ノート:絶対音感

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絶対音感と相対音感[編集]

>また、絶対音感のある者が相対音感を持っていない、または相対音感が劣位にある、といわれることがあるが、決してそのようなことはなく、相対音感については絶対音感のない者と同じ感覚を保持している。

それぞれの音はいいあてられるのに、相互の音の関係(3度とか5度とか、あるいは長三和音か短三和音かとか)がすんなり出てこない絶対音感保持者を複数知っているのですが、...  多くの相対音感保持者は、それぞれの構成音の絶対音高はわからなくても、それこそ相対関係はある程度直感的にわかるし、そのことを相対音感というのだと思うので、上記の引用部分に関しては疑問です。160.185.1.56 2005年7月7日 (木) 01:54 (UTC)[返信]

絶対音感のない人でも、同じように相互の音の関係(3度とか5度とか、あるいは長三和音か短三和音かとか)がすんなり出てこない人は数多くいると思いますが....-- [Café] [Album] 2005年7月7日 (木) 02:38 (UTC)[返信]

本文の文章は、"絶対音感を持つ人の相対音感が劣位であるということはない" といっています。私が主張しているのは、"絶対音感を持つ人の相対音感が、絶対音感を持たないが相対音感を持っている人の持つ相対音感より、劣位にあると考えられる例がある" ということです。っさんが書いておられることは、私の理解では、"そもそもしっかりとした相対音感を持たない人はたくさんいるのでは" ということで、ちょっと論理が食い違っているように感じられますね。それとも私の本文の理解がちょっと間違っているのでしょうか。
これは印象論ですが、絶対音感をもっていると思われる方が、十分な相対音感を持っていないと思われる例(例えば和音の構成音が聞き分けられても、その調において主和音かどうかが感覚的にわからない、とか)に数多く接しているので、絶対音感を持っていることが、却って個々の音を離れた音相互の関係を把握しにくくしているのではないかな、と疑っているのです。(だから、本文の記述が疑問に思えるのです。)逆に、相対音感を持っている、ということは、それがわかる、ということだと理解しています。--なんかもう少ししっくりくる表現はないでしょうか。
絶対音感を持っているグループと、相対音感を持っているグループを比べたとき、相対音感を持っているグループの持つ相対音感のレベルと、絶対音感を持っているグループの持つ相対音感のレベルが異ならない、という具合に本文の記載は主張しているように読めるのですが、経験的には違う気がするんですよね。っさんの書かれているのは、絶対音感を持っているグループと、絶対音感にせよ相対音感にせよ、それを持っているか持っていないかを問題にしていないグループ(持っている人も持っていない人もいる)を比較対象と考えておられるようですね。160.185.1.56 2005年7月7日 (木) 03:19 (UTC)[返信]

う〜ん、どうも、相対音感に対する考え方が違うようです。私の感覚では、音程とか、和音の名前が言えること、または和音の音度が言えることが、相対音感ではなく、単純にたとえばドミナントの後にトニカが来て旋律がI度音に来れば終止感を感じるとか、そういったことです。その程度で、十分に、絶対音感で音を言い当てる、というのと同じ程度かそれ以上の感覚であると思います。それすらのない人というのは、日本の少なくともある程度までの世代の人には、あまりいないと思います。ただ、絶対音感のない人の方が、相対音感に対してより敏感である、ということは言えるのかもしれませんね。それは、絶対音感のある人が、それに頼って、相対音感を使わなくてもすんじゃうから、なのかもしれません。-- [Café] [Album] 2005年7月7日 (木) 06:34 (UTC)[返信]

そうすると、逆にあんまり違っていることを言っていると思わないのですけれど。正に、(和音の音度が言えるというのではなくて、)機能和声に基づく曲を聴いたり演奏したりするときに、トニカをきいて、あるいはトニカの構成音を演奏して、それがトニカかどうかが、わかる、自分が第何音を演奏しているかわかる、というレベルのことを言っているつもりなんですが。ときどき、構成音を確かめて、ああ、この和音は主音の上に長3度と完全5度が載っているから、主和音なんだ、という(私にとっては信じられない形での)理解をする人もいるんですよ。
ちょっと別の表現をすると、聞いただけの曲の移動ドでの階名唱がある程度(複雑な音程でなければ)できるというのが相対音感の表れだと思うんですが、絶対音感のある人のなかには、主音が直感的にはわからない、という人が多いような気がします。
で、話を戻すと、本文の記述は「絶対音感のない人の方が、相対音感に対してより敏感である」ということはない、といっているように思える、のでそれはちょっと疑問だ、と言っているつもりなんです。160.185.1.56 2005年7月7日 (木) 07:30 (UTC)[返信]

