級に所属していたサラブレッドで、父親がナリタブライアンで、引退後○○神社で神馬となっている。なんて記事を立てたらどうしますか?私はすごい特筆性があると思いますが、皆さんはどうお考えでしょう。5連覇ではなく初優勝だったら?父親がナリタブライアンでなかったら?たとえば現在の伊勢神宮の神馬のうち1頭は昭和55年生まれのアングロアラブ・桜澤号で、その気になれば血統表もできちゃうわけです。桜澤号の場合は最初から伊勢神宮の神馬として育成されており、たぶんPJ乗馬の範疇なんですが、もうちょっと「格下の」神社の場合、競走馬上がりの神馬もいるわけです。競技馬となって大成した元競走馬もいますよね。そもそも、その記事は競馬PJの扱う範疇に入るのでしょうか?「競走」馬じゃなくなったらPJ乗馬かな?基準作りって難しいです。--零細系統保護協会 2011年1月4日 (火) 12:01 (UTC)[返信]

年末年始は書き込めず失礼いたしました。
さて、そもそもこの提起をした理由は、競走馬なら、特筆性を満たせる出典があふれており、これを放置しても良いのか疑問だったからです。
私は個人の主観に基づく特筆性は一切考慮しておらず、ベースとなるのは公式に示された特筆性です。
Wikipedia:特筆性より引用
  • 「有意な言及」とは、記載しようとしている話題についてその情報源が直接的かつ詳細に述べていて、独自研究的な解釈に拠らなくても、その話題に関する内容が読み取れることを意味します。有意な言及とは「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上ですが、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくてよいでしょう
  • 信頼できる」とは、信頼できる情報源のガイドラインに書いてあるとおり、情報源が、特筆性の検証可能な評価になりうるだけの編集上の完全性・自立性を必要としているということを意味します。情報源は色々な形式・メディアで公表された作品が含まれているでしょう。
以上が公式な特筆性であり、丁度例に出されたので便乗しますが、例えば競馬四季報に載っているコメントは、その競走馬はその話題は単独記事としての収録基準を満たすことが推定されます。となっています。
まあ、四季報のコメントのみで、Wikipedia:特筆性を満たしていると言い切ってしまう気にはなりませんが、競走馬を扱うメディア媒体は他にもあり、カーマイン程度の馬でもWikipedia:信頼できる情報源に該当する「取るに足らないようなもの」以上の出典を複数見つけられるでしょう。
この場合、出典として想定しているのは、スポーツ新聞、競馬新聞、競馬雑誌、POG本ですが、それもまた大部分が自己発信ではないWikipedia:信頼できる情報源の条件を満たしていると考えられるものです。
ウィキペディアの編集者として考えられるのなら、方針文章を念頭に入れるのは最も基本的な事ではありませんか?
Wikipedia:特筆性を満たしている馬に、「特筆性無し」と削除票を入れる行為は、方針文書を理解していないと取られても仕方が無いと思います。
方針に則った記事を主観で削除してしまうのは、明らかにおかしいでしょう。
Wikipedia:特筆性と競馬の常識との間にあるギャップが放置されているのが問題だと思います。
だから、「Wikipedia:特筆性を満たしていても、最低限これだけの成績を残していなければ特筆性があるとは言えない」とする基準があれば、都合が良いのではないかと思ったわけです。
以上のような事を踏まえてコメントをお願いします。
それから零細系統保護協会さんの書かれた事は重要だと思いますが、一部は別の節で扱う事ではないでしょうか?--クレイジャン 2011年1月4日 (火) 13:50 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。別の節で扱うべきとのご指摘はおっしゃるとおりです。あちこちに分けて書くのもわかりにくくなるかな、と思い、まとめて書いてしまいました。すいません。
クレイジャンさんのお考えは、
(1)現状では明文化された基準がないので、ウィキペディアの方針に従って何でもかんでも記事を立てることが可能である。
(2)ウィキペディアの方針である「特筆性」=Wikipedia:特筆性に従うならば、競馬四季報やスポーツ新聞を論拠に最下級条件馬の記事も設立可能である
(3)それはよくない
ということでよろしいでしょうか。加えるならば、
(4)現状では記事削除に関する判断は客観的ではない主観に委ねられていて方針違反である、でしょうか。
仮に上記のまとめがクレイジャンさんの意に沿っているならばですが、おっしゃることは理に適っています。理に適っていて反論が難しいです。
私は、現状(過去も含めて)の個々の事例では、削除に関して概ね公正な(真っ当な、納得のいく、おかしくない)判定が行われていると感じています。仮に何かの基準を設けたとします。ボーダーラインの記事が登場し、削除の議論になったとき、基準があることで今以上に「公正な(真っ当な、納得のいく、おかしくない)判定」が行われるようになるかというと、そうは思いません。今と変わらないか、基準をタテにとった議論が公正な判断を妨げる事例が増えると懸念します。基準に従って迅速に判定が下されることはあるでしょう。しかしその判定が今よりも納得感のあるものになるとは思いません。線を引くという行為は乱暴な行為ですが、だからと言って例外を認めると線を引く意味や、線を設定する労力が無駄になります。それでもその乱暴な行為に踏み切るのであれば、相当なメリットがあり、デメリットを凌駕するという必要があると思います。しかし、過去に繰り返されてきた「基準を作っても、低質な記事を乱発する人は基準なんて見ない、守らない」という主張は理に適っており、メリットなんて全然ない、と思えます。
(4)の「主観に委ねられている」点についても、結果を振り返った時に、私はPJの皆さんは概ね妥当な判断をしており、基準がないことがおかしな状況をもたらしている、とは思いません。方針文書の無理解と批難されようとも、『競走馬を百科事典に掲載すべき特筆性とは出典があることである』という論理には反対です。百科事典は森羅万象を扱っています。毎年生える草木の一本一本についてのソースなど世界中探し回っても存在しませんが、競走馬は毎年生まれる何千頭すべてに出典が存在します。だからと言って1頭1頭すべてに特筆性があるという解釈は、むしろ方針文書の曲解とすら言えるのではないでしょうか。(クレイジャンさんが曲解しているということはなく、クレイジャンさんは、方針文書を遵守するとこういう曲解を許してしまう危険性について懸念されているのだ、と私は考えています。)出典があるということは、「存在する」ことを確認するための手段にはなりますが、出典の存否が百科事典に載せるに値する事象かどうかの判断材料であるとみなすことが、「方針の正しい理解」と言えるでしょうか。弁別は必要です。そのためのPJです。
ところで、もしどうしても「基準」ありき、とするならば、私は次のような提案のほうがすんなりいくんじゃないかと思います。
  • 「掲載頭数」をまず決める。「2010年生まれの競走馬は10頭に限る」とか「2010年の活躍馬は10頭に限る」とか。
執筆者の数や資料の状況に鑑み、「2010年は30頭だけど1910年は3頭だよ」などの差はあってもいいかもしれません。もちろん、これでも「どの10頭が相応しいか」で紛糾するでしょう。しかしそれでも、「重賞○着以内」のような基準よりは有意な基準になると思います。これは本気の提案ではありません。(Gokiさんがいないので私が反対派の先鋒になってしまいそうです。)(蛇足)私的な感想にすぎませんが、私は「スポーツ新聞、競馬新聞、競馬雑誌、POG本」はウィキペディアの執筆の出典として十分な「信頼性」があるとは感じていません。もちろん「メジロ○○は3枠6番で、前走の上がりが31秒だった」みたいな情報の出典としては疑いませんが、「無事なら間違いなく三冠」とか「メンコを変えたのが奏功して」みたいな眉つば情報が多すぎます。こういう記事をベースに「無事なら三冠という意見も多かった」みたいなウィキ記事が無数にあることがすごく居心地悪いです。そんなのを全部気にして修正したらキリがないので触りませんが、せめて「○○新聞はこう書いた」とかにしてほしいと思っています。--零細系統保護協会 2011年1月4日 (火) 15:37 (UTC)[返信]
削除依頼の提出者を人格攻撃したり、他分野のマイナー記事で喩えたり、依頼文を斜め読みして揚げ足取りしたりといったようなものを「良識」だの「美徳」などと呼ぶのなら、そんなもの糞喰らえです。ご心配なさらずとも、私のようなクズ池沼チンカス親不孝アンポンタンの腐れ外道でも、基準を盾にハルウララやカバーラップ二世の記事を削除依頼に掛けるような愚行犯しませんよ。私のような最底辺がしないんですから、他の魑魅魍魎どもだってしませんよ。
それはそうと、そろそろ「競走成績以外の特筆性」「記事の品質」についてを話し合う別節を設けてもよろしいでしょうか? 脱線した私が切り出すのも難ですが、それぞれを分けておいたほうが議論がまとまりやすくなると思うのです。 --by(あ) 2011年1月5日 (水) 02:40 (UTC)[返信]
まず、(あ)さんはすこしご自身を卑下される言葉を謹んでいただけないでしょうか?
ご自身を本気でその様に評価されているのでしたら、議論の場に書き込むだけ無駄でしょうし、そう思われていないのなら、尚更本心とは全然違う事を書き込むのは無駄でしょう。
新たな節を設ける事ですが、よろしいと思います。
零細系統保護協会さんの私への考えへの解釈は大筋であっています。4に関しては、方針違反とまでは思っていませんが。
以下、この節とは違う話になりますので、説を作ります。
競走成績の基準その物に関しては引き続きこちらにお願いします。--クレイジャン 2011年1月5日 (水) 11:32 (UTC)[返信]
(あ)さんの「糞喰らえ」は私に対しておっしゃったのでしょうか…。人格攻撃や揚げ足取りはあんまりした覚えがないのですが、他分野のマイナー記事に喩えることはありますので…。Wikipedia:特筆性を盾にハルウララやカバーラップ二世の記事を削除依頼に掛けるような愚行はしない、ことを「良識」と表現していいと思います。--零細系統保護協会 2011年1月6日 (木) 13:25 (UTC)[返信]
失礼ながら、(あ)さんが仰っているのは新たに基準が設定された場合の話では?
Wikipedia:特筆性を根拠にするのならハルウララやカバーラップ二世も特筆性ありと簡単に判断されると思いますが。--クレイジャン 2011年1月7日 (金) 14:44 (UTC)[返信]

ここまで来て素朴な疑問で申し訳ないが、中央地方競馬アングロアラブの扱いははどうしましょう。いまや日本で競走馬登録をしている競走馬は皆無と言っていいうえ、存在そのもが過去の遺産的なものとなっています。だとしたらどこに特筆性を見いだし、どのように書きましょうか。---ステフ爺 2011年4月27日 (水) 13:26 (UTC)[返信]

