ノート:貨幣/過去ログ1

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無題

Ichiro Kikuchiです。特殊貨幣について、書きました。最後に文献を入れました。(--Ichiro Kikuchi 2008年2月6日 (水) 03:42 (UTC) Ichiro Kikuchiと申します。アカウントを作ったのですが調子が悪く、別のパソコンで入力します。特殊貨幣を書きましたが、皆さんの意見をお聞きしたいと存知ます。--利用者 2008年1月22日6日 (火) 05:43 (UTC)


いわゆる記念硬貨は今でも「貨幣とみなす臨時補助貨幣」で発行されているように読めますが、これは施行前の記念硬貨(の一部?)であって、施行後に発行された記念硬貨は、同法5条2項・3項の「記念貨幣」ではないでしょうか? いい文案が思いつかないので、どなたか確認のうえ直してください。

歴史にヨーロッパのものを加えたほうがよいかと思います。(ゴールド・スミス・ノートなど)

--68.255.92.121 2005年7月4日 (月) 06:09 (UTC)

「貨幣とみなす臨時補助貨幣」は昭和63年4月の同法律施行以前に発行された、1円~500円の硬貨(100円および500円の記念硬貨も含む)と「オリンピック東京大会記念のための1000円の臨時補助貨幣の形式等に関する政令」(昭和39年政令第180号)に基づき発行された1000円銀貨および、天皇陛下御在位60年記念のための10万円及び1万円の臨時補助貨幣の品位及び形式に関する政令(昭和61年政令第130号)に基づき発行された1万円銀貨および10万円金貨を指します。
仰る通り施行後に発行された記念硬貨は、同法5条2項・3項の「記念貨幣」です。訂正しましたが、より適切な文章表現があればどなたか編集をよろしくお願いします。--As6022014 2009年5月27日 (水) 10:54 (UTC)

>例えば、本20冊と牛1頭といった比較が客観的に可能になり価格を計算できる。 上記の文章貨幣の比較機能として書いてありますが、本20冊と牛1頭はその物が比較できるものであり、何も貨幣を通して比較する必要もないのではと考えますが。 ただ問題は貨幣に比較機能があるのかと言うことになりますが。比較は物自体が持っているものであり。この場合貨幣の説明にはならないと考えます。 例えばリンゴを食べたい人が自分の持っているイチゴと交換したいと考えた時、貨幣を通さなくてもその物自体がすでに比較の対象になっていると考えられます。リンゴが最盛期を向かえ大量にある時、イチゴがハウス物で少量しかない時貨幣を通さなくてもすでにイチゴのほうが価値があると比較できます。 また大量生産が出来る物と、手作りのため少量しか生産できない物では同じように見えるものでも手作り品のほうが大量生産品よりも価値があると比較できます。この良い例がブランド物です。貨幣に比較させなくともその物自体がすでに比較の対象になっています。 貨幣に比較機能があるのか教えてください。--222.13.176.31 2007年3月6日 (火) 05:43 (UTC)

貨幣を媒介とする取引はモノを共通のモノ(カネ)に置き換えて取引することを意味しているため、様々な商品が共通のモノに置き換えられることになります。例えば、イチゴのほうがリンゴより価値がある、手作り品が大量生産品よりも価値があるというのは判別できますが、イチゴと手作りカバンのどちらが価値があるのかは判別が難しいということになります。また、イチゴを何個集めれば手作りカバンと同じ価値になるのかは貨幣を持って比較しなければ容易には分かりません。全てのモノを共通のモノに置き換えることで共通のモノは比較尺度となります。その共通のモノが貨幣ですから、貨幣には比較機能があることになります。--Nikka 2007年3月6日 (火) 07:33 (UTC)

Nikkaさん早速の返信ありがとうございます。貨幣の機能では三機能として長い間言われてきたことであり、このようなかたちの中で変えられる性質のものではないと承知はしております。ですが私には貨幣を調べているものとして納得いかない面がありますので続けさせていただきます。深く入れば入るほど貨幣とは何かが見えてくると思っております。 1といたしましては、ここでモノといっておりますがこのモノとは何なのかということです。経済用語で財とサービスということかと思いますが。財は商品としたとしてサービスとはどういうことなのでしょうか。私は財とサービスは人間の労働を指すものだと考えています。 >貨幣を媒介とする取引はモノを共通のモノ(カネ)に置き換えて取引することを意味しているため、様々な商品が共通のモノに置き換えられることになります。 上記の文章Nikkaさんが書かれたものですが、モノを共通の(カネ)に置き換えていると書かれてありますが、この時すでにそのモノ(労働)には価格が設定されていると解釈できます。その価格を「カネ」(労働の評価)に代替わりをさせているだけではないでしょうか。 長い間当たり前のように語られてきたことを、新しい理論(作れればの話ですが)にしていくのは時間がかかるものだと思っています。 --222.13.176.31 2007年3月7日 (水) 00:33 (UTC)