相対音感のない人、というのはあまりいないと思いますが。絶対音感があっても、C-DurのI-IVとF-DurのV-Iは、違って聞こえますよ。それを、同じドミソ-ファラドと聞いているから、同じに聞いている、と言うわけではないと思います。

それはともかく、次のようですかね?

また、絶対音感のある者が相対音感を持っていない、または相対音感が劣位にある、といわれることがあるが、そのような研究報告は知られていない。相対音感については絶対音感のない者と同じ感覚を保持していると考えられるが、実際には、絶対音感のある者が絶対音感のない者に比べ、絶対音感に頼って相対音感をあまり使わずにすむため、相対音感に対して訓練が不足しがちであるということはあり得るかもしれない。

でも、2文目は憶測ですね。書かない方がいいですね。-- [Café] [Album] 2005年7月7日 (木) 08:16 (UTC)[返信]

確かに、現時点では「憶測」にしかならないので、ちょっと残念ですね。
話は変わりますが、「絶対音感があっても、C-DurのI-IV と F-DurのV-I は、違って聞こえますよ。」というレベルの絶対音感を持っている人は逆に極めて少ないんじゃないでしょうか。私にとっては、CとEとGが鳴っていて、それがCとEとGであることがわかるのに、それらが長三和音を構成してい(て、例えばEはその第3音であ)ることが直感的にわからない、という人がいるのはわかり方が全く異なっているとしか言いようがないです。もし、CとEとGが鳴っているとして、それがCとEとGであることがわからなくても、長三和音が鳴っていることがわかる、というというのが私のわかり方、なので。160.185.1.56 2005年7月7日 (木) 09:29 (UTC)[返信]

ちょっと言っていることのレベルが違っているのかも知れませんが、長三和音(明るい)と短三和音(暗い)の違いはわかるんじゃ..... まあ、それをどう捉えるかは別として、長調のIIが、長三和音のように聞こえることはありますが-- [Café] [Album] 2005年7月7日 (木) 11:18 (UTC)[返信]

音を音名で感じ取る[編集]

> 音を、絶対的な音の高さに付けられた音の名前(音名)で感じ取る
これって絶対音感を持たない人にもよくあることなんですよね、音程に興味があればだんだんそのように感じ取れるようになってきますし…ということを書こうと思ったけど、(当項目の該当部分が間違っているわけではないし)相対音感の項に書くべきですね…と思ったら相対音感の項がないや。2005年7月27日 (水) 10:57 (UTC)--以上の署名のないコメントは、202.164.72.183会話/Whois)さんが 2005年7月27日 (水) 10:57 (UTC) に投稿したものです。[返信]

誰が発音しても「おはよう」が「おはよう」と聞こえるのと同じように、音名で聞こえるのはどう説明したらいいんでしょうね。自分、厳密な音感は無いのですが。すごく聴き取りづらい音もたまにあるし、複数重なると聴こえづらくなることもあるんですが、3音くらいの重なりならはっきりわかるし、国語の教科書を朗読するのと同じように楽譜を見れば音を頭の中で再生できます。--以上の署名のないコメントは、218.229.198.113会話/Whois)さんが 2005年12月22日 (木) 22:12 (UTC) に投稿したものです。[返信]

相対音感なんて誤った言葉を広めるような事は止めませんか? 絶対音感は、参照音ナシで音の判別が可能なだけのことであり音楽的な話とは全く関係ありません。 音感という言葉が、音楽的な感覚の意味と、音を感じる能力という意味での音感と2つ意味があります。 絶対音感という場合の音感は音を感じる能力で、音の有無だけでなく、音の高さも認知しうる能力を言いますが、人間の能力として、3歳くらいまでに仕込めば誰でも習得できる能力です。仕込み方は音楽的なアプローチを 取る必要は全くありません。