競走馬の出典[編集]

前に書いた事と重複する部分もありますが、ウィキペディアにおける特筆性とは取るに足らない記述以上の内容の出典がある事でしょう。
生まれてくる1頭1頭すべての馬に出典があるのなら、1頭1頭すべての馬にウィキペディアの認める特筆性があるという事になります。
これは方針文書の文字通りの解釈です。
Wikipedia:特筆性のある馬を特筆性があると見なす事のどこが曲解か理解できません。
それこそ、PJのような所で明快な基準を設ける同意が得られているわけでもないのに、競走馬にはWikipedia:特筆性が該当しないと考えられる事は、ご本人が勝手にそう判断されているだけだと思いますが。
方針に沿って書かれた記事が、個人的な考えを根拠に削除されてしまうのはおかしいとは思われないのでしょうか?
それから、低質な記事への対処は加筆です。
そもそも百科事典的な記事になれないのであれば、削除が正しい対処でしょうが。
したがって低質な記事を乱発する人間が基準を守るか否かは、基準設定の是非に関係ないでしょう。
基準を設けた場合の弊害ですが、これはどのような基準を設けるかのよって大分変わってくると思いますから、その点を詰めてみないと何とも言えません。--クレイジャン 2011年1月5日 (水) 11:32 (UTC)[返信]
コメントWikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインには、「対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題は単独記事としての収録基準を満たすことが推定されます。」とあります。あくまでも推定に過ぎないわけですから、対象とは無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合にその記事が収録基準を満たすことを絶対的に保証する趣旨ではないでしょう。したがって実際には特筆性などないという意見が多く集まった場合、推定が覆されたとしてもそれがおかしいことだとは思いません。--Pastern 2011年1月5日 (水) 12:08 (UTC)[返信]
コメントクレイジャンさんの望む流れになる前に申し上げます。
この話題は過去に何度かPJで議題になっています。(基準が問題になったという点で「1敗馬」の議論も同質の議論だったと考えます。)
毎回、それなりに参加者の人的リソースを消費しています。
いずれも「基準をどこに設けるか」の議論以前に、「基準は不要」という形で終息しています。(※「基準は不要ということにします、以上、終了」と合意が形成されて完結しているということではありません。単に言いっぱなしでその後続いていない、という場合もあります。)
この議論を再開するのであれば、まずは「基準が必要かどうか」から始めてほしいです。これをしないまま各論に入っても、再び参加者のリソースを空費するだけです。
(長期の不在を含めてですが)割と初期からPJに参加している立場(別に古いから偉いということはないです。)から申し上げますと、
何度も基準作りに頓挫して、曖昧な指標しか無いのが現状」ではありません。
基準は不要との判断です。
競走実績と特筆性に関してプロジェクト:サッカー選手/サッカー選手記事の作成基準の様な踏み込んだ内容の基準があった方が良い」と、思っていません。
Wushiさんは「特筆性基準を作るのはPJ競馬の積年の課題」とおっしゃいますが、そうではありません。基準作りはPJの積年の課題ではなく、「あまりにも実績がなく、知名度もない馬の記事を作らない(実績か知名度どちらかが有ればいいです)。」と既に定まっています。
これ以上の基準は必要ですか?なぜですか?
すでにWikipedia:削除依頼/カーマイン (競走馬)を大きく超えるリソースが消費されています。(うち何割かは私の長文のせいですがw)
カーマインの削除依頼の結論に不満がありますか?
こうした既定のガイドラインを改訂して「基準」を作りたいとお考えなのであれば、過去の議論を踏まえた上で、まずは次の点について議論してください。
(1)基準とは何か
  • (1-A)削除依頼の際に機械的に存否を決する強制力を有する
  • (1-A-2)削除依頼の際に参考にするが個別事情も鑑みる
  • (1-B)単独記事立項の目安(分割や統合の判定の目安)
  • (1-C)加筆依頼、スタブかどうかの判定に用いる
(2)このような基準は必要か
(3)基準はどのような形式か
  • (3-A)一定以上の戦績の馬については機械的に存続を認めるが、それ以下については機械的に削除とする
  • (3-A-2)一定以上の戦績の馬については機械的に存続を認めるが、それ以下については個別判断。
  • (3-B)一定以下の戦績の馬については機械的に削除とするが、それ以上については機械的に存続を認める。
  • (3-B-2)一定以下の戦績の馬については機械的に削除とするが、それ以上については個別判断。
  • (3-C)戦績に拠らず、客観的な基準。(例)JRA所属馬(出走馬)は可、未登録・未出走は不可、NAR所属馬は不可、など。
  • (3-D)戦績に拠らず、客観性が難しい場合。(例)社会一般で話題になった。
  • (3-E)数に歯止めをかける基準。(例)2010年生まれの競走馬は20頭まで。
※「戦績」と表現しましたが、単なる競走成績以外の尺度を用いることも可能です。たとえば獲得賞金とか、レコードを出したとか。
サッカー選手の基準を参考にするならば、機械的に存否を決する効力を持つ、ということですよね。もし、そうでないのならば、現行の基準では何が問題ですか?クレイジャンさんがPJが提示している現行の“基準”に不満があり、再三にわたって「Wikipedia:特筆性を根拠に立項可能と解釈できる」との主張を繰り返されているということは、私が上にあげた中から(1-A)かつ(3-A又はB)の基準を定めなければ、クレイジャンさんは納得されないのでしょうか。そうでなければ結局抜け道がありますからね。--零細系統保護協会 2011年1月6日 (木) 13:16 (UTC)[返信]
(追記)低質な記事への対処は加筆です。そもそも百科事典的な記事になれないのであれば、削除が正しい対処でしょうが。したがって低質な記事を乱発する人間が基準を守るか否かは、基準設定の是非に関係ないでしょう。
「低質な記事」と「基準に満たない馬の記事」は違います。低質な記事とはこういうもの[1]です。加筆すれば低質ではなくなります。仮に乱立されても、いつか誰かが加筆するかもしれないな、と思えるランクの馬です。一方、未勝利戦1勝だけの馬の記事にどれだけ加筆して体裁だけ百科事典風を装っても、(下の節で言う一般的な用法における)特筆性がない馬であれば削除が妥当でしょう。--零細系統保護協会 2011年1月6日 (木) 14:02 (UTC)[返信]
順を追ってお答えします。
まず、現状の基準についての不満ですが、「どうとでも解釈できる」です。
極端に言えば多くの馬が未勝利のまま引退していく中で、勝利を収めたカーマインは十分実績があるとも言えますし、G1を1回しか勝っていないサイレンススズカはディープインパクトやウオッカに比べて実績がないとも言えます。
利用者間で解釈が大きく食い違ってしまうような基準が、記事の存廃に重要な役割を持っているのは、大きな問題でしょう。
さて、再度書きますが、私は一定の成績を収めた馬なら機械的に存続出来るとか出来ないとかそのような話は一切しておりません。
Wikipedia:特筆性を満たしていてもこれだけの成績が無ければ競走成績からは特筆性があると見なせない(他の要因からの特筆性はありうる)」という指標が必要だろうと言っているわけです。
その辺りの事を正確に把握しておられるのでしょうか?
過去の同様の議論のログを見ても、本来切り離して考えるべき事を混同して論じたために混乱していた印象がありますが。
それから、基準が必要か否かの議論ですが、私が最初に作った節で議論されればよろしいのでは?
ついでながら、私はWushiさんと違って新参ですが、私も「特筆性基準を作るのはPJ競馬の課題の1つ」と考えておりました。--クレイジャン 2011年1月7日 (金) 14:44 (UTC)[返信]
過去の実例に鑑み、「利用者間で解釈が大きく食い違ってしまうような基準が、記事の存廃に重要な役割を持ってい」ませんので、「大きな問題」となっていません。削除された記事は参加者の概ねの一致をによって削除されています。ご安心ください。
「一定の成績を収めた馬なら機械的に存続出来るとか出来ないとかそのような話は一切して」いないのであれば、まずその話からするべきです。なんのための基準かを決めずに、基準の内容をあれこれ言うのは無駄です。PJが過去に積み重ねてきた議論によって、現行以上の基準の設定は不必要と考えます。これまでの議論を覆す必要があるとは思いません。
「私はWushiさんと違って新参ですが、」については少し驚きました。クレイジャンさんの投稿記録を拝見しますと、一度も競馬記事の編集をされていないのですね。
過去の議論を拝見しますと、クレイジャンさんは1年前に低質な記事への加筆についての発言でPJの皆さん((あ)さん、廉さん、Star-dustさん)から反対された末に議論を打ち切られていますよね。反対された皆さんは、非常に多くの競馬記事を執筆なさっている方々です。クレイジャンさんはその後も、1行も記事の加筆をされていませんよね。
率直な感想を申し上げると、基準云々を議論する前に、「まずは競馬関連記事の編集をされてはいかがですか?」と思います。競馬関連記事の編集を行わないのであれば、基準など不要でしょう?--零細系統保護協会 2011年1月7日 (金) 16:50 (UTC)[返信]
私が言った覚えのない事を私の考えとして想定されたり、また、わざとやっているとは思いたくないですが、私がすでに書いた事を読んでおられたら、まずされないだろうと思われるような書き込みをされるのは何とかならないでしょうか?
まず、過去の削除依頼の話ですが、審議が継続していない依頼はなんらかの「一致」の体裁をとるわけですから、削除が「一致」によって行われるのは当たり前で、それが現状の基準を弁護する事にはならないでしょう。
基準が恐ろしくでたらめな内容でも、終了した削除審議は一致」の体裁をとるはずです。
それから何のための基準を想定しているのかは、既に何回か書いておりますが、何故「なんのための基準かを決めずに」と仰られるのでしょうか?
ついでに、過去の私の編集活動は大変情けないものですが、本件の本質には一切無関係でしょう。--クレイジャン 2011年1月8日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
(1)「削除が「一致」によって行われるのは当たり前」ではありません。賛否両論の結果、多数決で決まります。反対意見があっても削除されます。
実績[2]をご確認ください。
削除されたものも含め、サラブレッドの記事は約2600頭です。過去5年間の削除依頼の頭数は約52頭です。(著作権絡みの削除依頼があるので数がややブレます)削除依頼という形で疑義が提出されたものは2%ということです。基準に解釈の余地があるといえども、98%は削除依頼を出されるほど、誰かにとって「これは怪しい」と思われていないのです。
削除依頼の52頭のうち、票が割れて倍以上の差がつかなかった事例は11件です。8割は、倍以上の差で意見の一致をみています。5年で11件ですよ。1年にたったの2、3件です。2600頭で11件、0.4%です。
これが実績です。あなたは現行の基準に危機感を持っているようですが、杞憂です。
(2)他の節でも書きましたが、「なんのために」という言葉がうまく伝わらなければ、「どのように運用するのか」と言い換えてもいいです。
機械的なものか、そうでないのか、これ以上はOK、なのか、これ以下はNGなのか、先にそれを決めずにどこに線を引くか考えても議論が定まりません。議論を効率よくすすめるために、まず「基準とは何か」を定めましょうと言っているのです。
(3)突き詰めると、目的は、基準を改めることでPJにどんなメリットがあるのか。
メリットがあまりにも大きければ、乱暴に線を引くことも許容されるかもしれませんね。現行の基準が「客観的で誰がみても解釈の余地やブレが無い」ものでないことは認めます。
では、そのせいで問題が起きているか?上で示したように、記事の99.6%は解釈の余地にもかかわらず問題になっていません。あなたが言っている「危険性」は実在しないのです。
あなたの発言「極端に言えば多くの馬が未勝利のまま引退していく中で、勝利を収めたカーマインは十分実績があるとも言えますし、G1を1回しか勝っていないサイレンススズカはディープインパクトやウオッカに比べて実績がないとも言えます。」
たしかにそう言えますね、でも実際にそんなこと言っているのはあなただけですよ?カーマインは12対0で削除されていますね。
(4)基準の改訂によってPJに何がもたらされるか、が重要な本質です。
あなたは一切競馬記事の編集を行っていません。基準をいじっても、メリットもデメリットも実際に享受する立場にないのです。それなのに、実際を無視し、形にばかりこだわった空論を繰り返しているので説得力に欠くのです。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 16:21 (UTC)[返信]
過去の実績と言われますが、意味のわからないものを基準に記事の存否を決めなければならない原状は放置して良いものではないでしょう。
大部分の馬は、各利用者の競馬の知識に基づいた「この馬は実績がある」「この馬は実績がない」という判断が一致するでしょうが、現に、それが割れてしまう例は10以上あり、その場合に指標となるべきPJの基準が、問題を解決するために役にたっていないわけです。
基準が曖昧であるために、本来削除すべきではない記事が削除されてしまう可能性は、紙面にとらわれず史上最大の百科事典を目指すウィキペディアの目的にもそぐわないでしょう。
本論は次の節に譲ります。--クレイジャン 2011年1月10日 (月) 11:52 (UTC)[返信]
「意味のわからない」ですって?個々の事例において、判断する個々の執筆者が、各人の考える「実績」に基づいて行動した結果、0.4%しかブレていないのです。あなたの言っていることは論理だけの空論で、実際を無視しているのですよ。私も本論は次節で。--零細系統保護協会 2011年1月10日 (月) 14:32 (UTC)[返信]

