ノート:銀河鉄道の夜

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本文中では「石炭袋」がブラックホールとされていますが、これは暗黒星雲のコールサックという解釈の方が一般的では? 本文中では「空の穴」と表現されており、解釈としてはなるほどと思わせるものの、はたして1930年前後の時点で宮沢賢治がブラックホールのことを念頭に置いて執筆していたかどうかは疑問です。--Charon 2005年11月7日 (月) 13:29 (UTC)[返信]

銀河鉄道の夜はスペースオペラなのか

異稿についてなど[編集]

  • 外部リンクの「銀河鉄道の夜」比較は、第3稿と4稿の違いではなく、新潮文庫と角川文庫の違いです。(角川文庫は、博士に愛着があったのか?)
  • 「それ以前の刊本では、この数次の改稿をまとめる編集がなされている」「いずれの稿においても原稿が数枚紛失している」などとありましたが、第1次稿~4次稿まで、それぞれの形態の草稿が残っているかのように受け取られるかと思い、直してみました。
  • 「天気輪(天気柱だという説もある)」とありましたが、天気柱だと主張しているのは誰でしょうか?ネットで検索したところ、Wikiが出所のようなので取敢えずコメントアウトしました。  -- 2007年10月9日 (火) 13:41 (UTC) (訂正) --忠太 2007年10月10日 (水) 15:55 (UTC)[返信]
追加
  • 「宮沢賢治童話全集6」(1964年、岩崎書店)を確認したところ、本文自体は古くからの順序のまま、ですが、巻末の解説の中で、「ひとつの読み方」として、ジョバンニが目をさますシーンを末尾の後に読むよう勧めている。(谷川徹三は岩崎書店版を知らなかったのだろうか?)
  • ちょっとマニアックな話になりますが、第3次稿では、カムパネルラは級長で、ジョバンニが憧れる存在になってます(友人ではない)。また、古い版を見ると出てくる「いるか」のエピソードは第2次稿以前の内容(3次稿では削除)です。  --忠太 2007年11月5日 (月) 13:11 (UTC)[返信]
    • 岩崎書店の宮沢賢治童話全集ですが、確認されたのは初版でしょうか?確か増刷版で本文の変更が行われ、編集者の一人である森荘已池氏による変更についての説明が付されていたと記憶するのですが?Unamu 2007年11月5日 (月) 22:56 (UTC)[返信]
1964年刊のものを参照しました。本文を変更(ジョバンニが目をさますシーンを最後に)したのは、岩波文庫版(1966年)が最初で、筑摩版全集(1967年版)もこれを参考にしてるようです。そうすると角川文庫旧版(=青空文庫)、岩崎増刷版(1974?)も岩波文庫版とほぼ同じでしょうか。未確認ですが。 --忠太 2007年11月6日 (火) 13:08 (UTC)[返信]
初刷のようですね。手元に文献がないので記憶のみによる記述ですが、岩崎書店の宮沢賢治童話全集の増刷版においてこの変更が行われております。これが1964年の終わり頃のことであったと思います。編集者の一人であった堀尾青史氏(前に森荘已池氏と書いたのは記憶違いでした)がこの変更を報告した文章として「銀河鉄道の夜の新改訂」(「図書新聞」777号・1964年10月)「決定稿・銀河鉄道の夜」(「日本児童文学」10-12月号、1964年12月)があります。岩波文庫の改訂はその後になります。この二つが刊行された後に、筑摩書房から新たな全集(1967年版)が刊行され、この変更も取り込んだ形でさらに細部の変更を加えた本文が制定されます。角川文庫はこの筑摩版全集をベースにしていますので、それらとは少し次元が異なると言った方が正確でしょう。こうした『銀河鉄道の夜』のテクストの変遷については、校本全集で調査に当たった入沢康夫氏がお書きになったものがあります(この記述もその記憶に基づきます)。Unamu 2007年11月6日 (火) 14:24 (UTC)[返信]
成程、そうでしたらお手数をおかけしました。岩波文庫版解説で谷川氏が述べているところ(このような変更をしたのは、この文庫が初めてだ、といった意味の記述)は少々違うことになりますか。 --忠太 2007年11月7日 (水) 13:56 (UTC)[返信]
谷川氏は専門の研究者ではなかったので、そのあたりの事情はご存じなかったのではないかと思います。あくまで推測ですが。Unamu 2007年11月7日 (水) 22:47 (UTC)[返信]

プラネタリウム用映像作品について[編集]

ここでの「全天周映像システム」つまりバーチャリウムなどは、デジタル投影装置であってもプラネタリウム投影装置であることに違いはないので、手を入れました。また、ビデオ化についても付け加えました。--SpaceOdy 2007年12月6日 (木) 17:33 (UTC)[返信]

フルCGはバージョンアップ以前からです。バージョンアップ内容と上映開始時期は満点の公式サイト(http://konicaminolta.jp/manten/program/special_program/galactic_09/index.html)の記事を元にしました。--SpaceOdy 2010年1月31日 (日) 16:35 (UTC)[返信]

日付の特定について[編集]

