ノート:陰陽道

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現代における陰陽師の家系云々について[編集]

現代における陰陽師の家系としては、京都に健在する安倍氏嫡流土御門家、そしてその支流とされる角之倉家が主な家元とされる。

という、要出典タグを付加した記述について、独自研究ではない、客観的かつ充分に信憑性のある情報源による出典の明記をお願いいたします。それが一定期間(最低7日間以上)果たされない場合、当該記述は除去対象となります。(Wikipedia:信頼できる情報源信頼できる情報源を探すのは重要なことであり、検証できなかった場合、どの編集者でも除去したり異議を申し立てたりできます)--Obendorf会話2019年10月7日 (月) 10:19 (UTC)[返信]

予告:2019年10月07日(月)から一週間を経過する日本標準時・2019年10月14日 (月)(UTC+09)に至ってもノートで説得力のある反証が上がらない場合、当該問題記述の除去編集を行います。--Obendorf会話2019年10月10日 (木) 19:05 (UTC)[返信]

・Rifiansより・  今回はじめてウィキペディアに手を出すと言った形で、ノートの使い方などに関する知識を全く有していなく、間違った使い方をしていれば申し訳ありません。下記の方から、上記に対する意見記述になります。  『:現代における陰陽師の家系としては、京都に健在する安倍氏嫡流土御門家、そしてその支流とされる角之倉家が主な家元とされる。』という記述につきましての信憑性の有無と言う事でしたが、安倍氏の嫡流家である土御門の末裔は36代目のご子息が兵庫県の方にご健在だったはずです。『京都に健在する安倍氏嫡流土御門家』と言うのは語弊で、嫡流ではなく、支流として嫡流家から分裂した、分家筋の家元を示しているのではないでしょうか。  信憑性のある情報源と言いましても、門下の内部紛争などに関係し、門下外部やネット上に開示されている情報、もっと言えば出典として認められている情報すら、内情の複雑さ故に様々な形で改変されている事は確かな事実であるからして、120%の真実を語る事は門下関係者にのみ可能な事だと私は思います。開示されている情報や、様々な研究者さま方がお使いになっている資料すらも、正確に言ってしまえばその全てが信憑性に欠けていると言う意見であります。陰陽道関係に対しても、またしかりだと思います。なにせ千年以上もの古い歴史を有する業界です。外部に開示できない内容を多数抱え込んでいてもおかしくないと思うのです。  また少し別方向の話題として、『角之倉家』と言う支流の家元についてなのですが。公的な発表や情報の開示があまり見つからない中でも、賀茂氏嫡流家の勘解由小路の庶家であった『幸徳井家』の様に、安倍氏嫡流家の土御門の庶家として地下家の様な立ち位置にあった家元が存在し、その末裔が現代において『角之倉』を名乗っていると言う説は存在するには存在するも、明確な証拠や出典が存在しないのでこれはあくまでも一説の域を出なかったのですが、つい先ほどこのサイトで『角之倉』の名を目にした時は正直驚きました。『角之倉家』の説に辿り着くまでに自分自身もそれなりの月日を必要としましたので、どこからこの情報を引っ張り出してきたのかと、その内容を投稿した本人と対談してみたいと思った程です。  結果、私の意見からすると。 『安倍氏嫡流家の土御門が京都に顕在する』と言う記述は信憑性の有無より、まず間違っているとの意見です。正確には安倍氏嫡流家ではなく、嫡流から分裂した支流と記述すべきかと思います。 『角之倉家』については、確かに明確な証拠や反証に値する情報は公的には存在しないです。ですがそれは公的、また開示済みの内容の中ではの話であって、実際の存在の有無は、まだ未定と言った所でしょうか。  しかし、私の単なる独自研究、言ってしまえば個人論ではありますが。土御門家の嫡流だ支流だのいずれかと関係してくる『角之倉』と言う家元は、存在していると思われます。--Rifians会話2019年10月10日 (木) 21:06 (UTC)[返信]

ps.ノートの使用方法になにか間違えている点があれば、どうかお教え頂けたら幸いです。--Rifians会話2019年10月10日 (木) 21:06 (UTC)[返信]

Rifians様、初めまして。ご意見ありがとうございます。仰る通り、この問題に関しては、私自身も情報源を探してみましたが、信頼できる情報源が絶無であり、仮に真実であったとしても、独自研究の域を出ない情報であるかと存じます。よって、Wikipediaに掲載するべき情報ではありません。Wikipedia:ガイドブックWikipedia:方針とガイドラインWikipedia:五本の柱などもご参照ください。あなたのウィキペディア・ライフが充実したものでありますように。--Obendorf会話2019年10月11日 (金) 05:44 (UTC)[返信]