「Wikipedia:特筆性のある馬を特筆性があると見なす事のどこが曲解か理解できません」について[編集]

すみません、節わけちゃいました。
本人が勝手にそう判断されているだけだと思いますが。方針に沿って書かれた記事が、個人的な考えを根拠に削除されてしまうのはおかしいとは思われないのでしょうか?についてですが、過去の事例をみても、多くの執筆者の合意によってWikipedia:特筆性を満たした記事が削除されています。つまり、多くの参加者にとってWikipedia:特筆性だけが記事存否の妥当性の判断基準ではない、ということです。
さて、「特筆性」という単語を用いるときに、日本語として一般的な意味での「特筆性」と、Wikipedia:特筆性との間に乖離があることは、今回私も再認識いたしました。この点について、クレイジャンさんとの議論がかみ合っていなかった事についてお詫びします。
私見ですが、これまでしばしば行われてきた議論、「Aという馬は百科事典に掲載するに値する特筆性があるか」というとき、この「特筆性」は日本語として常識的な意味での「特筆性」を念頭にされてきたと思います。
「イナズマゼウス?いや、特筆性ねーだろ」と言ったとき、「この程度の馬はいくらでもいる」という判断であり、イナズマゼウスについて出典とできる資料は存在しない、という判断ではなかったと思います。
私は、クレイジャンさんによってWikipedia:特筆性という方針概念を再認識したうえで、過去の議論を振り返って、イナズマゼウスに関する判断は間違っていたか、と言えば、削除という結論は正しい妥当な判断だったと今でも思います。
私は、クレイジャンさんは良識のある方と考えています。仮に現行のままでも、クレイジャンさんは競馬四季報を以てWikipedia:特筆性があるという論拠でどんどん1勝馬の記事を立てて、削除依頼に反対するような行為はしない方だと考えています。
むしろクレイジャンさんは、そういう執筆者が出現することに対して深刻な懸念を抱いてらっしゃって、これを迅速、機械的かつ合理的に防ぐための根拠としての「基準」が必要だということですよね?そうでないとWikipedia:特筆性を根拠に1勝馬の記事が乱立し、削除もままならず、大混乱に陥ると本気で心配されているわけですよね。
でもご安心ください。ちゃんとカーマインは削除依頼に出され、可決されました。大丈夫です。PJの皆さんは然るべき見識を備えています。
Wikipedia:特筆性を根拠に記事が乱立するから、それを防ぐために基準が必要だ、との主張であれば、Wikipedia:特筆性を根拠に記事が乱立していない現状に鑑み、クレイジャンさんの主張は前段に誤りがあります。
  • 方針に従い、1勝馬でもWikipedia:特筆性を根拠に立項可能(で、削除は方針に沿っていない)
これを上手に簡潔に否定することは今の私には難しいです。
しかし、現状は、「でも実際、そうはなっていないですよね、なにかまずいですか?」と言えると考えます。--零細系統保護協会 2011年1月6日 (木) 13:40 (UTC)[返信]
現状のままで、1勝馬が立項されても出典に基づいた有意な記述がされているのなら、特に問題は感じません。
スタブの立項に罰則はないのですから、仮に1勝馬の記事を乱立する人が現れても罰せられないと思いますが、1勝馬の記事が乱立したとしても出典に基づいた有意な記述がされていない記事は、いくらWikipedia:特筆性を根拠に特筆性を訴えても、別の削除方針に該当して削除されるでしょう。
私が危惧していると言うよりは憂いているのは、丁度上手い表現をされていますので、お借りしますが、「イナズマゼウス?いや、特筆性ねーだろ」と言う様な主観的な判断が方針文章に対して優先している点です。
私は出典を集めて1勝馬の記事を作る実験をするつもりはないですが(最も実験をした人がいた所で、非難される点はないでしょが)、出典に基づいた有意な記述が主観によって削除されてしまうのはウィキペディアの基本理念に反してはいませんか?
カーマインは最後に記事を見た時点で出典は無かったですし、馬自身に成長可能性はあっても、それを持って記事の成長可能性と見なすのは無理があるでしょうから、Wikipedia:削除の方針に則って削除されたと思いますが、もし出典があったらどうだったでしょうか?
Wikipedia:削除の方針に載っている特筆性とWikipedia:特筆性に整合性がないのなら、Wikipedia:削除の方針に載っている特筆性とは、各利用者が主観で判断するものなら、Wikipedia:特筆性を満たしている記事が、ケース Eで「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」で削除されても不思議ではないと思いますが。
ウィキペディアで執筆をする以上は、公表されている方針は、各自も持っている個別の考えよりも、遥かに優先さえれてしかるべきと思っていますが、違いますか?
だからこそ、Wikipedia:特筆性と現実の競走馬の特筆性との乖離を埋めるためにはPJ競馬で合意に達した、多くの利用者が同じ様に判断できる客観的は指標が必要と考えているわけですが。
最終的な合意が「競走馬の特筆性は各自が主観的に判断する」となるかも知れませんが、過去にそのような合意はありませんし(あればこの様な提起はしません)、もしそうなったら基準の文章を現在のものから代える必要があるでしょうね。--クレイジャン 2011年1月7日 (金) 14:44 (UTC)[返信]
Wikipedia:特筆性は草案であり、現時点ではまだ拘束力はありません。ノートページで議論が延々と続いて決着していません。Wikipedia‐ノート:削除の方針/「特筆性・著名性」の「特筆性」について#「特筆性・著名性」の「特筆性」についてでも投票が二分しています。
ただし、草案といえど、序文に「記事の扱っている主題は、特筆性があるもの、すなわち「言及するに値」するもの、でなければなりません。特筆性は「名声」「重要性」「人気」といったようなものとは別物ですが、それらは特筆性と(正に)相関するでしょう。」とあります。
「イナズマゼウス?いや、特筆性ねーだろ」と言う様な主観的な判断が方針文章に対して優先している点です。とおっしゃいましたが、方針文書には「各分野での特筆性の基準を満たすならば、記事主題は十分に特筆性があると推定されます。」とあります。つまり、競馬分野においてはPJの定めた「あまりにも実績がなく、知名度もない馬の記事を作らない(実績か知名度どちらかが有ればいいです)。」に基づいて運用されることは、方針文書に反しません。
ひとつ問題があるとしたら、このPJ競馬の既定の基準が、今のところ方針文書の各分野での特筆性に挙げられていないことでしょうね。--零細系統保護協会 2011年1月7日 (金) 16:26 (UTC)[返信]
やっぱり見落としていましたね。
前回書き込んだ時に書くべきでしたが失礼。
あまりにも実績がなく、知名度もない馬の記事を作らないと明記してあっても、実績の定義、知名度の定義が不明では意味がないのでは?
これをもって「競馬分野での特筆性の基準」とするのは無理があるでしょう。
今の文言では「競馬分野での特筆性の基準に従ってください」と書かれているのとあまり変わらず、今の議論は「では競馬分野での特筆性の基準とはなにか?」ですから、問題点は明らかでしょう。--クレイジャン 2011年1月9日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
心配ご無用。従来の基準で問題なく運用されています。実用上じゅうぶんに有意です。問題はありません。例えばクレイジャンさんが疑義をもたれたWikipedia:削除依頼/カーマイン (競走馬)ですが、12対0で削除されています。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
まず、カーマインに疑義をもっていない事をハッキリさせて起きます。
Wikipedia:特筆性を参照すれば、カーマインも特筆性を証明するのは可能でしょうし、競走馬に関する特筆性の指標があるのなら、それに従えば良いですが、実績知名度もその定義がわからない以上は、定義のわからないものを根拠に判断すべきではありませんから、それならば、公式の指標であるWikipedia:特筆性した方がましでしょう。
零細系統保護協会さんが「問題はありません」と仰られるのなら、PJの基準にある実績知名度の意味を説明して頂けるでしょうか。
その説明が、PJの基準の文言から誰でも容易に思いつけるものであり、かつ誰もがそれで納得をするのであれば、現在の文言でも問題はないでしょうが。--クレイジャン 2011年1月10日 (月) 11:52 (UTC)[返信]
カーマインに疑義を持っていないと聞いて心底安心しました。クレイジャンさんはは、論理だけで導ける可能性が少しでもあれば、それをとことん追求しなければ気が済まない人だと思い始めていましたので。ところで、疑義を持っていないのならば何でこんな議論を始めたんです?言行不一致でしょう?
「その定義がわからない以上は、定義のわからないものを根拠に判断すべきではありませんから」というのであれば、あなたが持ち出しているWikipedia:特筆性もまた草案に過ぎず不確かであり、根拠にできない、とも言えますね。この話はやめましょう。お願いですから「特筆性」という単語を複数の意味で使うのは勘弁して下さい。今はPJの競走馬の掲載基準の話であり、「出典がある=特筆性ある=1勝馬でも立項しても何も問題ない」という認識はPJ内にはありません。単に出典があるというだけ立項してもよいとはPJ競馬は認めていません。現行の基準も、過去の削除依頼も、そのことを担保しています。あなたがカーマインの削除に疑義がないのも一緒でしょう。Wikipedia:特筆性から話しを始めたいのであれば、ここではなくWikipedia:特筆性のノートページでやってください。
「実績」「知名度」の意味を辞書で引いてこいとは言いません。
あなたの発言は、実際に記事の編集に携わっている方々に対して少し失礼です。(あなたはそのつもりはないのかもしれませんが。)編集者のみなさんは、現行の基準がちんぷんかんぷんで全く意味がわからず判断ができずにすごく困っているとでも思うのですか?みなさんの見識をそこまで疑うのですか?
誰もが承知のとおり、今の基準は解釈によって編集者ごとのブレは存在するようになっています。それぞれが判断しろと言うことですね。編集者の方々は、1から10まできちんと定義を与えられないと何も判断できない人ではないということです。その条件下で、個々の事例において、判断する個々の執筆者が、各人の考える「実績」に基づいて行動した結果、0.4%しかブレていないのです。
誰もが納得するかというと、あなたのような方がいるわけでして、誰一人異論を述べるものはいない、なんて状況は有り得ないでしょう。空想です。--零細系統保護協会 2011年1月10日 (月) 14:32 (UTC)[返信]
(もどします)本論において、特筆性という言葉は2つの意味を持ています。
1つは、競馬記事に関わる執筆者が(漠然と)持ているもので、競馬界の存在する価値観が基礎となっていますが、各執筆者が持っている物には微妙以上の食い違いがあり、それが表面化する事も何回もあります。
もう1つはWikipedia:特筆性ですね。
当然ながら、この2つを混同していては話が進みませんし、1つを無視してしまても話が進みませんので、特筆性という言葉を複数の意味で使います。
競馬分野における特筆性の基準があるのなら、Wikipedia:特筆性に優先して適応できるでしょうが、「あまりにも実績がなく、知名度もない馬の記事を作らない」という文章はあまりにも曖昧で具体的に何を言ってるのかわからないのが実情でしょう。
この文章から、サダムイダテンに実績があるのか、シェルズレイに実績があるのかわかりません。
ハッキリ言って今の基準は無くても同じではないでしょうか?
0.4%、0.4%と強調されますが、PJ競馬になにも書いていなくても、未勝利馬や1勝の条件馬なら削除で一致でしょうし、サイレンススズカの削除依頼が出されても、依頼者票以外は存続票でしょう。
今の、(現時点では)誰も意味が説明できない基準が過去の票が割れた削除審議において役に立ったという根拠はあるのですか?
実績にない馬が立項できないのがわかっていても、どの程度をもって実績と定義するのかわからなければ、役に立たないでしょう。--クレイジャン 2011年1月11日 (火) 14:14 (UTC)[返信]