:気が付いたのですが、「貨幣の機能」の項目の文章がなぜ途中で中途半端に終わっているのでしょうか。  単なる編集ミスだと思うのですが、直してもよろしいですよね。 --192.162.22.35 2007年6月11日 (日) 16:52 (UTC)  —以上の署名の無いコメントは、222.4.7.110会話/whois)さんが[2007-06-12T07:53:33(UTC)]に投稿したものです。

222.4.7.110さん自身の編集によって「中途半端に終わっ」た状態になったようですが。悪戯はやめて下さい。nnh 2007年6月12日 (火) 08:02 (UTC)

2011年7月7日(木)07:59からの一連の版

すでに対話を頂き[1]「もうすこし考えてみます」と頂き、対話により対応させて頂き[2]ましたが、独自研究の公表を繰り返されるばかりで、お願いしておりますようにWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:出典を明記するを参照頂いた形跡がみられません。このまま独自研究の公表を繰り返されても際限のない編集合戦になりますのでいったん保護依頼を提出いたしました。すでに対話にて申し述べさせて頂きましたが、引用元(「●●によれば」「文献××によれば」的な記述)があれば無論記述できるとおもいますが、貨幣の歴史的経緯を考えれば【「国家」が「租税」を数値化しつづけなければならないのは貨幣の価値を保証するためである】との論述は(厳密にはこのようには記述してらっしゃらないかもしれませんが)無理があると思います。仮に不換紙幣による管理通貨制度を前提とした場合であっても、やはり特別な主張には強固な情報源が必要です。--大和屋敷 2011年7月8日 (金) 07:27 (UTC)

お世話になります。先日からご迷惑をおかけしています。やはり、現在の「貨幣の機能」における説明の【貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣に信用があることが必要かつ十分条件である。】における”信用”が、”誰の何に対する”ものであるかを説明できていない現在の文章に違和感を覚えます。自分の中では、”Money As Debt(約47分のビデオ)”にあるように、’国民の政府への’信用と定義しています。
あえて、「ウィキペディアは何ではないか」の「ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません」にもあるように、「ウィキペディアは百科事典的な参照資料であって、教科書ではありません。ウィキペディアの目的は事実の提示であって、主題について教えることではありません。」を使わせていただけるものとして、再度、’信用’という概念について、数日後記述したく思います。--Chihoukou 2011年7月20日 (水) 03:27 (UTC)

このような本質的な議論をたかだかビデオの説明コメント程度を引用元に定義しないでください。一般には通貨の価値を管理しているのは中央銀行であり政府(ないし議会)ではありません(シンガポールのように政庁が中央銀行を兼ねている場合は例外です)。通貨のもつ強制決済力という観点に立てば、司法を含めた国家の通貨決済制度そのものが保証していると言えそうです。また通貨の価値は政府の保有資産や徴税権とは関係ありません。アダムスミスによれば貨幣はその背後にそれと同等に交換される商品の存在をもって価値と定義し(真性手形説)、リカードの古典的解釈によれば「通貨の価値はそれが保証している金塊の価値、すなわち金塊を採掘するコストと同等」(経済学及課税之原理、岩波1928、P.340)という定義であり、そのほか貨幣の価値論はとりわけマルクス系の学者によく検討されているようですが、その定義は百花繚乱のようで、どの定義を取り上げておけばよいのか判然としない状態です(たとえば[3])。ケインズによれば貨幣とはただ計算単位として存在しているものであって、一方で国家がその流通の強制決済力を保証していなければならない([4]P.54-55)。ケインズの定義あたりは利用しても他の読者から反論は出ないかもしれませんね。いずれにせよ、以前より申し上げているように「自分でいろいろと研究して記述」するのではなく、インターネット等を利用して信頼できる情報源を探す努力をしてください。--大和屋敷 2011年7月20日 (水) 09:48 (UTC)