相対音感なんて言葉は絶対音感を誤解した人達の造語であって、全く無用の造語です。--以上の署名のないコメントは、211.125.13.42会話/Whois)さんが 2006年6月22日 (木) 11:02 (UTC) に投稿したものです。[返信]

こんにちは。久しぶりに「絶対音感」のページを見たら、以前よりずっとまともになっていて感激しました。でも、まだ、あの『絶対音感』というトンデモ本がまき散らした誤解が残っていましたので、思い切って修正させていただきました。(2008.12.25)// 私は絶対音感保持者で、学生オケでは440-442に対応していました。その後、バロック音楽と出会って、さすがにA=415に対応しきれず、ここ何年かかけて、努力して、442に固定した音感を破壊して、再編成しているところです。苦しいですが、絶対音感がある状態もない状態も体験でき、何ができるのが絶対音感のおかげで、何がそうでないかもわかったので、よかったと思います。// ドイツに留学中で、今もドイツからアクセスしています。私が所属しているところは、ソリストではなくカントール(教会音楽家)養成コースなので、鍵盤上の超絶技巧はそれほど要求されない代わりに、オルガンの即興が必修です。(ちなみに歌唱と合唱指揮も必修です。)即興の基礎訓練として、毎週、讃美歌1曲の和声付けと、与えられた課題をすべての調で弾けるようにしてくるという宿題が出ます。この移調の課題は、初めは簡単なカデンツから始まって、今2年生の1学期なんですけど、最近はバッハの4声コラールなどです(暗譜です)。もうついていけなくて泣いています。でも私よりピアノの弾けない子たちが、みんなこなしています。 ヨーロッパの音楽基礎教育がみんなこんなに徹底しているのかは知らないんですけど、教授は、「ドイツではフランスに比べてソルフェージュや和声付けが重要視されていない」と嘆いておられました。裾野が広いなあと痛感しました。 そんなこんなで、怪しい者が独断で書いたわけではないとわかっていただければ幸いです。失礼します… --Kling-klang 2008年12月25日 (木) 16:43 (UTC)[返信]

あ、すみません。「相対音感」という言葉は残してしまいました、と書こうとしてたんです。迷ったんですけど…本当は、「音感」(音と音とのつながりがわかること)のほうが、音の高さがわかるよりずっと大事だ、ということさえ伝わればいいと思っています。そのためなら「相対音感」という言葉が残っても残らなくてもかまわないかなと思います。失礼しました。--Kling-klang 2008年12月25日 (木) 16:51 (UTC)[返信]

音名でナンタラ言う際には音律が係わる事を知れ![編集]

ピアノの鍵盤が世界どこでもみな同じ周波数に割り当てられているなんて思っている人はいないでしょう。 音階だって、今は無理やり12音に割り当てていますが、民族により皆違います。 音楽の勉強をして、毎日練習をしているような状態であれば、音の聞き取りは出来なければ音楽の素養がないことの証明でしかありません。絶対音感と音楽の訓練とは本来関係のないことです。--以上の署名のないコメントは、202.233.244.51会話/Whois)さんが 2006年7月1日 (土) 10:34 (UTC) に投稿したものです。[返信]

修正に向けて[編集]

  1. 絶対音感は幼児期までに会得する後天的な能力である。
  2. 某遺伝子系の病気患者(先天的疾病)は成人後でも習得可能であると報告されている。
  3. 絶対音感と音楽的能力・才能との間に何も関係はない。
  4. 音楽で言うところの音階は、幾種類もあり、物理的な周波数は統一されていない。
  5. 「そよ風に揺れる木々のざわめきが音楽に聞こえるの」は絶対音感と関係ない。

反論あるか? 211.125.13.137 2006年7月10日 (月) 19:52 (UTC)[返信]

なんとも態度の悪い人がいるものですね。おそらくは同一人物と思われるIP緒氏(211.133.18.215, 202.233.244.58等)が私のノートに話題を振りましたので下記で絶対音感の定義を試みたいと思います。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 11:57 (UTC)[返信]

絶対音感の定義の試み[編集]

絶対音感とは、ある特定の周波数を多く含む音を聞き、その音が音階上に現れる音の周波数と近かったときに、その音を音階上の音名によって認識する音感のことを言う。このさい、基準となる楽音との比較なしに、聞いた音だけから音名を割り当てるため、「絶対音感」と呼ばれる。今日絶対音感を問題にする文脈では、音階としてはA音を約440Hzとする西洋音楽等で用いられる平均率音階を主として想定している。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 11:57 (UTC)[返信]