盆だ、彼岸だ、という説が書き込まれましたが、だいたい舞台は日本なんでしょうか? --忠太 2008年8月2日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

ジョバンニの住む街は南欧をイメージした架空の街です。 しかしその描写は細部に至ってリアルなことから、賢治の故郷岩手県の(花巻市もしくは盛岡市)をモデルにした南欧風の架空の街といわれています。 Wiki本文では個人の研究結果を掲載できませんが、ある研究家は盛岡の古地図から、この童話の描写が盛岡の半径2Km以内の円の中の風景と合致すると発表しています。『賢治氏の箱庭[1]』(地上編の52章ではジョバンニの当夜の足跡がほぼ特定されています。そこでは天気輪の丘の天気輪の正体は「盛岡市狐森」の丘の電波塔であろうと特定しています。) 盛岡には「舟っこ流し」という盆行事があり、これがひながたではないかとする意見は有力です。--124.208.165.11 2008年8月4日 (月) 21:20 (UTC)[返信]

ラーメンズのコント[編集]

ラーメンズ(第16回公演「TEXT」で本作をベースにしたコントを行っている。なお、コントタイトルは未発表) 」とありますが、コントまで一々書く必要はあるのでしょうか? --忠太 2008年10月17日 (金) 16:29 (UTC)[返信]

ジョバンニの父親の消息について[編集]

ジョバンニの父親の消息について、漁に出ているらしい、連絡がないといったは描写あっても、「行方不明である・消息を絶っている」といった記述はなかったと思うのですが。はっきりと行方不明と書いてしまうことに少し疑問があります。--なるきっそす。会話履歴 2009年9月1日 (火) 00:59 (UTC)[返信]

カムパネルラの行方についてと「露(雨)を降らせ」の件で「要出典。ノートページも参照してください」と書いているのに、それらしい記述がありません? --忠太 2009年9月1日 (火) 16:29 (UTC) [返信]

要出典範囲について[編集]

要出典をつけておきながら言葉足らずで申し訳ありませんでした。

  • 「露(雨)を降らせ」とは雨乞いの言葉である。

たしかにニュアンスとしては雨乞いの言葉として取れるかもしれないですが、雨乞いの言葉とする出典はあるのでしょうか?検索しても特に見つからないので要出典としました。

  • 天上に行かなかったカムパネルラの行方について

地獄へ行った、転生したという根拠となるような一文があったでしょうか?この一文は評論でしかないと思います。--なるきっそす。会話履歴 2009年9月2日 (水) 00:43 (UTC)[返信]

異稿関係の考察について。[編集]

各出版社から出版されている書籍は、こと宮沢賢治については、作品中に欠落部分等があることや、「風野又三郎」「風の又三郎」のように、日次順に書かれていない(=書かれていない日がある)ことを嫌う編集者が見い出しを1. 2. 3....と勝手に変更した編集者による恣意的な原典に基づかない編集が多く見られます。こうしたことをいちいち指摘することは有意義であるとは思いません。すべて底本を掲載して、その後の判断は閲覧者に任せるべきで、重箱の隅を突く記事は、「宮沢賢治」を知らない人には却って理解が困難になります。書籍、文庫本など、改版や新規編集などがあり、一度論じれば、それで済む問題でもありません。

 また「異本・異校」関係を問題視しなければならないのは、古典文学の分野だけだと考えています。「宮沢賢治」に限っては、多くの作者自身の筆になる現行が存在しており、「異本・異校」関係を論じなければならない必要がありません。

 現在、底本として「新校本:宮沢賢治全集」版、あるいは「旧校本:宮沢賢治全集」があり、「校本」という性格上、読みにくさがある反面、原典に忠実であり、元の原稿用紙に書かれた作者の意思は伝わっていると思います。

 「異本・異校」は、出版された作品だけではなく、一生涯にわたって(=童話に限って中断時期があるようです)書き直しや改稿を繰り返しています。その全てを紹介するのは限られた紙面では、とても実現性がないと思います。掲載する場合にも、最終形態を示すだけで十分と考えています。

 もう一歩、話を進めると、宮沢賢治の童話等、代表作の閲覧という点では、上記「旧校本:宮沢賢治全集」に基づいて、作品を紹介しているサイトも多くあるので、Wikipediaでは異本、異校関係に論じる必要は薄く、却って初心者には混乱をきたします。しかし、Wikipediaの「宮沢賢治」の作品掲載には、上記「新校本:宮沢賢治全集」からの最終形態を採用すべきと考えています。各書籍の編修の異同関係はある可能性がある、ただし、この掲載されている作品が作者の意思を忠実に再現した原典です、と書いておけばいいと考えています。

 私見を述べさせていただきました。--TheGreatMilkyWayRailRoad 2009年10月25日 (日) 04:17 (UTC)[返信]