・Rifiansより・  返信が遅れ申し訳ありません。通知などがくるでもなくふと閲覧してみればお応えを頂いておりましたので、慌てて返信内容を作成中でございます。  Obendorf様が仰る通り、当該記述における情報源は皆無に等しく、私の意見としてもこのままWikipediaに載せ続けるのはどうかと思います。よって、当該記述に対し除外を検討しておいでであるObendorf様には賛成側の意見になると思います。しかし、ここで私の意見をもう少し前に出して言うと、当該記述の全文を除外すると言うより、現在判明している『事実上の真実』は少でも残したまま、それでも確実なものでない記述は削ぎ、より信憑性に満ちた記述へ転じさせ、それを改めて投稿すると言った形が私が今になって掲げる願いであります。  例えばになりますが、'『現代における陰陽師の家系としては、京都に健在する安倍氏嫡流土御門家、そしてその支流とされる角之倉家が主な家元とされる』と言う記述において、 ①まず、全文に記される『現代における陰陽師の家系』についてですが、陰陽寮廃止後、神道系などを取り込んだ『天社土御門神道』などは発足されたものの、陰陽道を一つの宗教として立ち上げられた宗教団体、また宗教法人が登録されていない為、現代における家伝系統の知識も家業としての陰陽道も表向きには存在しない訳ですから、『陰陽師』と言った表記は間違いだと思います。  正しくは『現代における陰陽師の家系』ではなく→『現代における陰陽道にゆかりのある家系』。なんて表記が正しいと思います。 ②次に『京都に健在する安倍氏嫡流土御門家』についてですが、確かに、京の都には土御門の縁者に当たる家系が健在している事は確かです。ですが、安倍氏嫡流家でもなければ一門の本家でありません。当該記述を最初に投稿した方、また初期のものを編集した方は、そこを間違えておられます。陰陽道に関係する家系の存在は知れど、その実態に深く調査の手を施していなかったのではないでしょうか。陰陽道研究を生業としている者達からすれば、間違った結論をあたかも正しいかの様に報じられる事はなによりの屈辱と言えると思います。当該記述を投稿した方には、そこの気遣いが足りていなかった。ですが、人間の種は神仏の類でもありませんし、誰にだって間違える時くらいあって当然、それでこそ人間と言えるでしょう。ですから今後、こう言った誰にでも公開されている場に投稿する時は、もう少し、深く調査し研究し、より正確な結論を投稿して頂きたいと当該記述に関係していた方に私は言いたいです。余計な事を長々と続けてしまいましたが、②における私の意見としまして、正しくは『京都に健在する安倍氏嫡流土御門家』ではなく→『京都に健在する支流の家元』なんてのが正確な所ではないかと思います。 ③最後に『支流とされる角之倉家が主な家元とされる』についてですが、これに関して言うと本当に本当にほんっーとうに情報が少ない為、これについてはもう全文除外してしまった方が、『角之倉』の名に行き着いた陰陽道研究最前列の方々や、『角之倉』と言う家名を明るみに出したくない門下関係者にとっても、都合の良い結果になるのではと思います。私としては、どうにか手にした研究結果が公に晒される事を少し切なく思った反面、自分と同じ様に『角之倉』の名にたどり着いた方が他にも居るのだと知れて人知れず嬉しく思ったりなんかもしましたが、私の意見として、『角之倉』に関係する記述は全て除外で構わないかと思います。  結論としましては、当該記述の全文除外と言った形ではなく、訂正、と言った形をとるべきだと意見するものであります。 『現代における陰陽師の家系としては、京都に健在する安倍氏嫡流土御門家、そしてその支流とされる角之倉家が主な家元とされる。』ではなく、『現代に残る陰陽道の家系としては、安倍氏嫡流家より別れて行って分家筋の支流家などが存在する』と言った形で、『角之倉家』に関する記述は一切合切除外してしまい、他は訂正を加えて再投稿、と言った結論が私の意見になります。--Rifians会話2019年10月13日 (日) 09:52 (UTC)[返信]

Rifians様、ご意見ありがとうございます。どういった形で是正するのが良いか、今一度検討してみることにいたします。--Obendorf会話2019年10月13日 (日) 23:16 (UTC)[返信]

・Rifiansより・  承知致しました。ご検討の結果が出ました時は、またお知らせ下さると幸いです。--Rifians会話2019年10月14日 (月) 00:27 (UTC)[返信]

平安時代中期~後期以降に陰陽道宗家となった家系としては、安倍氏とその嫡流末裔土御門家および、賀茂氏とその嫡流の末裔・勘解由小路家があった後述が、勘解由小路家は戦国時代から江戸時代初期にかけて断絶し、賀茂氏庶流幸徳井家は明治以降消息不明となった。現代においては、土御門家およびその庶家倉橋家の子孫が健在するが、明治維新以降は陰陽道との関わりを絶たれ後述、現代に至っては全く陰陽道と無縁である。
と改稿してみました。ご納得いただければ幸いです。--Obendorf会話2019年10月14日 (月) 01:23 (UTC)[返信]

コメント依頼[編集]

当問題に関連して、下記の通りコメント依頼ページを立てました。当記事を閲覧されている皆様のご意見を求めます。--Obendorf会話2019年10月7日 (月) 10:19 (UTC)[返信]