ノート:貴族

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

武士階級を貴族と規定する根拠[編集]

日本の貴族節についてなのですが、日本の貴族がいわゆる公家と武士階級に二分されるという記述に「要出典」テンプレートを貼らせてもらいました。確かに近世大名階級などが広義の貴族にあてはまるということは感覚的に理解できます。しかし、ここウィキペディアは信頼できる情報源に基づいて執筆することが求められる場です。出典を参考文献節にでも結構ですので、書き加える必要があると思いました。また、英語版ウィキペディアは根拠たり得ないことを付言しておきます(そもそも英語圏における日本史研究自体がかなりデタラメで、近世以降は見るべき研究もありますけれども、中世以前は手のつけようのない惨状なのです)。--shimoxx 2008年3月14日 (金) 15:28 (UTC)[返信]

出典を述べているのに、要出典のタグを一方的に張るのはいかがでしょうか。また英語版はデタラメだとか内容に関して議論もせずに決めつけるのも疑問に思います。--尚玉 2008年3月15日 (土) 08:27 (UTC)[返信]
言葉足らずで申し訳ありませんでした。Wikipedia:信頼できる情報源に「ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません。」とありますとおり、ウィキペディア自信を典拠とすることは適切とは言えません。まずは英語版の当該項目の典拠となっている「信頼できる情報源」に直接当たることが必要ではないでしょうか。(せめてそこまではお調べいただきたいです。)
また、いろいろ文献(二次資料)を読みましても、武士階級を貴族と規定した上で、日本の貴族は古代から続く貴族層と武士層に二分される、とする見解に出会ったことがなく、少なくとも学術研究の場において主流な説とは言い難いのではないかと感じています。ですので、節冒頭であのように記述することは中立的な観点の「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。」に抵触するおそれがあるように思います。
もちろん、私の勉強不足の可能性も当然ありますので、武士階級を貴族と規定する論文なり書籍が既にあり、学術研究の場で広く支持されているかも知れません。そうした検証可能な材料をお示しいただければ、本項の充実にもつながりますし、私も即座に非を認めるでしょう。「ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は『真実かどうか』ではなく『検証可能かどうか』」(Wikipedia:検証可能性)という観点に沿ってご対応いただけますと幸いに存じます。shimoxx 2008年3月15日 (土) 12:03 (UTC)[返信]
今日我々が使っている「貴族」という概念は、西洋のNobilityの翻訳語であって、もともとの西洋の貴族概念に従えば、貴族というものには士族も含まれます。そもそも日本の武士、侍、士族という階級は特殊であり、世界的に見れば、これは「軍人貴族( military nobility ) 」の一種と見なされています。この単語で一度検索してみてください。侍の説明として、いくつもヒットするはずです。ですから、日本ではいっぱんに貴族といえば公家、あるいは明治以降の華族を想像しがちですが、広義には皇族、士族なども貴族に含まれます。--尚玉 2008年3月16日 (日) 01:19 (UTC)[返信]
そのご主張の典拠を(信頼できない情報源が多く含まれるネット検索ではなく)ご明示いただきたいのですけれど・・・。
少し私の方でも調べてみたのですが、まず講談社『Grand Universe』「貴族」項「日本」節(村井康彦)では、日本の貴族の説明として、古代貴族及びその後継である公家に関する記述しかありませんでした。『国史大辞典』「貴族」項(弓削達)では、古代貴族について説明した後、日本史上の貴族という用語が示す範囲が時代によって一定でない旨を述べつつもその詳細への言及はありませんでした。『平凡世界大百科』「貴族」項「日本」節(橋本義彦)では、古代貴族と公家について述べながら、平氏政権と源頼朝がその貴種性から貴族化を志向したこと、室町期の足利氏が公家首班たろうとしたこと、近世には家格の固定化が果たされ、将軍家と大名層が武家貴族を形成したこと、が解かれていました。
いずれの執筆者も信頼できる研究者として定評がありますので、以上により日本史上における貴族概念の態様をおおよそ捉えることができるだろうと思います。しかるに、学術研究レベルにおいて武士階級一般を貴族と規定する議論は少なくとも主流ではなさそうですし、貴族がいわゆる公家貴族と武士階級に「二分される」と書いてしまうことも独自の研究に当たりそうです。
以上を踏まえた落としどころとしまして、節冒頭を「日本における貴族の歴史を概観すると、ヤマト王権期の豪族層に由来する古代貴族がまず形成された後、平安時代前期には従来の古代貴族に代わって藤原氏や源氏が主流となった。中世前期にこれを母体とする公家層が形成されたが、公家層は中世後期以降、経済的実権と政治的実権を喪失しつつも、明治維新期まで存続した。一方、中世には、武士階級の最上位層(武家棟梁)が貴族化する動きを見せ、近世に入ると家格の固定に伴って将軍家や大名層が武家貴族を形成した。明治維新期に至り、公家貴族と武家貴族を中心とする上流階級が華族へと移行したが、太平洋戦争での敗戦に伴い華族制度は廃止され、日本の貴族は消滅した。」といった内容に書き換え、中世節及び近世節におのおの適宜加筆する。さらに、欧米等で武士ないし士族を貴族と概念規定する議論が存在するのであれば、その典拠を明示した上で節冒頭に「武士階級一般ないし士族も貴族に含まれるとする見解が欧米を中心に提起されている。<ref>・・・・・</ref>」と付言することを提案してみるのですが、いかがでしょうか。
いずれにせよ検証可能な信頼できる情報源さえ見つかれば、万事OKでございます。shimoxx 2008年3月16日 (日) 17:24 (UTC)[返信]
長めに約3週間ほどお待ちしてみましたが、特にご異論もありませんでしたので、ほぼ上記のとおり本文を修正いたしました。--shimoxx 2008年4月8日 (火) 16:18 (UTC)[返信]

