ノート:豊橋駅

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


隣の駅[編集]

<提案> 隣の駅について意見を求めています。

従来形式の文字だけのものか、現在のような表形式が良いか、見易さ・編集のしやすさを元に意見を聞かせてください。

<賛成>

<反対>

  • 積極的には賛成しません。意見はノート:神宮前駅に書かせていただきました。Rusk 2005年12月28日 (水) 20:04 (UTC)[返信]
  • 私も積極的に賛成しません。むしろ否定的です。豊橋駅の場合、それでなくても各線別のテンプレートが組み込まれて無用に長くされて見づらい状況に陥っています(これを東京駅など大規模な駅の項目でやったらどのような阿鼻叫喚地獄絵図になるのだろうか)。また、表形式ではタグを知らない人を排除することとなってしまい、結果的には最新の情報になかなか差し変わらず、項目自体の陳腐化につながりかねません。(2006年1月5日 (木) 13:25 コメント記述)1月7日署名追加…D.Bellwood 2006年1月7日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

豊橋鉄道東田本線(駅前駅)[編集]

豊橋鉄道東田本線(駅前駅)はもともと豊橋鉄道東田本線(駅前停留場)でした。ウィキペディアでは電停を駅として書かれているので節名を訂正したわけです。駅前停留場名で内部リンクしている項目も有りまして、一部の方には迷惑をお掛けしたかも知れませんが、節名は統一したほうが良いと考えてのことです。御理解頂けたら幸いに思います。--ウィキ豊 2007年5月25日 (金) 03:05 (UTC)[返信]

出典不明の記述について[編集]

名鉄とJRが同居」の節における要出典の箇所を、一部を除き一旦コメントアウトさせて頂きました。検証可能な情報源をお持ちの方は提示願います。

なお、ある程度の期間をおいて提示されない場合は検証不能と見なし削除します。--しげ坊 2007年7月31日 (火) 14:09 (UTC)[返信]

(報告)1ヶ月以上経ちましたが、適切な出典が示されなかったため削除しました。--しげ坊 2007年9月6日 (木) 14:31 (UTC)[返信]

分割提案[編集]

分割提案は、分割すべき理由を添えて発議していただきたいと思います。ただ「こうしたい」というだけでは、議論ができません。理由が明確に示されない限り、提案は自動的に却下されるものとご理解ください。--Kone 2007年9月9日 (日) 07:48 (UTC)[返信]

再度、分割提案(豊橋鉄道東田本線・駅前駅について)[編集]

現在本項に記述されている豊橋鉄道東田本線・駅前駅について、分割に関する審議を発議いたします。発議の理由は、当該の駅(停留所)における位置並びに路線の変遷履歴によります。

現時点の記述においては1969年(昭和44年)時点からの変遷しか記述されていないのですが、駅前駅自体は豊橋鉄道東田本線(当時は豊橋電気軌道)の開業時(1925年(大正14年))より存在していること。その変遷を証明する資料が存在すること。その資料を参照する限り記述すべき事項が多く、現行の(JR)豊橋駅の項への少々の記述よりは項目を独立しても差し支えはないのではと思料します。

このため、分割にかかわる審議を発議いたしますので、審議の程よろしくお願いします。合意が得られれば、独立項目を作成したいと思料します。

  • 参考資料
    • 『豊橋のチンチン電車』(白井 良和 他・編) / 郷土出版社 1998年発行 ISBN4-87670-109-1
    • 『伊奈彦定画集第2集 豊橋今昔市電のある風景/設楽残像なつかしの田口線』(伊奈 彦定・著)/ 豊川堂 1996年発行)--D.Bellwood 2007年9月23日 (日) 01:06 (UTC)[返信]
(賛成)加筆で文量がどのくらい増えるか判りませんが、しっかりした出典がありそうなので賛成とします。--しげ坊 2007年9月23日 (日) 01:26 (UTC)[返信]

「その他」[編集]

