フラディケ・デ・メネゼス

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フラディケ・デ・メネゼスポルトガル語: Fradique de Menezes1942年3月21日 - )は、サントメ・プリンシペ民主共和国の政治家。外務大臣1986年 - 1987年)、大統領2001年9月3日 - 2011年9月3日)などを歴任した。

サントメ島(当時ポルトガル領)生まれ。ポルトガルの高校を卒業後、ベルギーの首都ブリュッセルにある大学にて教育学と心理学を学ぶ。実業家として成功した後、サントメ・プリンシペの外相を務める。2001年7月の大統領選挙で独立民主行動から出馬し、現職候補を上回る55.2パーセントの票を獲得、同年9月3日から大統領を務める。なお、彼は出馬前にポルトガル市民権を放棄している。

2003年7月16日ナイジェリアに滞在中フェルナンド・ペレイラ英語版率いるクーデターで一時亡命状態に陥るも、国際的な交渉の成功により、7月23日に無血で復権した。

公職
先代
フェルナンド・ペレイラ英語版
(救国軍事政権議長)
サントメ・プリンシペの旗 サントメ・プリンシペ民主共和国大統領
第3代復職:2003 - 2011
次代
マヌエル・ピント・ダ・コスタ
先代
ミゲル・トロボアダ
サントメ・プリンシペの旗 サントメ・プリンシペ民主共和国大統領
第3代:2001 - 2003
次代
フェルナンド・ペレイラ
(救国軍事政権議長)
先代
マリア・ド・ナシメント・ダ・グラサ・アモリム
サントメ・プリンシペの旗 サントメ・プリンシペ民主共和国外務大臣
1986 - 1987
次代
ギリェルメ・ポッサー・ダ・コスタ