コメントなど。確かに、「絶対的な音の高さに対する感覚のこと」では不十分であると思います。この定義では、何故それが音楽と関連した文脈で語られるのかについて説明を加える上で何かと不自由だと思います。ちなみに上で試みている定義に関しては文献検証はまだ行っておりません。上記の定義を採用するならば、絶対音感はある音楽体系が基礎を置いている音組織の理解と密接にかかわっているわけで、「音楽的能力と何の関係もない」という主張には問題があります。音楽の専門家に絶対音感を持つ者が多いのは、このような音組織、音程感覚を身に付ける上で、絶対音感の影響が無視できないからではないでしょうか。もっとも、絶対音感を音楽の音組織と関係づけずに定義すれば話は別ですが。
以下、個人的な考えの表明で、検証可能性は考慮していません。私自身も絶対音感の持ち主です。4歳の頃から音楽教育を受け、気付いたときにはレコードの音が全部階名で聞こえるようになっていました。そのせいで、たとえば、A=415Hzでバッハの平均率クラヴィーアを演奏している録音を聞くと、第1番が変ロ長調にきこえて、あたまのなかで「シレファシレファシレ、シレファシレファシレ」となるのをどうしても止められないことに悩んでいましたが、自分が古楽器を演奏したりするようになって、様々なピッチで演奏するようになって、1年ほどでA=466,440,415,392の各ピッチに合わせて「絶対音感をシフト」させることができるようになったような気がします。このように、絶対音感は、いったん習得してしまえば、他の類似の音組織に対しては多少の訓練ですぐに適用可能になるのではないかと考えています。もっともそんなことを研究した文献があるかは確かめていませんが。
さらに、絶対音感と単に言ったとしても、それは奥行きのある概念です。上で試みた定義では、いわゆる「単音」を認識する能力として定義しましたが、2つ、3つ、4つの音を同時に鳴らしたときに、それを分解してこの音とこの音とこの音だ、といったぐあいに即座に認識できる能力という側面もあると思います。私は、この「和音絶対音感」とも言うべきものはそれほど保持していないと思います。中には非常に和声的に複雑な和音や、分散和音進行をちょっと聞いただけでコピーできてしまう人もいて、そのひとはまたいわば違った次元の絶対音感を持っているのでしょう。歴史上の音楽家の多くはこのような音感を持っていたと思われ、最も顕著な例の一つとして、私はオリヴィエ・メシアンの「鳥の歌」をあげることができると思います。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 11:57 (UTC)[返信]
人間の生理現象というか、医学的な特性というか、音の記憶能力のことです。
覚える音は楽音に限りません。お寺の鐘であったり、小銭がコンクリに落ちる音であっても、たまたま楽音で、特定の音律の音のセットであろうとも同等なモノです。
物理的に音波として存在する無数の振動お呼びその組み合わせに対して、楽音だけを特別扱いすることに、合理的な意味は全くありません。
なぜ、楽音だけに限定するのか? 楽音だけが絶対音感であるというのならば、お寺の鐘の音等を覚える減少はなんと呼ぶのか?お答えくださいますか?。202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 12:21 (UTC)[返信]
この30分ほどの間に Grove Music Online のabsolute pitchの項目で定義を確認してきましたが、やはり私の定義とほぼ同等でした。Grove の定義では、与えられた音に音名を割り当てる能力(passive absolute pitch) と、ピッチを指定して、この音名の音を鳴らしてくださいと言われたときに、それを歌う等の方法で再現できる能力 (active absolute pitch) とにわけられる、となっています。ちなみに、音楽関係でない「広辞苑」の定義を引用すれば「楽音の高さを他のものとの比較によらず識別する能力」となっていますので、私の定義草案も十分検証可能であり、中立的、かつ文献のコンテクストに則したものであることがわかります。
一方、あなたのいうような、お寺の鐘の音を覚えられるとか、そういうことは、世間一般で使われる絶対音感の定義にはあてはまらないものです。たとえば、興福寺の鐘の音を聞いて、それが強く印象に残って、それを頭の中で自分で鳴らすことができるように感じる、そういうことはあるでしょう。ですが、それは、上記の絶対音感のように、鐘の音を歌ってみてください、といって確かめることもできないので、簡便な方法で興福寺の鐘の音を果たしてどのぐらい忠実に「記憶」できているかを確認することができません。それはより複雑性の高い人間の認知能力のことを問題にしているのであって、認知科学神経科学の言語で記述するのが適当な話題です。
あちこちで指摘差し上げていますが、Wikipediaはあくまで百科事典であるので、世界で幅広く用いられる一般的な語の用法に基づいた項目解説をする場です。もしあなたがそれに異論があったとしても、それは独自の研究にほかならないのですから、ここでそれについて議論するのはルール違反なのです。私以外からも何度も同じことを言われているのでしょう?--Pugnari 2006年7月20日 (木) 12:49 (UTC)[返信]
絶対音感という言葉とperfect pitch や absolute pitch が一般的だという根拠は?202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 14:04 (UTC)[返信]
それに、定義を言うのに「ほぼ同等でした」って何ですか?定義にそんなブレがあってよいのですか?
許容されるブレ巾はどこで決まるのですか?202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 14:04 (UTC)[返信]
歌えるかどうかは歌の技能の話であり、絶対音感と関係ありません。202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 14:08 (UTC)[返信]
ロジックがどうとか、それは俗説だとか仰る割には、ご当人は俗説どっぷり、自分が知ってることが正しいって傲慢かましているだけではありませんか。202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 14:08 (UTC)[返信]
歌の技能は遺伝的要因が強いです。また、機能欠損で歌えない人(声を出せない人)も居ます。そのような人でも絶対音感を持つことはありえるわけです。202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 14:10 (UTC)[返信]
絶対音感を云々される方がNew Groveを知らないわけはないと思いますが、念のため復習しましょう。New Grove Dictionary of Music and Musiciansは世界中で参照されている音楽関係の百科事典で、Oxford大学出版局が刊行しています。当然のことながら学術的な方法論で編纂されており、基本的な情報や定義等に関してはここに書かれていることは世界中で広く受け入れられています。またその圧倒的な存在感から音楽の知識の標準と見なせるものです。また、広辞苑も日本語の単語の定義の一つの標準と見なせる辞典だとおもいますが。これらに掲載されている情報を一般的であると主張することを否定されるあなたは何様ですか?
「ほぼ同等」というのは、「意味内容が同等」という意味です。一字一句翻訳した文章にすれば「同等」といえるでしょうが、それでは剽窃になってしまいます。出典を明記してるのですから、あなた自身でどの程度のブレがあるか確認可能のはずです。揚げ足を取るようなコメントをされる前に、ご自分で出典を検討なさってから指摘されてはいかがですか。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
歌が歌えない人に関しては、非段階的にピッチを変更できる機器を用いて、というようにNew Groveには記載されていますよ。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 14:24 (UTC)[返信]