「過剰に異本・異校関係を記す必要はない」というご意見には賛同いたしますが、本作を含めた賢治作品に関する現行の辞典本文が問題になるほど過剰な記述をしているとは思えません。どの点が不要とお考えでしょうか?そこまで込み入った説明をしている箇所は少ないと思います。『銀河鉄道の夜』に関しては、
  1. 未定稿であるが故に全集自体が過去に何度も本文を修正してきた事情
  2. 「校本全集」によって草稿の構成と成立の(合理的根拠に基づく)推定が行われたことでひとまずの決着が図られたこと
  3. にもかかわらず、2009年時点においても「校本全集」以前の本文に基づく書籍が新刊書として市販されていること
の3つの点については説明が必要であると考えます。なぜなら、「自分が過去に読んだ『銀河鉄道の夜』が現在本文として定められているものとは大きく異なる」ことを知らない利用者もまた存在する可能性があるからです。--Unamu 2009年10月25日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
「最終形態を示すだけで十分」という点について - 私自身も昔読んだ本は現行のものと異なっていました。解釈がかなり変わってしまいますので、そのことを記すことは有意義ですし、重箱の隅をつついている訳ではないと考えてます。(文庫本の比較の部分はもっと簡略化できそうですが…) --忠太 2009年10月25日 (日) 15:34 (UTC)[返信]

 

3箇所の空白[編集]

あらすじの節で「3箇所に空白があり、章分けを思わせる」とありますが、作者の原稿自体に空白があるのでしょうか?(編者が空白を入れたのでは?という気がしましたので) --忠太 2009年11月6日 (金) 16:51 (UTC)[返信]

校本全集の校異をもとに説明しますと、以下のようになります。まず、難破船の一行とジョバンニたちの会話から「蠍の火」に移る前ですが、「空の工兵大隊」が出てくる第66葉の草稿(『春と修羅』印刷用に購入したと考えられる原稿用紙の裏面)は右半分しか記載がありません。続く第67葉は途中の段階で挿入されたもので、「双子の星のお宮」に関する話が出てくるところです(この挿入にあわせて第66葉にそれに関する記述が追加されています。この第67葉も左半分は空白です)。その次の第68葉からが「蠍の火」の話で、ここからは用紙も藁半紙の裏面になります(草稿の冒頭が「川の向こう岸が俄に赤くなりました。」で始まります)。ただし、校本全集ではこの二つの用紙の違いは草稿の段階そのものの違いとはしていません。
次に「サウザンクロス」で多くの人々が下車した後の場面ですが、第72葉(藁半紙の裏)で下車していく場面があり、その後に列車が発車して車窓に「黄金の円光をもった電気栗鼠が可愛い顔をその中からちらちらのぞいているだけでした。」というところで終わります。第73葉は書きかけの書簡の裏面を利用して、「そのときすうっと霧がはれかゝりました。」というセンテンスで始まっています。ここでも用紙の違いは段階の違いとは認識されていませんが、センテンスの切れ目と草稿の切れ目が一致してはいます。
最後のジョバンニが覚醒してからの場面は、最終段階の推敲によって追加されたと推定されているもので、その意味では「違った段階で執筆された草稿を(ブルカニロ博士の出る末尾と交代させる形で)挿入した」」ことは事実です。
以上、「センテンスの切れ目と草稿の切れ目が一致している」「使用している用紙に違いがある」点は事実ですが、意図した空白があるといえるのは「蠍の火」の前の部分だけではないかと思います。ジョバンニの覚醒も成立経緯を考えると「明示されない章立て」に近いものがありますが、作者が明確に区別していたかどうかはわからないというべきでしょう。--Unamu 2009年11月8日 (日) 14:28 (UTC)[返信]
詳細な説明をありがとうございます。「3箇所に空白があり」というと少々異なるようですね。 --忠太 2009年11月9日 (月) 13:39 (UTC)[返信]
はじめまして、後半部分の章立てについて、そこまで特筆性があるかどうかは別として、素直に「センテンスの切れ目と草稿の切れ目の一致2ヶ所、及び空白の挿入1ヶ所によって、章立てが感じられる」とすればいかがでしょうか?--58.85.17.223 2009年11月14日 (土) 06:14 (UTC)[返信]

ハナイズミモリウシについて[編集]

{{要検証}}をつけたのでこちらでも問題点を指摘しておきます。#用語節の「プリオシン海岸/クルミ/ボス」に「また、ウシの足跡は絶滅したプリスクス野牛 (Bison priscus)の一種であるハナイズミモリウシのものであることが同定されている」とありますが、検証可能性を満たしておらず、かつ内容が疑わしい記述です。糸魚川淳二(2004)『宮沢賢治の「イギリス海岸」産足跡化石および生痕化石』は、「イギリス海岸」から産出した足跡化石について「偶蹄類の足跡化石」としか判断しておらず、「偶蹄類の足跡化石は属種を決めることはできないが」「シカ類の可能性が大きい」と記述しています。花泉町から出土したハナイズミモリウシの化石は更新世後期のものと考えられている一方で、イギリス海岸に露出しているのは更新世前期の地層であるらしく(糸魚川(2004)参照)、年代も合いません。--森津会話2021年8月15日 (日) 09:09 (UTC)[返信]

列車の座席について[編集]

最近のますむらひろしによる漫画化では、座席をロングシートとして解釈して作画していますが、そのへんについての専門家の論考はあるのでしょうか。--ねこぱんだ会話2022年3月5日 (土) 15:36 (UTC)[返信]