ヒュリヤ・シェンユルト

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獲得メダル
トルコの旗 トルコ
柔道
オリンピック
1992 バルセロナ 48kg級

ヒュリヤ・シェンユルト(Hülya Şenyurt 1973年11月10日 - )はトルコオルドゥ出身の柔道選手。階級は48kg級[1]

人物[編集]

柔道は13歳の時に始めた[2]。1990年のヨーロッパジュニア48kg級で3位、翌年には2位となった。1992年バルセロナオリンピックでは2回戦でフランスのセシル・ノバック袖釣込腰で敗れたものの、その後敗者復活戦を勝ち上がると、3位決定戦ではイギリスのカレン・ブリッグスと対戦することになった。準決勝で田村亮子と対戦して敗れた際に右肩を脱臼して思うような動きが取れないブリッグスに対して、内股の技ありで優勢勝ちを収めて18歳にして銅メダルを獲得した[1]なお、トルコの女子選手としてオリンピックで初めてのメダルを獲得した選手にもなった[3]。1993年のヨーロッパ選手権では3位となった。その後も一定の活躍を果たすが、1996年アトランタオリンピックでは初戦で敗れた[1]

主な戦績[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Hülya Şenyurt Biography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
  2. ^ HÜLYA ŞENYURT JUDO'DAKİ GELİŞİMDEN UMUTLU”. 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月2日閲覧。
  3. ^ Hülya Şenyurt Röportajı”. 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月2日閲覧。

外部リンク[編集]