異論を議論するのがルール違反?[編集]

ウィキの何所にそんなルールが書かれていますか? 議論は意見が違うからやるのではないのですか? 皆が同じ意見なら議論なんか発生しないのではありませんか? あやふやな定義で「私はこう思います」とかやっているから、何年たっても記事が纏まらないのです。 202.233.244.20 2006年7月20日 (木) 14:13 (UTC)[返信]

わたしの日本語が難しすぎますか?では同じことを言い換えますが、独自の研究はWikipediaの記事には掲載できないのです。ノートページは、記事の編集方針に関して議論する場ですから、ある主張(=あなたのいう異論)が独自の研究であると指摘されたら、それが独自の研究でないということを論証するソースを提示することなく同じ主張を繰り返しても、それこそ記事が成長していくのを著しく妨げているのです。ルール違反という言葉が良くないのであれば、趣旨に反すると言い換えておきましょう。あやふやな定義ではダメだとおっしゃるので私は明確な定義の文言を提出したわけです。ですから、「あやふやな定義で「私はこう思います」とかやっているから、何年たっても記事が纏まらないのです。」というのはまったくもって見当違いの指摘です、私に向かって仰っているのであれば。--Pugnari 2006年7月20日 (木) 14:29 (UTC)[返信]

記述方針について[編集]

現状何が言いたいのかはっきりしない記述になっています。 割り切って書いていないからだと思います。特に絶対音感もっている遭遇する問題みたいな部分はバッサリきりすててはどうか? その手の話は参考文献で紹介した悪書に満載である。 211.133.19.125 2006年7月24日 (月) 08:50 (UTC)[返信]