具体的に書く必要はないと思うので、多くは書きませんが。

IP:115.30.130.170会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさん曰く「何が意味不明だ!」だそうですが、私もその記述が「意味不明」であるという方に一票を入れておきます。直通運転をしている訳でもないし、線路が繋がっている訳でもありません。そのことが豊橋の駅に何か重大な変化を与えたのなら特記に値するとは思いますが、そんなことは無いようですしね。--継之助 2009年4月10日 (金) 09:26 (UTC)[返信]

先日取り消し処理を行い、本日IP:115.30.130.170会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんにキレられ罵声を喰らった本人です。その記述が『意味不明』と判断した理由を以下に記します。

  •  豊橋~姫路間が私鉄のみで行けるルートが出来たとのことですが、そのルートを活用した直通列車というものが設定・検討されたのでしょうか。豊橋からだと「名鉄・近鉄・阪神・神戸高速・山陽電鉄」といったところでしょうが、それらの線路が全て1本でつながったのでしょうか?
  •  それぞれの私鉄で豊橋~姫路間を最短・格安で行けるような協定とかはあったのでしょうか?
  •  それが豊橋市民や姫路市民に何らかの影響を与えたのでしょうか?

IP:115.30.130.170会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんには以上のことを問い、翌日(4月11日)中までにこのノートにて回答願います。回答の無い場合、更なる逆ギレ行為に及ぶような場合は、その記述はトリビア以外の何者でもないと判断いたします。--D.Bellwood 2009年4月10日 (金) 10:54 (UTC)[返信]

最近の編集[編集]

ここ2年ほどで分量は大幅に増えていますが[1]、出典が増えた形跡は全くなくないようです。何の出典もなく、乗り換えに関するお節介で個人的な説教やら体験談が書かれているように思います。それと、ホームの寸法はミリ単位で異様に細かく書いてありますが、これも出典が気になります。--fromm 2011年8月1日 (月) 09:01 (UTC)[返信]

formmさんに触発されて、出典をつけて改稿しようと思います(たぶん実行)。それで、出典のない記述(特にホームに関する瑣末なことがら)はばっさりと除去するので(出典なさそうだし)、もし仮に出典があるのならお早めにどうぞ。--継之助 2011年9月11日 (日) 04:28 (UTC)[返信]

改稿中[編集]

上で予告したとおり、改稿作業中です。「歴史」を注力して書いているのですが、現状の「駅構造」が酷すぎ。出典を元に、一から書き直すことにしています。その出典、川島令三氏の配線本はそこそこ詳しく構造を解説しているのですが、それ以上にこの記事の内容は仔細(瑣末?)に過ぎます。ほかに出典があるのでしょうか...いやないですよね、いわゆる「見たまま情報」ですよね...。

出典が補記できる(現在の)記述に逐一出典を追加してまわって、ない記述に要出典を貼る、という技は自分にはできない(面倒だから)。ので、出典の見込めないと判断した記述に要出典を貼りますが、出典のある記述に出典を補記する作業は改稿するときになります(あまりよろしくないのは承知の上です)。要出典の記述は改稿時にほとんど消してしまう予定なので(文脈に組み込むウデはないし)、出典があるのならお早めにどうぞ。--継之助 2011年10月5日 (水) 15:37 (UTC)[返信]

さて「概要」「歴史」「構造」の3つについて改稿しました。
参考文献で挙げたとおり、「歴史」について記述している文献は、「構造」についてのそれよりも圧倒的に多数です。上に来るものほどメイン・コンテンツなのだと理解しておりますが、文献で取り上げられる回数が圧倒的に少ない「構造」が「歴史」よりもメインであるはずがない。という意図で、「歴史」を先にし「構造」を後としております。
あらかじめ要出典を貼っておいた記述はすべて消しました。他にも、出典明記の見込みのない記述は捨てております。「manacaで利用して新幹線に乗り換える場合」の記述は悩みましたが、現地のビラでしか扱っていない(らしい)内容は特筆性がないと判断しています(構造についての詳細な記述も同じく)。
今回書いていない「停車列車」は改めて書きたいと思っています。以上、とりあえず備忘録として書いておきますね。--継之助 2011年11月24日 (木) 13:30 (UTC)[返信]
随分経ってますが、14番線にかんする記述ですが、どう見ても増設の余地は無さそうなのですが。出典も川島令三氏の配線本で、そちらの根拠もよくわからないので削除したいと思います。--Aofumi会話2020年5月27日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