仕切り直し~従来のPJ基準を改定する必要があるか[編集]

既定の基準

  • あまりにも実績がなく、知名度もない馬の記事を作らない(実績か知名度どちらかが有ればいいです)。

私はこの基準の改定の必要性を感じません。 しかし、他の執筆者の方々が「基準作成はPJ積年の課題」とおっしゃったり、具体的な基準について言及されていた事は確かです。また、個別の削除依頼に関する議論の中で、より具体的な基準の必要性について言及されていたこともあります。

そこで改めて、既定のPJの基準を改定する必要があるか否かから議論しませんか。 議論の順序は次のようになると思います。

  • (0)現行の基準を改定する必要があるか
  • (1)基準とは何か
  • (2)このような基準は必要か
  • (3)基準はどのような形式か
  • (4)具体的な基準作成

詳細は上で述べたとおりです。

(1)と(3)は似たような話かもしれませんね。要は、記事の「立項/存続/削除」の「ガイドライン・めやす/機械的な基準」、どのレベルの重みのある基準とするかです。私見ですが現在の基準は「立項・存続・削除」の「ガイドライン・めやす」として運用されていると思います。最終的に各分野での特筆性への掲載を目指すかどうか、ともいえます。

また、(1)と(2)は不可分かもしれません。「機械的基準」ならば反対だが「めやす」ならば賛成、という方もいらっしゃると思います。(私個人は、苦労して「機械的基準」でない基準を設けても実効性に疑問があると考えます。)

仮に基準改定へ合意がなされ、その後(4)で揉めて結論が出せなかったとしても、「基準作成はPJの課題」という共通認識は確定することになります。

必要があるか、なしか、ですので、最終的には投票による議決を想定しています。 本件はPJ発足以来、5年以上にわたって繰り返し議論された結果維持されてきた基準の改定です。 議論、投票とも相当の期間を設けましょう。少なくとも数か月単位の投票期間を設ける必要性を感じます。