その意見には賛成です。件の本も、参考文献にあげるに値するほど信頼性の高い文献ではないと感じていますが、批判を加えるにもそれなりの準備が必要なので現在は評価を避けています。現在改訂案を提示すべく、情報収集しています。基本的には、上に先日書き込んだ定義に沿って中立的かつ検証可能な事項に絞った記事にしたいと私も思います。--Pugnari 2006年7月24日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

「ドイツなどヨーロッパでは絶対音感教育は禁止されていたが」について[編集]

Izayohi氏によって2006年7月20日 (木) 13:34に加筆された「ドイツなどヨーロッパでは絶対音感教育は禁止されていたが」という記述について、より適切な出典の提示を求めます。

この記述の出典については、[[利用者‐会話:Izayohi#.E7.B5.B6.E5.AF.BE.E9.9F.B3.E6.84.9F.E3.81.AE.E5.8A.A0.E7.AD.86.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6|Izayohi氏の会--121.2.193.150 2008年10月5日 (日) 05:01 (UTC)話ページ]]にて出典の提示を求めたところ、2006年9月6日 (水) 22:34の版で出典を示してくださいました。ありがとうございました。[返信]

そこでこの出典にあたってみたところ、藍川由美氏の当該記述は、堀内敬三『音楽五十年史(下)』(講談社学術文庫139、1977年6月)に全面的に拠っていることがわかりました。この堀内氏の著作は絶版で、確認にしばらく時間がかかってしまったのですが、今日ようやく実見してきました。堀内『音楽五十年史』はもともと1942年に初版が刊行されたものですが、該当部分の小見出し「絶対音感教育」は、講談社学術文庫に収録される際の付録である「第二次世界大戦下の音楽」第一節「音楽の国家統制」という節に含まれています。ここで堀内氏は昭和期の日本における絶対音感教育について触れ、これが軍人によって強制的に全国民に普及させる計画であったことを批判し、「世界のどこでもやっていない絶対音感教育」(p. 237)が行われたと指摘しています。次いで氏は絶対音感教育の効果が薄いことを指摘するために、ドイツの例を持ち出しています。しかし、ここでは「ドイツでは十数年前から新しい音名唱法により絶対音主義の唱歌教育が唱道され、ドイツ全国の小学校の半数まではそれを採用したそうだが効果がない上に児童の歌唱能力を低下するので政府はこの方法を禁じ、ドレミ階名唱法の一本にしたという事である。」(p. 238、強調引用者)と書いています。

まず、ここで氏が述べているのは、典拠のない伝聞です。またドイツでははじめに「絶対音主義の唱歌教育」が広まり、しかる後に禁止されたと書かれています。なお、「十数年前」というのが、具体的にいつをさすのか、文面からは明らかではありません。以上の点から、堀川氏の記述、そしてそれをそのまま引いている藍川氏の記述は、内容の検証ができず、Wikipediaの情報源として不適切だと思います。

さらに、堀内氏はドイツのことだけを述べており、「ドイツなどヨーロッパで禁止されていた」ことは一切触れられていません。従って、Wikipedia日本語版現行版の「ドイツなどヨーロッパでは絶対音感教育は禁止されていたが」の記述は、別の検証可能な史料(実際の政府の禁令やそれを引用した書籍など)が示されるまで、記事から削除したいと思います。異論のある方はどうぞお寄せ下さい。Aotake 2006年9月15日 (金) 14:44 (UTC)[返信]

3日間たちましたが、特に異論はないようですので、本文中から当該記述を削除しました。Aotake 2006年9月18日 (月) 18:05 (UTC)[返信]

12音以外の音高の知覚について[編集]

グルペット氏は見当はずれの記述多し。--121.2.193.150 2008年10月5 日 (日) 05:01 (UTC)

絶対音感は、いきすぎたハッタリ話も多い。絶対音感がない人はこういう話にだまされるのかもしれないけれど。 五島みどりがアメリカ留学で苦しんだと言う話も、絶対音感がある人なら、すぐ不可解さに気付く。どこがだって? 其れは教えないw--219.98.189.200 2008年10月13日 (月) 02:30 (UTC)[返信]

