ピーピングトム (お笑いコンビ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピーピングトム
メンバー 桑原貞雄
今村久仁人
別名 ピートム
結成年 1993年
事務所 ワタナベエンターテインメント
活動時期 1993年 -
出会い 大学のキャンプ
現在の活動状況 活動中
芸種 コント
過去の代表番組 タモリのボキャブラ天国
はばたけ!ペンギン
ピートム.Comic Jack
同期 中川家
陣内智則
ケンドーコバヤシ
たむらけんじ
ハリガネロック
堂土貴(ルート33
ハリウッドザコシショウ
児嶋一哉アンジャッシュ
ジョビジョバ
受賞歴
NHK新人演芸大賞演芸部門大賞東京代表
東京GAG COLLECTION優勝
テンプレートを表示

ピーピングトムは、1993年に結成されたワタナベエンターテインメント所属のお笑いコンビ

プロフィール[編集]

桑原 貞雄(くわはら さだお、 (1969-12-06) 1969年12月6日(54歳) - )ボケ担当。

今村 久仁人(いまむら くにと、 (1970-02-10) 1970年2月10日(54歳) - )ツッコミ担当。

来歴[編集]

学生時代[編集]

2人の出会いは大学時代。1989年4月22日、共に1浪を経験し入学した松山大学の主催するキャンプ、グリーンキャンプで知り合う。同年5月にパンクバンドとしてピーピングトムが誕生。また12月に「ロックフェスティバルIN松山」にて審査員特別賞を受賞。オリジナル曲に「中退ロック」がある。

1990年12月6日ビジーフォーのディナーショーの影響によってコミックバンドを目指すが、2日後には桑原と今村の2人のみになってしまい、1年半の活動にピリオドを打つ。しかしその翌日、ダンス甲子園風見しんごの「涙のtake a chance」に影響され、ダンスチームとしてのピーピングトムになる。

1991年、今村が東京に1人で行くと言い出すが、桑原が抱きついて「俺も連れてけ」と言うと、今村が泣き出し一緒に行くことを決意する。同年9月、周囲の反対を押し切り、松山大学を中退する。

芸人時代[編集]

このような紆余曲折を経て、とうとう1993年3月31日にお笑いコンビとしてのピーピングトムとなった。その1ヵ月後に、渡辺プロダクションで「犬とサラリーマン」というネタで初のネタ見せを行う。今村曰く「少しウケた」という[1]。翌年の1994年オールナイトフジ・リターンズの若手芸人勝ち抜きコーナーで5週勝ち抜きを達成。また、新宿ビブランシアターでアンバランスとの合同コントライブを行う。

1995年NHK新人演芸大賞の演芸部門大賞で東京代表としてノミネートされる[2]

1996年、原宿クエストホールで東京GAG FACTORY公演を行う。

1997年7月14日、桑原が自転車に乗っているときに交差点で交通事故に遭う。足に20針を縫う大怪我であった。その2ヵ月後には相方の今村も交通事故に遭った。桑原が退院後は、多摩大学(原千晶と共に)や島根大学などの学園祭にゲストとして呼ばれた。この年に初めて単独のトークライブを行った。

他に、「のぞき屋ダイナマイト」(のち「暗闇の目撃者」)というキャッチコピーで『タモリのボキャブラ天国』シリーズなどに出演。いわゆるイケメンキャラでホストのような容姿で人気があったが(番組内では実際にホストクラブからスカウトされたと暴露)、ベスト10の壁は厚く評価は得られなかった。特に交友が深かったのはプリンプリンBOOMER。この間とても仲が悪かった時期があり、同居していてもほとんど口を利かなかった。そのため今でも他人から関係を聞かれる。

現在は、桑原がワタナベコメディスクールでワタナベコメディスクールデビュー推進部及び講師を務めており[3]、今村が放送作家の仕事をしていることから、コンビでの仕事は少ない。 現在のレギュラー番組はゼロ。ワタナベエンターテインメントの公式ホームページにも載っていない。

出演番組[編集]

過去の出演番組[編集]

レギュラー番組[編集]

ゲスト出演および単発・不定期番組[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • OUT OF ORDER
  • OUT OF ORDER 笑うな!

脚注[編集]

  1. ^ ピートム.Comic Jack」2006年8月10日放送分の発言。
  2. ^ ほかに、海砂利水魚Take2DonDokoDonが東京代表。海原やすよ・ともこ(大賞受賞)、ゆんぼーが大阪代表。
  3. ^ 今村もスクール開校直後に講師を務めたが、すぐに辞退した(「ピートム.Comic Jack」2005年2月3日放送分の桑原の発言)。

外部リンク[編集]