まずは(0)現行の基準を改定する必要があるかです。

反対 私は改定の必要性はないと考えます。理由は従来通りです。機械的な基準を設けても、それに満たない記事を立てるような人は基準を守らないでしょう。削除は楽になるかもしれませんが、グレーゾーンの記事が登場した場合に基準をタテにとられると、かえってめんどうです。「知名度」に拠る機械的基準は客観性の担保が困難です。中央、地方、外国、現在、過去、成績、競走馬、種牡牝馬、知名度、すべてを網羅する基準は複雑になるでしょう。大変な労力が予想されます。(「基準作り」であれこれ言うのは楽しいかもしれませんが、)労力に見合う効果は得られないでしょう。--零細系統保護協会 2011年1月8日 (土) 03:14 (UTC)[返信]
(追記)記事立項・削除/存続の基準ではないですが、従来の基準を「赤リンクの設定」の是非に援用することも視野に入れてもいいかもしれません。現状では、新しい種牡馬や競走の記事が登場するたびに、いったい誰がその馬の記事書くの?というような赤字の「代表産駒」「勝馬一覧」がいっぱい登場します。私はどっちかというとこっちの方が気になります。--零細系統保護協会 2011年1月8日 (土) 03:53 (UTC)[返信]
  • コメント 現在のように曖昧な基準をもとに削除依頼で処理するにせよ、競走馬の特筆性とは何か、ということが問題になってきます。その意味で、たとえ基準の作成につながらなかったとしても議論を通して得られるものはあると思います。ですのでその結果を踏まえて具体的な基準を作成するしないにかかわらず、議論の続行を主張します。--Pastern 2011年1月8日 (土) 04:44 (UTC)[返信]
下の方で各論だけ先行させようとされていますが、「何のための基準か」を明確にしないまま「どんな馬が~」と言ったところで時間の無駄と思います。現時点では、PALNASさんのように個人のページ内で「何のための基準か」を明確にしつつ私案を練っていればいいと思います。
「特筆性」という言葉を使ってしまうことに議論が定まらない一因があると思います。もっと明確に「ウィキペディアで単独立項に値する」と定義しないと。(機械的とか削除云々は別として。)「競馬界における特筆性」って言うと、一気にハードルが下がるように思います。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 05:54 (UTC)[返信]
  • 「機械的な基準の制定」には反対します。ただし現状の基準では「実績」「知名度」というのがアバウトすぎるので、若干踏み込んだ形での基準にする必要があるのでは無いでしょうかね。例えばこんなような感じ。正直、これ以上議論を続けても解決しないような気がします。--PALNAS 2011年1月8日 (土) 11:19 (UTC)[返信]
例えば「あまり実績のない旨の記事を作らない。たとえばG1を勝った馬であれば、多くの人にとって実績があると認められるでしょう(これは記事の立項や削除の機械的な基準じゃありません)」と書いたとします。これを根拠に海外の訳の分からないG1勝馬の一行記事を乱立されたり、G1未勝利馬の記事をどんどん削除依頼に出されて混乱に陥る可能性があるということです。「G1って書いてあるじゃない!」ってね。もちろんきっと、結局は投票によって真っ当な処理がされるでしょう。しかし結局人の判断に拠るのであれば今と変わりません。現在の基準はたしかに人の解釈によってブレは出ますが、実際に過去の削除基準をみると、衆目の一致している事例がかなりあります。逆に言えば衆目の一致しなかった例が重要になるのでしょう。
上の例で言うと「これは記事の立項や削除の機械的な基準じゃありません」なのか「これは記事の立項の機械的な基準じゃありません」「これは記事の削除の機械的な基準じゃありません」なのか、そこをまずはっきりさせないと議論が成り立たないでしょう。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 05:54 (UTC)[返信]
「基準を変更した結果変に解釈をされてしまう」という話でしたら、「変な解釈をしないように基準を変更すればよい」だけの話です。それを話し合うのがPJだと思いますが。--PALNAS 2011年1月9日 (日) 07:46 (UTC)[返信]
たしかに仰る通りですね。「機械的な基準」に反対という点では私もPALNASさんに同意見です。ただ、「機械的な基準じゃなく」かつ「変な解釈できない」基準のイメージが持てないです。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 08:34 (UTC)[返信]
零細系統保護協会さんが持てなくても、他の人が持っているかもしれません。改定案を持ち寄ってみるのもひとつかもしれませんね。--PALNAS 2011年1月9日 (日) 15:16 (UTC)[返信]
G1勝馬の一行記事はスタブタグを貼り、出来れば自分で加筆して、何時まで経っても低質な記事がら脱出できなければ、その時に対処を考えればよろしいのでは?
それ以前に、現在の基準でもG1勝馬の一行記事はいくらでも出来る可能性がありますし、G1勝馬の特筆性はほぼ議論にもならないのですから、本件の本質とは無関係でしょう。
それからG1未勝利馬への削除依頼も出したい人がいれば、今だって出せますし。
具体的は文言について言えば「以下は目安ですが、この何れかを満たしていない馬は、特筆性がないと見なされる可能性があります」と言う感じで、その下に実績や話題性の目安を書くのでよろしいかと思います。
目安はシンプルでわかりやすく、汎用性のあるものでなければならないと思いますが、各論はそれぞれの節で行えば良いと思います。--クレイジャン 2011年1月9日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
クレイジャンさんは過去の議論でも同様の主張をされています。が、ただの一度も競馬記事の編集すらしていない方が「加筆すればいい」などと言っても全く説得力がありません。
「G1勝馬の特筆性はほぼ議論にもならない」というのは認識に誤りがあります。あなた自身が「英ダービー馬全てに、百科事典的な記事に出来るだけの資料があるかといえば、それは難しいでしょう。英語版には、グランドナショナルやメルボルンカップの勝ち馬でその様な記事が結構ありますが、それらは特筆性の有無とは無関係に削除されてもおかしくないと思います。」と発言されています。
クレイジャンさんの主張は上辺だけの形式的なものばかりで、PJに実利をもたらすと思えません。実利があるかどうかが本件の本質です。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 13:05 (UTC)[返信]
「加筆すればいい」とは方針に書かれている事で私の意見でもなんでもありません。
また、引用されている私のコメントは見ればわかりますが、特筆性があっても存続が難しい記事もあるという話ですので、当然ながら、G1勝馬の特筆性が否定される事は全く想定しておられません。
「G1勝馬でも記事内容が乏しく成長の見込みが無ければ削除対象になる」という事と「G1勝馬の特筆性はほぼ議論にもならない(特筆性ありで一致する)」という事は全く矛盾しないと思いますが。
失礼ですが、わざわざコメントされるのなら、もう少し、正確な判断を頂きたいですね。--クレイジャン 2011年1月10日 (月) 11:52 (UTC)[返信]
「私の意見でもなんでもない」?その文章を引用してきているのですからあなたもそれに同意しているわけでしょう?他人事のような言い方はやめてくださいよ。
私が言ったのは、「確かに論理的にはどんな記事でも加筆すればいいですね、でも誰がそれをやるんです?(実際に加筆する人がいなければそんなの空想にすぎないですよ)」
実際に加筆したことない人が気安く「加筆すればいい」なんて言っても「そうだね、確かのその通りだ」なんて同意できません。あなた自身は加筆しないから他人事のように思うのかもしれませんね。
私も新規の執筆数が多いわけではありませんが、一本書くのには数ヶ月とか一年以上の準備期間を置くこともあります。大変ですよ。でも、基準が曖昧だからって困っていません。どうして記事を書かないあなたが基準を問題にするのかが理解出来ないだけです。--零細系統保護協会 2011年1月10日 (月) 14:32 (UTC)[返信]
方針文章に異を唱えるのなら、しかるべき場で言いますが、スタブの対処が加筆である点に関して、何の異論もありません。
議論の場における発言権の有無に関して記事の編集の多少を条件としたいのであれば、該当する方針文章のノートへどうぞ。--クレイジャン 2011年1月11日 (火) 14:14 (UTC)[返信]
  • 賛成 私に投票権があると想定されているのかわかりませんが、入れておきます。現在の基準は、あまりのも曖昧で恣意的に運用でき、より客観的でわかりやすい基準の設定を目指す事は非常に有意義な努力であると考えます。--クレイジャン 2011年1月8日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
「投票権はない」なんて思っていませんよ。ただ、記事を執筆しない方がなぜこだわるのか不思議なだけです。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 05:54 (UTC)[返信]
私も立項する根拠となるほどの特筆性があるとは思いませんが、競馬界において、著名馬の産駒・近親であるという事が特筆される場合は少なからずありますから、単純にこの文を追加するだけでは駄目でしょう。
様は「どの様な媒体で取り上げられたか」によってくると思いますが、これは、どちらかと言えば、話題性に関係する事ですから、これも節を作って掘り下げますか?--クレイジャン 2011年1月9日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
いいえ、必要ありません。私は競馬界の話をしていません。ウィキペディアの過去の削除依頼において競走実績の乏しい良血馬が問題になる事例が多く「著名馬の近親・産駒」だけでは特筆性は概ね否定されている、という証拠を出しただけです。PJで「立項に値しません」と定めることと、ウィキペディア外部での競馬界での特筆性を否定することとは全く別物です。
各論をしてしまいましたが、要するに「実際の問題」を把握せずに「解決するための基準」を考えるのは順番が違うといっているのです。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 14:21 (UTC)[返信]

特筆性がある繁殖実績とは[編集]

他の要因とは切り離して、競走成績のみを対象として、どの様な基準が相応しいのか議論をお願いします。現状では牡馬の場合、競走成績に見るべきものがない場合であっても、種牡馬になったという事実だけをもって記事の存続が許される傾向にあるようです(ただしあくまでも傾向であって、Wikipedia:削除依頼/ユメノセテコウユーのように繁殖実績を要求する意見が多くつき削除になったケースもあります)。一方繁殖牝馬の場合、そのう事実だけをもって存続というケースはないようです。--Pastern 2011年1月8日 (土) 04:44 (UTC)[返信]

種牡馬は置いておいて、繁殖牝馬に関して過去の例を踏まえて私の意見を書くと
  • G1馬を産んだ
  • 複数の重賞優勝馬を産んだ
  • 自身から伸びた牝系から複数の重賞優勝馬が出た。
こんな所でしょうか?
「複数の競走実績の乏しい成功種牡馬を産んだ」の様に基準からはみ出てしまうケースも考えられますが、あまり多くはないでしょうから、実際にその様なケースに突き当たった時に対処するので大丈夫だと思います。--クレイジャン 2011年1月8日 (土) 12:15 (UTC)[返信]
目的(なんのための基準か)も決めずに各論に入っても成果はないでしょう。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 05:12 (UTC)[返信]
「繁殖実績から特筆性があると見なせる基準は何か」というわかりやすい目的に見えますが。--クレイジャン 2011年1月9日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
全く違います。目的は例えば「(水準に満たない)記事作成を抑制する」「削除依頼を楽にする」「PJの負荷を減らす」といったものです。これだと削除主義者のようですが。逆に言えば「一定以上の馬の記事作成を増やす」と言えます。基準作りはその手段の一つです。
「目的」という言葉が分かりにくければ、「どのように運用する基準なのか」と言い換えてもいいです。足切りに使うのか、一定以上の馬の記事の存続に根拠を与えるためなのか、それは機械的に行われるのか、目安に過ぎず結局は個別判断なのか。それを先に決めないで「基準、基準」といっても議論が定まりません。蛇足になってしまいますが、我々は、競馬の世界で「特筆すべき競走馬」って言ったらこうだよね、という話をしているのではありません。ウィキペディアに項目を作るかどうかです。G1勝ち馬の母に特筆性がある、なんて正気の目的を考えた発言と思えません。G1の数だけ勝馬とその母馬の記事を作るつもりですか。あなた自身は記事を書かないからそんなことは顧みないのですか。「過去の例を踏まえて」なんてウソじゃないですか?過去の議論ではG1勝馬の母の特筆性は否定的に考えられていますよ。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 13:42 (UTC)[返信]
たとえdelタグを使われても正気のの部分は見えるわけですが。
文脈から判断すれば、私が正気ではない事を示唆している意味に見えますが違いますか?
本来忌憚ない意見を述べるためにある場で、自分の意見を披露したら、このような反応が返ってくるのはいかがなものかと思います。
他にも私の履歴や過去の発言を問題視しようとされている様に感じますが、ハッキリいって、その様なコメントをするのは、この議論の役には立たないでしょう。
本質に沿った議論をすれば良いだけの話です。
また、各論に関して同時進行で議論するのを止める資格はだれもありません。--クレイジャン 2011年1月10日 (月) 11:52 (UTC)[返信]
同時進行を中断してほしい理由は4つです。(私より簡潔に述べている方がいるので、引用します。引用の内容も含めて責任は私にあります。)
1つは、あちこちに議論が拡散してフォローがしんどい。
1つは上で書いたとおり。5年間堅持されてきた基準を尊重してください。改訂の必要性の合意をとってください。
プロジェクトでは「競走馬記事作成の基準は不要」で合意形成されており、まずは「基準は必要かどうか」を議論する必要があるのではないでしょうか。いきなり「このような基準にしてみましょうよ」では反対意見が出るのは当然だと思います。--PALNAS 2008年6月16日 (月) 16:39 (UTC)
削除依頼が出れば対処すればよいわけで別に基準を設けなくても現状機能不全に陥っているわけでもないのですから。もし将来的に問題が生じれば別ですが・・・。現状で何の問題があるのかといったところでしょうか。--You19994 2008年7月7日 (月) 22:42 (UTC)
あなたはカーマインの削除依頼に発端して議論を始めました。しかし、あなた自身がカーマインの削除に疑義は無いとおっしゃいます。では何のための議論ですか?あなたは「曖昧で恣意的で問題」といいますが、現行の基準が問題である、という合意はなされていません。問題だと言っているのはあなただけです。(少し譲歩してもいいですが、過去の議論も含めて、実際に「基準の改訂」に言及し、議論に参加している方は少なくありません。基準改定についての潜在的な要請はあると思っています。)PJの基準を改定するというのであれば、きちんとPJの合意を得てください。
あと2つの理由は、私がクレームをつけている最大の理由です。基準を改定するのであれば然るべき手順を慎重に踏んで議論しましょう。手順にはいくつかの段階があります。これも他の方の発言を引用します。
競走馬独自の基準を設けることで(ここでは基準を設けるまでのコストは考慮しない)、何が改善されるのでしょうか。存否の議論を減らせますか? グレーゾーンを狭められますか? 競走馬の不必要な記事の作成を抑制できますか? --Tamago915 2008年6月16日 (月) 23:13 (UTC)
何を目的にして基準を改定するのか定めましょう。基準を改定することでPJが得られるメリットです。今のあなたの主張だと単に「理論上、曖昧さが残る、問題だ!」と言うだけで、実際の具体的な問題や、その解決に寄与する道標が何一つ見えません。
私は現状の基準でも実際の問題は0.4%しか起きていないことを示しました。
実際に問題があって、その解決に役に立つのであれば、基準改定も説得力があります。しかし、問題は0.4%に留まっています。どこかに線を引くことで問題が減りますか?かえって別の問題を引き起こすという懸念は過去の議論で繰り返し表明されています。
最後の理由、基準の運用の仕方を決める前に各論に入っても議論が定まりません。
他の方の発言をよく読んでください。引用します。
  • ある程度のラインの実績ならばOK、そうでなければ削除の記事になります。(Wushiさん)
  • 取るに足らない内容しかない記事の存在にお墨付きを与えるだけのものにならないことを望みます。(けいちゃさん)
  • どんなに内容が薄かろうと記事の存続を保障するようなものを考えているのであれば、それには反対(けいちゃさん)
  • 「○○は競走馬、何賞で何着、血統表、おしまい」しか書けないような記事は、例えG1を勝った馬でも立項価値はない。--けいちゃ 2009年11月14日 (土) 04:51 (UTC)
  • 明らかに特筆性がある(つまり記事を作成しても大丈夫)と認められる基準をいくつか設けて、「これらの基準を一つも満たさない馬については、削除される場合があります。過去にどのような馬について削除依頼が出されたかについてはWikipedia:削除依頼/ログ/競馬をご覧ください」とするしかない(Pasternさん)
  • 「○○と言う基準に当てはまらない馬は削除するといった基準」を設けることについては反対(中略)譲歩点は「記事作成のガイドライン」まで。それも「○○に当てはまらない競走馬の記事は「削除されます」」といった、記事の削除につながる項目を設けるのは、いかなるものも反対です。(注:「作成するときにお前ら良く考えろよ」的なものなら構いませんが)--Goki 2008年6月16日 (月) 09:24 (UTC)
  • 具体的な基準を作るよりも先に、杓子定規に基準を適用させない方法が明示されない限り、私はいかななる基準の作成にも同意しません。--Goki 2008年8月2日 (土) 01:18 (UTC)
  • 「基準」といかないまでも「目安」程度ならばありかもしれないとは思います。つまり、拘束力は限りなく低いけれども、何らかの判断をする際には一定の参考になるようなものは提示できるならば助けになるかもしれません。--Star-dust 2008年6月17日 (火) 01:15 (UTC)
  • その辺のさじ加減は新規記事作成する人の良心に委ねます。(Eruku11111さん)
  • 「機械的な基準の制定」には反対します。(中略)若干踏み込んだ形での基準にする必要がある(PALNASさん)
ひと口に「基準」と言ってもこれだけバラけています。機械的な効力を有するのか、目安なのか、合格ラインなのか、足切りラインなのか、そこらへんを明確に定義(あなたがこだわっている点でしょう)してからでないと、話にならないんです。
そこをはっきりさせないで各論に突入しているために議論が混乱するんですよ。過去の議論を本当に読んでいるんですか?いきなり「G1馬が~」「重賞が~」とやりだすから、まとまるものもまとまらなくなるんです。本気で真剣に基準の改訂を考えているのであれば、然るべき手順を慎重に踏んでください。あなたが今やっていることは「俺の考えた最強馬ベスト10」と変わりません。
まとめます。(1)まずは、基準改定についてきちんと合意をとってください。
(2)基準改定で何を目指すのか具体的に明確にしてください。
次に(3)基準のあり方(運用の仕方、つまり、厳格な基準か、目安か、足切りか、合格か。)を定めてください。
(4)各論はそれからでもじゅうぶん間に合います。既に各論の部分はこれまで何年もかけて先人が積み重ねています。なにも今また一からやりなおす必要はありません。きちんと過去の議論を糧にしてください。
あなたの編集実績について色々言いましたが、それはこの際いいです。単に説得力の問題です。
いきなり各論に入らないでください。過去の議論を繰り返さないでください。--零細系統保護協会 2011年1月10日 (月) 14:32 (UTC)[返信]
正気の」と書かれた意味を説明して頂けませんか?
答えによって他の場所で行動を起こすような事はしないとお約束しますので、お願いします。--クレイジャン 2011年1月11日 (火) 14:14 (UTC)[返信]
中傷と取られたのであればお詫びします。あなたの提案は凡てのG1馬の数だけ母馬の特筆性の担保を与えるものです。とんでもない数になります。「えっ!?マジで言ってるの?」というのが率直な感想でした。提案者が十分な実績のある方であり、「ああ、この人は自分で責任持って書くつもりなんだな」と思えば「えっマジで」とは思わなかっったでしょう。この「えっマジで」感を表現したくて正気のと書きました。それ以外の点については下の提案と併せてしばらく他の方の意見を待ちます。--零細系統保護協会 2011年1月11日 (火) 14:35 (UTC)[返信]