あなたは、単に自分より鋭い絶対音感の存在を認めたくないだけなんじゃないの?--124.85.154.56 2008年10月25日 (土) 07:59 (UTC)[返信]

絶対音感は「AとA#の中間」みたいな自分の記憶する音との比較の概念は入ってこないの。 直感的にポンと音名が出るのが絶対音感。これは幼児期の概念の刷り込みのみによって成立しますからね。--120.74.248.19 2008年10月30日 (木) 06:23 (UTC)[返信]

自分の鋭くない絶対音感だけを基準にして考えるのはやめて下さい。私の知り合いには12音より細かい音を知覚できる鋭い絶対音感の持ち主は何人もいますよ。「直接的にポンと音名が出るのが絶対音感」とおっしゃいますが、それはあなたの独自見解。--61.26.101.227 2008年10月30日 (木) 13:54 (UTC)加筆--61.26.101.227 2008年10月30日 (木) 14:03 (UTC)[返信]

いいえ違います。絶対音感というものが、実感としてわかっていないようですね。ではあえて言いましょう。12音よりも細かい絶対音感が存在すると確実に立証するためには、少なくとも24音階のピアノを作って、そのどのキーをランダムに押しても、中間音を含め確実に言い当てる人がいるとしなくてはなりません。今は電子ピアノもありますからこのような楽器は容易に作れますが、まだ学者レベルでもこのような楽器で100発100中で音当てに成功した人がいるという報告はありません。五島みどりやらあなたのお友達やらがするどい知覚をお持ちなら、是非挑戦してみてはいかが? おそらくボロボロだと思いますが。--210.132.198.75 2008年10月31日 (金) 14:35 (UTC)[返信]

熱くなってらっしゃるようですが…(笑)マアマア落ち着きましょう。 そもそも、やや高い・低い等は、相対音感のみの人でも感じるわけで その基準が相対的なものか、自分の中の絶対的なものかだけの違いでしかないので、 わざわざ書くような内容とは思わないな。 いわゆるクォーターな音程と言うのも、相対音感のみの人だって感じる事は出来る。(正解かどうかはともかく) 相対音感のみの人との「明らかな差」を書くべきなんじゃないのかな? --Pakupakupunken 2008年10月31日 (金) 18:18 (UTC)[返信]

別に100発100中である必要はないですよ。私がこの記述が必要だと感じたのは、その前の部分に「微分音にあたる音高(中略)については、最も近そうな音階に引き寄せて認識していると考えられる」という記述が、ある種の誤解を招くという点からです。つまり、絶対音感の保持者は、全員が全員、実際には12音以外の音でも、12音のいずれかの音だと勘違いしてしまう、という誤解を読む人に与えます。そのような勘違いをする絶対音感保持者は、上記のIPの方を含めて事実沢山いらっしゃる。しかし、そのような勘違いをしない絶対音感保持者もまた少なくない。そういう人にとっては、この記述は不名誉でしょう。たとえそれが、自分の中の12音の絶対音感を基準として、それよりやや低い(高い)から、という、絶対音感と相対音感の組み合わせによるものだとしても、少なくとも12音以外の音を12音のいずれかの音だと勘違いしてしまわない絶対音感保持者もいる、というような記述は彼らの名誉のために必要だと私は思いますがね。
24音のピアノはイワン・ヴィシネグラツキーとかいう作曲家が既に随分昔に作らせてるみたいですが、少なくとも24音程度なら100発100中といわなくても、70~80%くらいの精度で言い当てられる人はけっこういるでしょうね。さすがに48音だと精度は下がるでしょうが。これに関しては学者さんの研究が実際の音楽家の能力にまるで迫れていないということでしょう。それと五島みどりには殆ど関心はないので彼女の音感がどうなのかは全くどうでもいいことです。--61.26.101.227 2008年11月4日 (火) 06:29 (UTC)[返信]


