ノート:間堀川

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間堀川から禊の水はかつても今も引いていません[編集]

現行版には重大な誤りがあると思います。かつて間堀川及び神田堀川は平時には空堀(からぼり)であり[1]、また春先には地元で雪代(ゆきしろ)と呼ぶ富士山の雪解けの土石流の流路でした。古地図には東カラ堀(間堀川のこと)、西カラ堀(神田堀川のこと)などと記載されてます[2]。どちらも平時は雑排水や雨水などの悪水を流すための排水路としての役割が大きく、禊のための取水口はかつても現在も一切ありません。上吉田の灌漑用水は泉水(せんずい)を水源とする浅間沢もしくは福地用水から引いていました。泉水は関東大震災後水量が徐々に細くなり[3]、今日は枯れてしまいましたので、現在の御師の屋敷を流れる川(ヤーナ川と呼びます)の水源は全て間堀川を水路橋で渡って北口本宮冨士浅間神社内を御手洗川として流れた後の福地用水の流末です。ページ本文も編集したいと思いますが、福地用水を先に書きたいと思っておりまして、資料を集める都合で少し遅くなります。あしからず、宜しくお願い致します。アッシュ・テ会話2021年4月21日 (水) 06:15 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 富士吉田市史編さん室 編『旧村地誌』富士吉田市教育委員会、1990年3月。 P.46
  2. ^ 「上吉田村絵図」の恵贈” (PDF). 富士吉田市 (2020年2月7日). 2021年4月16日閲覧。
  3. ^ 富士吉田市史編さん室 編『旧三ヵ村事務報告書 福地村編』富士吉田市教育委員会、1988年3月。 P.50

間堀川から引く水路がありました[編集]

従前、間堀川から引く灌漑用の取水口は一切ないとここに書きましたが、宮川との合流点の約100m上、的場橋の上に一箇所取水堰があり、水も引いていました。一切ないというのは誤りでした。誠に申し訳ございません。Googleマップ的場橋上の取水堰慎んで、訂正させて頂きます。なお水路はすぐに暗渠となってしまい用途は不明ですが、取水口にゴミも浮いており、飲用または富士講の禊に使えるような水ではありません。誤解のないように前記のノートも改訂しておきます。当初のものは過去ログをご覧下さい。よろしくお願い致します。アッシュ・テ会話2022年8月15日 (月) 06:12 (UTC)[返信]