ノート:賀陽美智子

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誤記について[編集]

初稿者氏に尋ねる。残念ながら当方は現憲法下の官報しか確認ツールがなく、戦前の官報を確認することができないので加筆修正はしないし断定口調も避けるが、美智子女王殿下は、昭和18年暮の成婚とともに皇族たる地位を離れられたと考えるべきではないのか。昭和22年10月14日の11宮家皇籍離脱時の旧皇族の中に同殿下が含まれる、とする貴殿の記述は誤認と考えるほかない(無論貴殿の誤認ではなくその基礎資料の誤謬だとは思うが)。参照: s:博明王等各殿下皇族の身分を離れられる件s:恒憲王妃敏子等各殿下皇族の身分を離れられる件s:故依仁親王妃周子等各殿下皇族の身分を離れられる件。この3告示のウィキソース資料は、インターネット有料官報検索で当該宮内府告示を(テキスト画面だけでなく画像画面でも)確認し、かつ、後日の正誤訂正の有無も検索の上で遺漏なきを期して当方が作成したもので、手前味噌にはなるが、当該告示に「美智子女王」の記述がない以上、同日の離脱皇族に含まれるとする余地はないものと考える。早急なる訂正を求む。--無言雀師 2008年6月11日 (水) 10:29 (UTC)[返信]

一週間ほどお待ちしましたが、初稿者氏からご説明もなく、しかも初稿者氏はこの記事本文の他の箇所を編集されるなど、どうやら当方の愚問にはご返答も対処もなされるご様子を伺うことが出来ませんでしたので、前言を一部撤回し、明白に事実と反する記述部分の除去を当方にて行いました。この結果、時系列的な部分が少々曖昧になりましたが、そのあたりは識者の方の登場を待ちたいと存じます。--無言雀師 2008年6月18日 (水) 16:24 (UTC)[返信]
この件は完全に俺のミスです。すいませんでした。--アダモステ 2008年6月19日 (木) 15:44 (UTC)[返信]

離婚後の姓について[編集]

本文の「のち、賀陽美智子となる。」というのはいつになるのでしょうか。確かに、結婚時、徳大寺美智子であって、離婚後は元の姓に戻すのが一般人の通例ですが、彼女の場合は姓が無い。しかし、「のち」という形容がついているという事は離婚後ある時点までは賀陽美智子では無かったという文意になります。すると、離婚後その時点まではそれ以外でありうる姓である賀陽美智子という一般人であったと考えざるを得ないのですが、この解釈は正しいのでしょうか。

それとも、離婚と同時に賀陽美智子になったのでしょうか。華頂博信のケースを見ると、戦前も臣籍降下した場合という文字が抜けるのが通例のようなので、離婚と同時に賀陽美智子と名乗ったのではないか、という推論が成立しますが、残念ながら裏づけがとれません。

もしくは、離婚後も徳大寺姓を名乗り続け、ある時点で賀陽姓に変更したということでしょうか。書いててこれが一番ありえる気がしてきましたが・・・なんとも結論が出ない文章なので、表現を変えたほうが良いと思います。--R-H 2008年7月7日 (月) 13:01 (UTC)[返信]

漢字で「以後」とか「後」とか書くと「以」の字の有無で「同時性の包含・排除」の違いが出てしまうため、あえて平仮名の「のち」にしたんですが…まずかったですかね。この部分には「昭和22年10月14日の11宮家皇籍離脱時の皇族に美智子女王が含まれていた」という旨の誤認表記があり、その誤りを補正する際に当方がとりあえず用いた表現が今回問題となった「のち」の語です。真意としては「以後」とか「後」とか、時期の詳細を述べるために用いたものではないんです。ググれば(官公庁等の公的サイトじゃなく民間サイトばっかだけど)一応賀陽美智子の名で各種法人の理事とかをされてたようなので、とりあえず「時期はわからんけどいずれかの時点で賀陽美智子の名になったのだろう」と考えられたことから、時期を特定しない平仮名の『のち』を使おう、先達の編集を尊重して修正は最低限度の部分にとどめよう、という意識のもと使ったものです。まさか「同時の可能性は含まれないと考えざるを得ない」とか「戦前の制度で臣籍降嫁しても宮の字が残ったのだろうか」というような感触を想起させてしまうことになるとは、全く想定しておりませんでした。一番正確な対処は、なにがしかの公式サイトとか公的文書で確認できない部分をばっさり削ることかも知れません。この「のち」の語は自由に編集していただいてかまいません。--無言雀師 2008年7月7日 (月) 18:52 (UTC)[返信]
とりあえず時系列の外側で読めるよう編集してみました。--R-H 2008年7月12日 (土) 13:49 (UTC)[返信]
お手間掛けました。--無言雀師 2008年7月13日 (日) 03:57 (UTC)[返信]