(戻します)率直なお返事感謝致します。謝罪は受け入れましょう。G1馬の母馬の特筆性に関してですが、まず、G1馬の総数より、G1馬の母馬の総数の方が多くなるという事は絶対にない(母馬が2頭いる馬などありえません)と同時に、兄弟でG1を制覇したケースも少なからずありますから、G1馬の総数よりG1馬の母馬の総数の方が確実に少なくなります。同時にG1馬の母馬には、自身の競走成績によって特筆性がある馬も少なからずおり、またG1馬の兄弟が重賞に勝っているケースも同様ですから、1頭の産駒がG1を制覇した事によって特筆性を得た、と言える様なケースは、G1馬の総数から比べればかなり少ないでしょう。G1馬自体の特筆性は疑問視される事はないですから、とんでもない数になるG1馬の特筆性が疑問視されないのであれば、そのとんでもない数よりも確実に少ない、G1馬を産んだ事が目玉となるような馬を、とんでもない数だからと言ってその特筆性を疑問視する事はないのでは?

数の多少はこの際関係ないでしょう。とんでもない数であろうが特筆性のある馬は、立項への1つのハードルを越えただけの話です。

ただ「G1馬を産んだ」と言う事を特筆性の条件とする事に固執しているわけではありません。実際にG1馬を産んだ以外に実績にないマイケイティーズが存続している事を念頭に例に上げました。--クレイジャン 2011年1月12日 (水) 13:29 (UTC)[返信]

グランデグロリアキョウワダイキチなど、種牡馬として結果を残す前に立てられた重賞未勝利馬の項目の整備を試みましたが、出典を伴う加筆には限界があります。種付け数が年ひと桁で、種牡馬成績が注目されて書かれた文献も見当たらないということは、すなわち競馬関係者にとって特筆性がない種牡馬であることの現れではないでしょうか。種牡馬となっただけで特筆性があるという意見も過去にはあったようですが、競走馬と同様に種牡馬間にも競争があって、負ければ淘汰されていくはずですので、やはり実績が認められてから(そのような文献が出てから)の立項が望ましいと思います。--ぬるぽん会話2012年6月6日 (水) 07:19 (UTC)[返信]

先日多数の削除依頼が出されましたが、種牡馬に関しては参考になされたのかどうかは存じませんが、私が{{特筆性}}を貼付した項目でした。ここで私が{{特筆性}}を貼付したおおよその基準を明らかにしておきたいと思います。
  1. 種牡馬入りを最後に、報道された形跡がネット上で見当たらない
  2. 年間種付け頭数が初年度からひと桁続き
  3. 産駒に重賞勝ちなどの目立った実績がない
基本的には出典に基づいた加筆の余地があるかどうかを考慮しました。結果として取材記事が1件あったホールウォーカー、競走実績があったシェルゲーム以外は削除となりました。ちなみに過去に削除されたユメノセテコウユー、存続となったキョウワダイキチも概ねこの基準に該当します。--ぬるぽん会話2012年9月5日 (水) 07:35 (UTC)[返信]
キョウワダイキチについて、Wikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインにおける「有意な言及」が確認できないことをおもな理由とした削除依頼を近日中に提出する予定ですのでお知らせ致します。--ぬるぽん会話2013年4月5日 (金) 12:54 (UTC)[返信]

特筆性がある競走実績の具体的な基準[編集]

こちらも同時進行で議論を行いたいですが、そのために、多くの方から反論を受けるのを覚悟で、たたき台となる基準の案を1つ掲示します。

  • 2勝以上、重賞二着以内、G1三着以内のいずれかを満たす馬は、特筆性があるとみなす。

1000万以下の馬でも該当してしまいますが、一応、その様な馬の記事は、低質な記事から脱出できないでしょうから、乱立した所で大半は方針に則って削除されるだろう、という前提です。これをたたき台にして、どの程度まで絞り込むのかが議論の中心になるでしょうか。--クレイジャン 2011年1月8日 (土) 12:15 (UTC)[返信]

無駄に議論だけ先行させたいようですが、なんにための基準かを先に明確にしないと、それこそ人によって基準の意味が千差万別なので無意味です。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 05:13 (UTC)[返信]
なんにための基準かをすでに何回か書いたと思いますが、不十分ですか?--クレイジャン 2011年1月9日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
上で述べたとおりです。「目的」という言葉が不明確であれば「どのように運用するか」と言い換えてもいいです。--零細系統保護協会 2011年1月9日 (日) 13:58 (UTC)[返信]

(戻します)プロジェクト:競馬/立項されている重賞未勝利の競走馬を加筆しました。 こうしてみると、削除された馬の中で実績が高かったのは重賞勝ちのあるメイセイユウシャとメイセイオペレッタ(ただし、中立の観点から地方の重賞を区別しない、との合意があったのはこの2頭が削除されてから、かなり後だったはずですから、今の基準ならこの2頭は存続かも知れません)、重賞2着が2回あるココナッツパンチ、オープン2勝のモノポライザー、重賞2着とオープン勝ちが1回づつあるマイネルマクロスあたりでしょうか。 これらの馬よりも実績が劣り、他の特筆事項にも該当しない馬が何頭か存続しており、中には削除依頼で存続の判定がでたケースもあります。 しかも、モノポライザーの削除審議は割れていますが、コナッツパンチとマイネルマクロスは存続票0で削除になっており、実績と削除審議の内容が比例しているとはいえないようです。 つまり時と場合と参加者によって審議結果はかわり、本来削除すべきではない記事を削除してしまっている可能性も示唆しています。 この事は、審議に参加する人が客観的に判断できる基準をPJが用意する必要がある事を裏付けていると思います。--クレイジャン 2011年1月13日 (木) 13:52 (UTC)[返信]