返事遅れました。上記の記述で特に異論はありません。ただ「「武士階級一般ないし士族も貴族に含まれるとする見解が欧米を中心に提起されている」という部分は、「西洋の貴族概念では、武士階級一般ないし士族も広義の貴族と解釈されている」としたほうがいいと思います。要するに、武士が貴族かどうかは、貴族の概念についての相違によるわけですから。皇族、王族も西洋ではNobilityに含まれます。--尚玉 2008年4月16日 (水) 01:48 (UTC)[返信]

ご返事をお待ちせず編集に至ってしまい、失礼いたしました。
ご指摘の件につきましては、自分も調べてみようと思います。と言いつつ、英語文献とか読まなきゃいけないであろうことを考えるとかなり憂鬱ですが(*^_^*)。折角のご指摘ですので、うまく本文に反映させることができればよいなぁと考えています。shimoxx 2008年4月16日 (水) 14:20 (UTC)|[返信]


天皇制と貴族制とについて[編集]

佐藤幸治 (憲法学者)氏は、憲法14条1項の平等原則が具体化された例のひとつとして明治憲法下で存在した貴族制度の廃止(同条2項)を挙げた上で、

「もっとも、皇族は一種の貴族ともいえるが、これは憲法が天皇制を存置したことに伴い、一定範囲で存続している」

とされています(青林書院・現代法律学講座『憲法』第3版・p476)。たまたま手許にあった平成7年発行の書籍ですが現在に至るまで改説はされていないと思われます。天皇制を憲法上の例外として許容された貴族制とみるのが憲法学上の通説のようです。--Сорасоуё 2008年9月29日 (月) 12:08 (UTC)[返信]

そうなのですか。失礼いたしました。不勉強の至りです。--らりた 2008年9月30日 (火) 12:27 (UTC)[返信]
この論点に注釈が付いたのはよいとしても、民法学者さんが「学部生時代に作成した」([1])レジュメより定評ある憲法の基本書なりコンメンタールなりを典拠とした方が適切なのではないでしょうか。どの文献がよいか決められる立場にはないし、リンク先の先生は私よりは偉いに違いないのでとりあえず何もしませんが。--Fish40 2009年1月26日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

分けたらどうでしょうか[編集]

冒頭に「世界的観点からの説明…」が貼られていますが、まあ、日本語版と言うことで当然日本の記述が多くなると思いますが、そんな事を言っていても仕方が無いし、じゃあどうしましょうと言うことで、貴族と貴族(日本)に分けたらどうでしょうか(記事名は具体的になった時考えればいいですが、とりあえず貴族 (中国)が有るので)。そうすれば「日本 貴族 (日本)を参照」で済み、分量も程よくなると思います(関連項目も日本関連はそっちに)。また、あるいは既に似たような記事が有ればそちらでもいいと思います。できれば曖昧回避も有るといいのですが。--219.40.151.3 2012年8月15日 (水) 14:06 (UTC)[返信]