ノート:農奴制

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チベットの項目について。[編集]

まずwikipediaの基本方針は、「独自研究は載せない」である。しかし、中国側と呼ぶべきか、そちらのイデオロギー的立場に立っている編集者は、「チベットを一種の理想郷として美化する側の主張」いう属性を提示し、予断を植えつけている。

こちらは現実に同時期に起こり、チベットのカム・アムドでも行われた「大躍進政策」を追加した。明確に関係があるからだ。それ以上のメッセージは提示していない。そして確認可能な発言として、ペマ・ギャルポがそう発言したと言っている。そこを削除される理由は無い。

しかし現在の記述は、河口などの名前を出しながら、全く編集者の主観を書いているのみで、根拠や史料批判の跡が見えない。「輪廻転生と来世への因果の恐怖で信者を拘束していたチベット仏教だった点である。」これが万が一、仮に正しかろうが、wikipediaで独自研究は禁止されている。

それに従って記述を差し戻した。これはイデオロギー以前の問題だ。

そして掲載されている英文サイトは「証言」であり、とても歴史と言える内容ではない。ペマ・ギャルポや旅のサイトも、それよりは遥かにマシだが、やはり史料ではない。

ならば、その英文サイトの内容を(読めるのか知らないが)同様に掲載し、相対化すれば良いだけの話で、何故、ペマ側を削除しているのか?

どうも中国が絡むと、アカデミックでない手法で、言いたい事だけを言う編集者が多い。

なお「ref付きを削除した」と言われているようだが、河口らの名前を出して、それと全く関係の無い「The Life of a Tibetan Slave」[1]のような根拠不明な証言から結論を導き出す手法は、ミスリードを誘っていると同時に、詐欺的とも言える重大な問題を孕む。こんな編集者は、もう少し人畜無害な項目で編集を楽しんでいただきたい。

全く関係ないが、大躍進政策が旧チベットの領域で行われたのは事実である。それに対する価値判断は出来ているのか?チベット農奴制議論では、そこが重要だと思うが。--Mute 2009年1月19日 (月) 01:08 (UTC)[返信]

追記。119.150.16.46 による「河口慧海・木村肥佐生・西川一三が日本人である事も知らないのでは? 第三者の中立的視点ですよ。」という編集があったが、知的能力の低さに唖然とした。人物の名前のみを出し、我田引水(と言っても褒めすぎだが。)な解釈を書いた上に、無関係な「証言」と結びつける手法が「第三者の中立的視点」とは笑わせる。完全な独自研究であり、大学初年度レベルのレポートの要件も満たしていない。--Mute 2009年1月19日 (月) 07:24 (UTC)[返信]
追記2。アセルス氏が保護依頼をするようだが、その方が良いだろう。私は受け入れる。相手側のIPユーザーは、ノートでの議論に応じる手続きもなしに、「Wikipediaで自分の“知的能力”を磨いているんですね、わかります。」と、ふざけ切った態度を取っている。本来、ノートでの議論に応じ、コンセンサスを取れなければ編集する資格は無いはずだが。
彼にあるのは、旧チベットが農奴制で「あって欲しい」という願望だけだ。学問は、こうした願望を排除しなければならない。
中国側の「農奴」の記述は、前提となる史料が発見できず、学術的手続きに基づいていない。私の側の記述の方が、少なくとも証言に過ぎない部分は証言としていて中立的と考えているので、その状態での保護を望む。--Mute 2009年1月19日 (月) 08:30 (UTC)[返信]
そもそもチベットの「農奴」制がこの記事にあること自体に違和感を覚えます。記事本文を見れば分かりますが、この記事は「ヨーロッパの隷属的農民の制度」と定義されています。チベットについて記述を載せるのであれば、かつてのチベットに於ける隷属的農民の性質が、ヨーロッパ史に於ける農奴の性質と極めて近似しているという出典が必要でしょう。この両者を比較したうえで左記の結論を出している歴史学上の先行研究が提示されない限り、チベットの項目は削除すべきではないでしょうか。--ポコポコ 2009年1月27日 (火) 10:42 (UTC)[返信]
同意します。ソースに一次史料と言える物も見当たらない以上、削除で構わないと思う。--Mute 2009年1月28日 (水) 00:11 (UTC)[返信]
定義部分を英語版ドイツ語版を参考に差し戻しました。他の言語でもヨーロッパだけの制度を指すのではなく、封建主義かでの隷属的農民全体を指していて、とりわけヨーロッパのものを指すことが多い、といった記述のようです。
出典もWikipedia:出典を明記するから逸脱しているほどでもありませんし、削除するほどでもないのでは。--Kulole 2009年2月14日 (土) 16:41 (UTC)[返信]
農奴という言葉は、あくまでヨーロッパ封建社会の隷属的農民を指した物です。http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C7%C0%C5%DB&kind=jn&mode=0&base=1&row=0
――ヨーロッパ封建社会における自由を制限された農民。領主の身分的支配を受け、土地に縛られて移転の自由をもたない。領主から貸与された土地を耕作し、賦役・貢納などの義務を負う。――
単に人権を制限された農業従事者を指すのでは無い。wikipedia英語版も、同様の意味で読まなければなりません。他地域に適用する場合、ヨーロッパのそれに極めて近似している必要があるという、ポコポコ氏の立場が妥当であると考えます。失礼ながらkulole様は「農奴」について、ご理解なされてますか?
ヨーロッパの農奴は、領主でも家族を切り売り出来ないなどの権利も持っておりました。中国政府がマルクス主義の言葉から「農奴」を定義しているのは明らかですが、そもそもマルクス主義における農奴とは、当然ながらヨーロッパ封建制の物です。中国側の主張と、それに忠実に従った二サイトは、物的証拠も一次史料も無しという次元であり、明らかに学問として通用しません。
まさか読者すべてに「出典を明記する」に従い、即座に内容を確認する手間を取らせるわけにも行きません。結局、この記述は項目の完成度と統一性を下げるだけであり、政治的議論であれば、チベット問題に関連する項目などで行うべきです。前文などは現状のままでけっこうなのですが、チベットの項目のみ削除させていただきます。--Mute 2009年2月15日 (日) 01:38 (UTC)[返信]
まぁそこまでいうなら復帰はしませんが、Muteさんはwikipediaのルールがよく分かってないんじゃないですか?取り上げられている出典でもWikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するWikipedia:独自研究は載せない等のいずれにも反しませんよ。--Kulole 2009年2月22日 (日) 12:09 (UTC)[返信]
ご理解いただきありがとうございます。自分の意見は「まさか読者すべてに・・・」以降を再度お読みいただければ、と考えております。「出典を明記する」のルールに基づき、明らかに間違っている記述を読者すべてに確認していただく状態になる事は、あまりよろしい事では無いという「常識」を持っておりますし、私の立場もまた、ルールに反しておりません。正直に言わせていただけば、貴方には当項目「農奴制」についての理解が感じられません。何も無理して当項目をいじる必要は無いのでは?--Mute 2009年2月22日 (日) 13:36 (UTC)[返信]