加筆されるのは結構なんですが、「立項されている重賞未勝利の競走馬」という記事名なのに、名が体を表さなくなっちゃいましたね。--けいちゃ 2011年1月15日 (土) 05:28 (UTC)[返信]
言われてみればそうですね。
支障があるようでしたら、除去してしまっても構いません。--クレイジャン 2011年1月15日 (土) 13:07 (UTC)[返信]

提案[編集]

私は上で、(1)~(4)のステップを踏むことを要求しました。

  • (1)まずは、基準改定についてきちんと合意
  • (2)基準改定で何を目指すのか具体的に明確にする
  • (3)基準のあり方(運用の仕方、つまり、厳格な基準か、目安か、足切りか、合格か。)を定める。
  • (4)各論はそれから

基準を改定する前提でみなさんの意見の妥協点を探ると、

  • (3)はこんな感じじゃないでしょうか。
  • 機械的な基準ではない
  • 杓子定規に基準を適用させない
  • 削除の基準ではない
  • 存続の根拠を与えるものではない
  • 拘束力は限りなく低い「目安」程度
  • 「作成するときにお前ら良く考えろよ」的なもの
  • ○○ぐらいの場合は作成してもいいかもね
  • ××ぐらいの場合は自重してもいいかもね
(最後の2つはもう少しいい表現があると思います。線を二本引き、グレーゾーンを残すということです。)

そんなもん作ってなんの役に立つの?感は残ります。

いくら「目安」と言っても、具体的に重賞とかG1とか言及することで「PJの目安に書いてあるんだから~」という人が登場して困るという不安は残ります。

実際に問題が解決するか?とか削除依頼が減るか?誰かが何かで楽になるか? という点については、効果はないと思います。

とはいえ、過去の議論も含め、既に多くの方が改訂の具体案に言及しています。関心はあるはずです。 そこで、

  • (2)基準改定で何を目指すのかについては、
PJの5年の成果として新基準を出す

何かの問題解決に寄与するとかではない。改訂それ自体が目的。

ということでいかがでしょう。

以上の案で、一気に(1)(2)(3)の3点について、 本動議を以て皆さんに諮りたいと思います よろしくお願いします。--零細系統保護協会 2011年1月10日 (月) 15:33 (UTC)[返信]

(1)について書きます。
上で書いた事と重複しますが「あまりにも実績がなく、知名度もない馬の記事を作らない」では、具体的は意味がわからず、どうとでも解釈でき、恣意的な運用がいくらでもでき、PJに何の指標も無くても意見が一致するであろう大半の馬にはこれでも良いかも知れませんが、削除依頼をされて票が割れるようなケースには、役に立っていないのが現状と判断し、より具体的でわかりやすく、客観的な判断ができる基準設定を目指す必要があると考えます。
基準を盾にスタブが作られた場合ですが、スタブの対処方は方針に書かれており、それを運用すれば、良いでしょう。--クレイジャン 2011年1月11日 (火) 14:14 (UTC)[返信]
(1)「まずは、基準改定についてきちんと合意」に反対です。むしろ特筆性の内容について議論することが重要だと思うからです。また、議論の結果として基準改定があると考えますので、(2)についても基準改定によって目指すものを設定する必要は必ずしもないと思います。--Pastern 2011年1月11日 (火) 14:52 (UTC)[返信]
「議論の結果として基準改定がある」つまり基準改定を目的・前提とした議論ということですね。目的を定めないまま行う議論は「雑談」にすぎず、そのような雑談の「結果」は基準改定の論拠に値しないですものね。(2)については、そもそも基準を改定する必要性=問題点が実在すること、そしてそれを解決できる手段が基準改定であること、そして改定後の基準が正しく問題解決に寄与すること、これらを担保するためのものです。議論の中でそもそも「問題が実在しない」ことが明らかになれば、(1)の必要も不要となるわけで、実際には(1)と(2)は表裏一体です。換言すれば、(2)を先に議論することが結論を出す早道かもしれません。--零細系統保護協会 2011年1月19日 (水) 09:01 (UTC)[返信]
コメント人の考え方はそれぞれですが、自分にとって意味がない、自分の意にそぐわないというだけで、その議論を「雑談」と表現するのは感心しませんね。零細系統保護協会さんだって、たとえば「参考文献を示さずに書いた記事はどんなに労力をつぎこんだものであっても『落書き』に過ぎない」と言われれば気分はよくないでしょう?--Pastern 2011年1月19日 (水) 09:31 (UTC)[返信]
価値観や稼働時間の異なる多くの人と共同作業を行う上で、どういう目的で何についてどのような手法で主題とするのかを定めないまま話し始められるのは、相手にとって苦痛ですらあります。
既に何度も繰り返されてきていますし、今回も明らかにいつもと同じ道を辿っていますが、「機械的基準なのかどうか」「これ未満はダメという線なのか、これ以上はオッケーという線なのか」すら明確にしない/できないまま「G1が~」「重賞が~」と言ってもまるでまとまらないですよね。そもそも各人がどういう運用を念頭に話しているかすらバラバラなのですから。
だからまずせめて、そこを決めてください、決めましょうと言っているんです。まともな議論をするために。
それすら行われていない状態では議論がかみ合わないのは目に見えており、雑談以上の価値は見出しがたいと言ったのです。もちろん、雑談には雑談としての価値はありますよ。親睦とかね。しかし親睦なら他所でやればいいことです。
仮に「機械的な基準で、それ未満は自動削除」という前提で、議論が「G1を3勝」とか言う基準に定まったとして、それが「自分の意にそぐわない」としても私はそれは尊重しますよ。
目的を定めず然るべき議論の手順を踏まずに行われた雑談の成果を急に持ち出されても、「え?なにそれ?そもそも…」ってなるでしょう?
逆に聞きたいのですが、然るべき手順を踏むことの何がダメなんですか?--零細系統保護協会 2011年1月19日 (水) 10:17 (UTC)[返信]
削除依頼によって削除・存続を決するにしても、それは参加者の特筆性に対する考え方が反映されることになるわけでしょう。そうであるならば、それを基準として明文化するに至らなくても、特筆性について議論することで各々の考えが深まれば収穫はあるだろうということです。もっとも、残念なことにこの議論に関しては多くの参加が見込みにくい環境がすでに出来上がってしまっている感があります。これは昨日今日知り合った間柄ではないからこその苦言ですが、Zai零細系統保護協会さんにしても議論を深めたいというお気持ちはあるのでしょう。しかし今のような姿勢で臨まれるのであれば人が寄り付かなくなるばかりだと思いますよ。--Pastern 2011年1月19日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
Pasternさん、苦言をありがとうございます。少し引き際を誤りました。
本件に関し、ここまでの私の発言、提案について、いったん全てを取り下げます。本節以下の節についてもです。
撤回する主な理由については次のとおりです。
  • 「入口付近での水掛け論」に終始していることは明らかで、(私を含め)誰にとっても不毛である
  • 不毛な議論のために膨大な文量や時間を浪費したことへの反省
  • 「過去に0.4%しか削除依頼で採決が割れた事例はない」としましたが、更に各項目を精査した結果として、過去にセイホー氏が初版を投稿した記事の相当な量が(削除依頼まで到達していないものの)わりとやばい、と認識を修正した
  • 各論に関する参加者が一定数以上あり、基準見直しについてのニーズが推定できる
  • いかなる結論が出るにせよ「機械的な基準」やそれに基づく大量削除・大量スタブは起きないだろうという皆様への信頼
  • 実際問題として私が執筆する記事においては基準に抵触する可能性は低いと予想
具体的な基準の内容について皆さんが議論することに反対しません。
非生産的な議論に多くの方を付きあわせてしまったことをお詫びします。--零細系統保護協会 2011年1月19日 (水) 12:16 (UTC)[返信]

サブページ化提案[編集]

ちょっと提案なんですが、この議論がまだまだ長くなりそうであれば、プロジェクト‐ノート:競馬/競馬記事の特筆性議論などのようにサブページ化しませんか?また、過去ログにあるかつての議論もそちらに移してはどうかと思います。--けいちゃ 2011年1月15日 (土) 04:07 (UTC)[返信]

  • 賛成 私も、議論が拡散してしまっていますので、その様なページがあれば良いのではないかと考えていました。
作られるのであれば、根幹部分の総論から各論まで、キッチリと節でわけで、集中して議論できるような状況を整えられれば良いのではないかと思います。--クレイジャン 2011年1月15日 (土) 13:07 (UTC)[返信]
  • 反対 議論終了後でよいでしょう。サブページ化するメリットが現段階では見えません。--PALNAS 2011年1月15日 (土) 16:07 (UTC) 賛成 「議論の整理」ではなく、「ウオッチリストに入れて更新を分かりやすくしたいだけ」というのであれば反対する理由は特段ありません。票を変更しておきます。--PALNAS 2011年1月19日 (水) 16:03 (UTC)[返信]
  • 反対 現段階でのサブページ化は反対。クレイジャンさんの仰る通り「総論」と「各論」に分けるのはいいのですが、それは結論が出た後でいいと思います。

現時点で節を分けるのは議論拡散そのものです。--零細系統保護協会 2011年1月15日 (土) 16:15 (UTC)「突出している2名」の一人として本ページが酷いことになっており、それが私のせいであることは認めます。視認性の観点からサブページ化については同意します。現時点では「基準を改める必要があるか、それはなぜか」は本論であり、基準の内容は各論にすぎないと認識しています。--零細系統保護協会 2011年1月19日 (水) 11:30 (UTC)[返信]

  • 過去の議論までもサブページに一括化するかどうかは別としても、現状までの議論の部分をサブページ化してこの場所に貼り付ければ、見た目上の大きな変化はありません。そうすることによって、この議論への投稿が今後も集中しても、本節以外の議論への書き込みがあったときに履歴やウォッチリストで見つけやすくなります。「括弧つき記事について」節にStar-dustさんが書き込みを行われましたが、仮にその前後で本節への書き込みがこれまでのように集中していたら見逃してしまいそうです。それを避けられることが「メリット」です。それでも反対されたら仕方ありませんね。--けいちゃ 2011年1月15日 (土) 18:01 (UTC)[返信]
    • コメント サブページ化すべきかどうかは判断がつきかねますが、度を過ぎた多重投稿については何とかならないものでしょうか。けいちゃさんのおっしゃるように、他の議論の推移が非常に見極めにくいです。--Pastern 2011年1月18日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