乗車人員統計について[編集]

現在『愛知県統計年鑑』系と『豊橋市統計書』系(どちらもJR東海、名鉄提供の資料に基づいたもの)とで数値の照合を行っているのですが、県統計で年間乗車人員がガクッと落ちている2002年度(平成14年度)が市統計と一致しません。豊橋市統計書がJR・名鉄で個別統計になったのは比較的最近で平成10年代は両社の合算値なのですが、平成16年度版に掲載された平成11-15年度分の豊橋駅年間乗車人員(=名鉄、JRの合算)の値と県統計掲載のJR・名鉄それぞれの年間乗車人員の値の和(=JR+名鉄)を比較すると、5年間のうち平成14年度だけが合計が合わないのです。

  • 県・市統計で数値が合わない2002年度(平成14年度)。前後年は一致。
    • 県統計: 12,862,696 = (JR)7,147,814 + (名鉄)5,714,882
    • 市統計: 14,842,693

また、JR東海の一日平均値は純粋に日数で割っているだけなのですが、2002年度のみデータ上に記載された平均値(20,323)と実際に年間値(7,147,814)を365で割った場合の算出値(19,583)が異なります。なお仮に名鉄の統計値は正しいとして市統計合算値から県統計名鉄値を差し引いた値(14,842,693 - 5,714,882 = 9,127,811)を基に平均値を算出した場合、小数点以下四捨五入で25,008となります。

また、まだ未掲載の時期の問題として「県統計の国鉄豊橋駅の値が年度によって名鉄を含む場合がある可能性」があります。統計で見る豊橋市の100年に明治期からの乗車人員の統計があり、戦前統計までは国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる「愛知県統計書」と数値が一致するのですが、戦後統計は県統計が国鉄・名鉄で別統計(1970年度まで千人単位、名鉄は1958年から77年まで未掲載)、市統計は国鉄・名鉄の合算値で本来なら両者の数値は一致しないはずです。しかし、実際は1975年度(昭和50年度)以前の県統計に記載された「国鉄豊橋駅単独値」が市統計にある「国鉄・名鉄合算値」と一致します(千人単位掲載の1970年度以前はごく一部の年度をのぞき概算値が一致)。

県統計では1975年度に年間1546万人だった年間乗車人員が1976年度には948万人に急落しており、この年度までは名鉄統計が未掲載ながら国鉄統計側に名鉄分が計上されているのではないかと思われます(このような異常な増減は名鉄と共同使用の刈谷駅や尾張一宮駅などでもみられます)。傍証として、県統計でも名鉄豊橋駅の掲載が始まる1978年度(昭和53年度)以降は同年度と1979年度(昭和54年度)の両事業者の統計値を合わせた値が市統計掲載値に一致します(翌年度以降しばらく一致しなくなり、昭和60年代-平成1桁は未確認ですが、平成10年代にはまた一致するようになる)。また、それ以前も1963年度から1965年度の年間値が1502万人→959万人→1602万人となっており、これは1964年度のみ国鉄単独値が計上されて生まれた谷ではないかと考えています。

2002年度問題が残りますが、現時点で打つ手としては豊橋駅全体の値(合算値)を示す場合は数値が安定した市統計と『統計で見る豊橋市の100年』を使用するとして、事業者別の数値を示す場合は戦前+県統計1976年度以降を使用する(戦後から1975年度までの県統計国鉄豊橋駅の数値の使用は控える)とした方が良さそうです。--ButuCC+Mtp 2021年2月21日 (日) 18:49 (UTC)[返信]