お世話になります。また、ご丁寧な解説おそれいります。「お金」における尺度の定義は非常にあいまいで、パン屋の夜8時からの「タイムサービス」なんてものがありますが「小麦の値段」ではなく「労働サービスの対価」や「時価」といった視点も必要であり、動きのあるものについてある瞬間を捉えてこうだと言うべきではないと考えております。そして、子供に説明するにあたっても非常に抽象的になりますが、ジンバブエドルの例で示されるように、その価値の判断の根源が、国民の政府に対する信用です… という展開まで来ると出典が必要とは思いますが、今の文章ではどうしても記載途中にしか読めません。--Chihoukou 2011年7月20日 (水) 11:20 (UTC)
半分冗談で追記ですが、聖書の言葉やことわざって、出典にできるんですかね。とまあそれはさておき、義務教育の範疇での言葉で説明をと考えているので、出典が必要な部分こそ置き換えていきたいイメージです。…教科書作りになってしまいますね。--Chihoukou 2011年7月20日 (水) 12:10 (UTC)
もう一つ追記で、Wikipedia:引用のガイドライン
はじめに-執筆は自分の言葉で-百科事典の執筆をする上で、誰かが作り出した文章などをそのまま、あるいは少しだけ改変して使用しなければいけない場面は、それほど多くありません。もちろん、執筆にあたっては、複数の信頼できる検証可能な資料を参照し、その内容に基づいて記述を進めるべきです。しかし、ウィキペディアでは、その資料を引き写すのではなく、あなたが十分その内容を理解し、咀嚼し、百科事典にふさわしいあなた自身の表現で執筆することが求められます。そのような心掛けで執筆していれば、著作権法などに違反することは、めったにないでしょう。著作権侵害を避けるには、あなた自身の表現で執筆することが大事なのです。
これは裏を返せば、引用時は著作権違反で訴えられないように明示しなさいということでしょう。ですから、独自研究とまでは言えない(反例を示せない)常識的な理論や推論を、常識的な表現を用いて記述している場面で「どこから引用した? 言えないなら元へ戻せ!」と言われるのは心外です。大和屋敷さん(文章の読み手)が「ここをパクッたのでは?」という聞き方でお願いしたいです。--Chihoukou 2011年7月21日 (木) 03:22 (UTC)

【引用元を明示】してあり、且つ文脈において説明するさいに【必要な範囲】であれば、完全に同じ字句で引用した状態であってもとくに問題はないですよ。また、その内容に含まれるアイディアを、正しく、かみくだいて自分(Wikipedia編集者)の言葉として投稿し、さらにその記述を裏付けるものとして参照先(事実上の引用元=Wikipediaの言うところの出典、ないし検証可能性)を明記しておくことがいちばん望ましい状態です。【ポイントは引用元や出典が存在していることです】。純粋に技術的な意味で他人の著作物をコピー&ペーストすることは好ましくありませんが、事実上まったく同じ字句を引用していても適正な範囲であり引用元が明示してあれば問題ありません。Wikipedia:引用のガイドライン引用という記事があります。なおWikipediaには、すでに多くの「出典情報がない記述」があり、これは好ましくないものですが、他の編集者によって概ね間違っていないだろうと見なされている記述は【放置】されています。放置されているからといって許可されているわけではありませんが、誰も問題と思われていなければ放置されており、別の編集者がこれはとくに問題のある記述だとみなされた箇所が引用元要求や正確性の検討要求などにより編集検討されている、という状況にあると考えます。--大和屋敷 2011年7月21日 (木) 04:27 (UTC)


引用元としているもの

現状、こちらの記事を更新させる予定はなくなりましたが、一応。(引用元が引用しているものも記載するのは蛇足でしょうかね) …でも、大学で卒論を書くとき、小学校のときからのアイデアの元になった文献を記載しようとしたら、「明確に文言を利用したものでなければ、引用とはしなくていいよ」といわれたような気が。

【Money As Debt(日本語字幕版)反ロス同盟オリジナル翻訳 第一弾】
http://video.google.com/videoplay?docid=-446781510928242771&hl=en
【Money As Debtが参考としたもの?】
『世界最強の通貨「ドル」の力』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050904
『外国資本が所有する米国中央銀行FRB』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050905
『"無"から創造されるお金』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050906
『お金の秘密』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050907
『お金の歴史』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050908
『お金のシステムがもたらす問題』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050909
『利子の問題点』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050910
『強制される経済成長』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050911
『広がる経済格差』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050912
『効率化という名の「どん底に向けての競争」』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050913
『移動する資本』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050914
『銀行を通した地方から中央へのお金の転移』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050915
『連邦準備制度について(1)~(4)』
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060430
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060502
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060503
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060507

--Chihoukou 2011年7月21日 (木) 12:32 (UTC)

学術論文(卒論もこの場合含む)とWikipediaの決定的な違いは、学術論文は「独創的で新規なアイディアが含まれること」が重要で、一方でWikipediaはそのようなものが含まれていれば独自研究として除去の対象になってしまうということだと思います。このあたりの感覚が最初はなかなかつかめないのでWikipedia編集で困ったり他の編集者とトラブルになったりする点だと思います。Wikipediaの編集ルールのような姿勢で学術論文を起筆すればまず受理されないでしょう(卒論程度なら分かりませんが)。--大和屋敷 2011年7月21日 (木) 13:38 (UTC)あと、匿名ブログや無名筆者によるブログやHPはWikipedia:信頼できる情報源になりませんよ。これは学術論文でも同じはずです。--大和屋敷 2011年7月21日 (木) 13:43 (UTC)