賛成 HOPEさんのご意見(2011年1月19日 (水) 05:50 (UTC))に賛同します。約2名の発言が突出する形で議論が進行しており、しかも議論が脱線しやすく本論ではない部分ばかりが膨張するという状況を見ますと、議論の場所を移すのが賢明でしょう。--Pastern 2011年1月19日 (水) 11:17 (UTC)[返信]

  • 賛成 このページはこの議論のためだけにあるわけではありません。停滞している議論もありますが、それとて「継続中」のものが多数あることを鑑みれば、サブページ化しても支障はありません。同一の議論で、これだけの副節があるものであるならば、もはや単独のページ(サブページ)として「独立」させ、そちらで引き続き議論を進めるのが賢明だと考えます。主に発言している方は2名程度ですし、それ以外の方にもサブページとしてリンクさせておけば混乱もおきにくいでしょう。私見ですが、現在の議論は節が長くなってはいますが、入口付近での水掛け論で長くなっている点も否めないことを付け加えておきます。--HOPE 2011年1月19日 (水) 05:50 (UTC)[返信]
反対のご意見が無くなったと言う事は、サブページに移行で合意目前と言う事ですね。--クレイジャン 2011年1月20日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
同意をいただけたようですので、一両日中くらいにでも作業をしたいと思います。私のそもそもの意図は後からコメントしたログやウォッチリストの都合が主だったのですが、最初にそれをきちんと書かずに誤解を招いてしまったことはお詫びします。なお、他の過去ログからの転記については議論が一段落したところで検討することとし、今回は現状の本節をそのまま転記することに止めます。--けいちゃ 2011年1月22日 (土) 08:36 (UTC)[返信]
サブページへの分割を実施しました。ご意見ありがとうございました。--けいちゃ 2011年1月24日 (月) 12:16 (UTC)[返信]
ありがとうございました。--クレイジャン 2011年1月27日 (木) 14:06 (UTC)[返信]

現在の基準に関して[編集]

ここまでの流れからすると、この点を掘り下げるのがよろしいかと思います。

  • あまりにも実績がなく、知名度もない馬の記事を作らない(実績か知名度どちらかが有ればいいです)。

以上が現在のプロジェクト:競馬に明記されている基準です。

まず、私の意見を述べますが、ここに、実績がなくても知名度だけでもいいと書かれている点は、この基準が役に立っている点だと思います。これによって、ハルウララ等へ対する削除依頼が出される事が防がれる効果があると思います。

しかし、他の点に関しては、過去に書いた事の要約となりますが、実績、知名度ともに、定義が不明で、どの程度の実績があれば良いのか、どの程度の知名度があれば良いのかがわからない点は、競馬関係の記事に関わる人にとって、この基準が役に立っていないと感じる点です。

たしかに、ほとんどの活躍馬は、「この程度では実績があるとは言えない」と解釈をした人によって削除依頼を出されたりしませんし、無名の一勝馬が立項されても、「一勝するだけでも大変な事」として存続票が入る事もほとんどありませんが、これらの馬に関して言えば、PJに何も書いていなくても、削除方針に特筆性のない記事が削除対象であると書かれていれば、おそらくは同じような結果でしょう。

特筆性の無い馬は立項できない事はわかっても、その特筆性の意味がわからないのでは、競馬関係の編集をしたい人の役に立っているとは言えず、基準として欠陥があると思います。

もし、現在の基準から、特筆性の中身がわかる方がいらっしゃる様でしたら、その内容を教えて頂きたい所です。--クレイジャン 2011年1月18日 (火) 13:26 (UTC)[返信]

同じような話を繰り返すのにあまり節を改めないでください。既に何度も述べている通り、各々の執筆者が個々の判断における「知名度」や「実績」を以て判断するということです。ブレは存在しえますが、実際にはわずかです。多くの執筆者の見解の総和には、たいして逸脱はないということです。過去の事例ではブレは0.4%と言ったはずです。有意に「競馬関係の編集をしたい人の役に立って」います。多くの執筆者は、1から10まで定義されないと何も判断できないような人ではないのです。誰にでも「意味がわかる」ものを求めるというのはつまり「機械的基準」を求めることになりかねません。--零細系統保護協会 2011年1月18日 (火) 18:31 (UTC)[返信]
それはつまり「私達を信頼してください」ということしか言っていないのではありませんか。「競馬プロジェクトの人達は信頼できない」と考える人が何人もいるから、そういう意見が何度も出てくるのだということにいい加減に気づいてください。「信頼しろ」以上のことが言えないプロジェクトの分野の記事なんて、いつその信頼が裏切られて削除依頼されるのか怖くて執筆なんて出来やしません。機械的基準は、「信頼しろ」としか言わないがゆえに信頼できない人達から新規記事作成者を保護するために必要なんです。機械的基準の不要性を訴えれば訴えるほど、競馬プロジェクトの信頼度は間違いなく下がっていくでしょう。--182.164.169.54 2011年2月9日 (水) 14:02 (UTC)[返信]
例えばタイガーマスクにはウィキペディアでの特筆性も一般的な意味での特筆性(賞金や進上金を寄付)もあると思いますが、「実績」は1000万条件(地方転出で2勝後中央復帰して2勝)、「知名度」も一般には殆どないでしょう。なので基準を設けた上でそれに満たない記事を削除するに当たっては個別判断というのがベストではないがベターだと思います。--03kc536 2011年7月18日 (月) 16:04 (UTC)[返信]
(2年以上前の書き込みにレスするのもなんですが)182.164.169.54さんのように、競走馬の基準の話題になると、全く競馬記事編集履歴のない(しばしば全く編集履歴のない)方が現れて議論を引っかき回して消えていく、そしてしばしばそういう人は後日アカウントブロックとなっている、ということが繰り返されてきています。ここでもIPさんは「競馬PJの人は信頼できない」「PJの信頼度は確実に下る」などと意見表明をされていますが、私は率直に申し上げて、こうした「どこから来たのかも、何しにきたのかもわからない人」のほうがよっぽど信頼できないです…。--零細系統保護協会会話2013年4月20日 (土) 06:38 (UTC)[返信]

(インデント戻し)ここまで来て初歩的な質問も込みで私のスタンスを記載しますが、私はあくまで地方競馬のアングロアラブ種の競走や競走馬を中心に記載しています。競走に関しては重賞を競走馬においては重賞での活躍馬を中心に記載しておりますが、地方競馬のアングロアラブ種の競走や競走馬なので実績をもとに記載しても認知に乏しいために基準を満たすか曖昧なまま記載し、それが残るケースもままあります。ここまで議論が進むと私の記載したものは本当に記載して良かったのかを不安に思います。--ステフ爺会話2013年9月25日 (水) 06:04 (UTC)[返信]

私の考えとしては、「その地方競馬」の中で重要なのであれば地方競馬の重賞記事はあって然るべきだと思いますし、「その地方競馬」の中で抜きん出た(つまり、重要な競走に勝ったとか、記録を作ったとか、話題になったとか―)ものがあれば、その馬の記事はあって然るべきだと思います。そのことを担保する出典は必要でしょうけども。たとえばJRAの最下級条件よりも1着賞金が少ないからというような理由である地方競馬の重要な競走を価値がないとみなす考えには私は反対です。その発想で言うと全世界のほとんどの重賞や多くのパート1国のG1戦も同じように価値がないものになりますしね。
「特筆性議論」に関しては、最近は私はこんなことこんなことを考えています。まだ正式に提案するには至っていませんけども・・・。--零細系統保護協会会話2013年9月25日 (水) 09:42 (UTC)[返信]
返答をありがとうございました。参考にさせていただきます。確かに『1着賞金』が基準なら地方の重賞の大半の記事が消えるので、確かに暴論としか言いようがありませんな…。--ステフ爺会話2013年9月25日 (水) 11:31 (UTC)[返信]
コメント 私も地方競馬の競走を中心に記述しているひとりですが、このような基準付けを議論し始めると、中央競馬での話だけが先行して進められ、地方競馬についてはほとんど触れられないのが現状です。日本の競馬が中央競馬と地方競馬の2本立てである以上、どちらかの基準をもう一方に当てはめると必ず無理が出ます。さらにばんえい競馬は完全に独立した存在ですから、平地の基準に合わない場面もあります。
結局、賞金額が高いことに価値を見出すのか、中央での重賞勝ちがないから特筆できないと判断するのかは『書き手の主観』によるところが大きいので、独自研究を排除する観点からもそのような基準付けは一律に行うべきではなく、中央競馬と地方競馬、もっといえばばんえい競馬まで分類し、それぞれのカテゴリー内で一定の基準を設けるのが望ましいと思っています。--HOPE会話2013年9月25日 (水) 12:27 (UTC)[返信]

提案2014[編集]

これまでの議論を下敷きにはしていますが、新しい提案を行いますので、恐縮ですがサブページを作成します。

お手数で恐縮ですが、いちど目を通していただき、あらためて「特筆性があるかどうか」と「単独記事にしてよいか」に関して、方針文書がどう定めているのか確認いただきたい。
これまでの議論、実際の削除議論の場でも混乱があったのではないかと反省しますが、「特筆性がある/ない」と、「単独記事にしていい/ダメ」は、別問題です。
具体的なたたき台です。
「方針文書の再確認」を読んでいただければわかるのですが、「草案」を制定しても「強制力」はありません。無視することもできます。
なので、ゆくゆくは「草案」より強制力のある「ガイドライン」化を目指します。(ガイドラインも絶対的な拘束力があるとはいえません)
2014年に草案としてとりまとめ、2年間試運転を行い、実際の事例によるフィードバックを行い、2017年にガイドラインとすることを目指します。
これは「特筆性のある/なし」の判定基準ですが、「独立記事を作成していい/ダメ」の判定基準ではありません。大いに参考にはされますが、「独立記事にしていいかどうか」は、もっと上位の拘束力の強い文書に委ねられています。その点については、この草案をつくろうとつくるまいとあまり変わりません。
私個人としても、この「私論」が現時点ですべてを盛り込んだという感じではありません。大きなラインとして「重賞勝ち」としていますが、それでいいのかとか、繁殖牝馬がらみは未整備な感じがします。
全体的な印象としては、特筆性の認定には甘め、単独記事の立項には厳しめのスタンスをとったつもりです。
いろいろとご意見を頂きたい。よろしくお願いします。恐縮ですが、あちこち分散しても混乱するので、ご意見はWikipedia‐ノート:競走馬の特筆性判断の基準と独立記事作成についてのガイドラインにてお願いしたいです。

--柒月例祭会話2014年7月28日 (月) 12:40 (UTC)[返信]