まず、24音とかの話はわけ分からなくなるから止めましょう。確かに、前文から読むとそう思われたくない人もいそうだね。
ただ、「12音の音と勘違い」っていうのもよく分からないな。たとえ半音の間の音程だったとしても、ものすごく高い、ものすごく低いそれだと判断しても、別にそれは勘違いではないし。実際色々な音律があるんだからさ。別に自分で音律を作ってしまっていいわけだし。その微妙な音をどう思うかは絶対音感と関係ない気がするよ。
まあとりあえずこれだったらどう?長くなってしまったが…
この能力がある人は、日常生活において耳にするサイレンやクラクションなども音高を(CDE、ドレミ…などの音名で)認知できる。
その場合、通常の音階に収まらない音(微分音にあたる音高や周期性の弱い雑音、倍音構成がいわゆる「楽音」から遠く音程の認識が困難な音など)については、最も近そうな音階に引き寄せて認識したり、そのまま音階以外の音(通常の音階の範囲外)の何かしらの音だと認識したりする。

--Pakupakupunken 2008年11月4日 (火) 12:24 (UTC)[返信]


>別に自分で音律を作ってしまっていいわけだし。
うーん。音律というのは、平均律にしろ中全音律にしろピタゴラス律にしろ、周波数比にはちゃんと理論的な根拠があるんであって、個人的感覚で適当に作って良いものじゃないでしょう。なので、
「通常の音階に収まらない音(周期性の弱い雑音、倍音構成がいわゆる「楽音」から遠く音程の認知が困難な音)については、最も近そうな音階に引き寄せて認識してしまう人も多いが、12音以外の微分音にあたる音高については、「とても高いFである」又は「とても低いF#である」あるいは「FとF#の間の音である」等と認識できる者もいる。」
位には書かないと誤解を避けられないと思うけどなあ。別に「鋭い絶対音感」とかいう言葉はなくてもいいんだけどね。--61.26.101.227 2008年11月4日 (火) 15:05 (UTC)[返信]


「絶対音感」とは科学的概念なのか?[編集]

そもそも、「絶対音感」とは科学的に定義されている概念なのでしょうか?あと、1つ気になったのですが、下のページは個人ブログのようですので、出典としては不適当だと思います。

医学都市伝説: 抗てんかん薬による絶対音感の変化

--阿吽の呼吸と涅槃の混沌 2009年3月5日 (木) 18:51 (UTC)[返信]

エッセイ的記述について[編集]

「~はず」「一応~」「注意すべき」等、WP:NOTに反すると思われる記述があり、コメントアウトしました。学術論文を典拠としているとの理由でこれを不服としている編集者がいますが、出典が曖昧です。当方は不適切な記述と考えておりますが、ご意見いただけると幸いです。--Wikied 2009年11月7日 (土) 15:20 (UTC)[返信]

記述の削除について[編集]

IP氏の記述「このため、絶対音感に強いあこがれを抱く人が多いのは事実であり、音楽家や音大生に絶対音感の有無を問いただすのは失礼とされている」とその脚注「最相葉月は『絶対音感』のなかで、「絶対音感が(音楽家にとって)一言で言い表せない複雑なニュアンスをもつものであり」「絶対音感を持つことができなかった悔しさは、そこにどんな科学的証明を与えても癒されるものではない」と書いている」を削除しました。理由は以下のとおりです。

  1. 脚注が記されているものの、本文とは無関係でWP:Vを満たさない。
  2. 「絶対音感の有益性」という項目とは無関係の内容である。--Wikied 2009年12月29日 (火) 07:12 (UTC)[返信]

有益性があるが故に憧れるのであり、エチケットの問題も含み本文と大いに関係があります。Wikied氏の独断は排除すべき。--59.147.237.242 2009年12月29日 (火) 09:39 (UTC)[返信]

「絶対音感に強いあこがれを抱く人が多いのは事実であり、音楽家や音大生に絶対音感の有無を問いただすのは失礼とされている」の出典を示してください。現状では、IP氏の独自研究とみなされるのが妥当でしょう。
編集合戦回避のため本日中の削除は行いませんが、IP氏の主張には合意できず、削除対象である考えに変わりはありません。
今後も同じ主張、記述の強硬が繰り返されるなら、コメント依頼によって諮ることとします。--Wikied 2009年12月29日 (火) 10:38 (UTC)[返信]
出典の明記がなくWP:Vを満たさないため、該当部分を削除しました。--Wikied 2010年1月29日 (金) 15:56 (UTC)[返信]

英語での表記について[編集]

見出しの通りです。『ポケット音楽辞典』(音楽之友社、ISBN 4-276-00018-1)では、「絶対音感」の項の英訳に "absolute hearing" とあり、こちらWikipediaの記事で使われている "absolute pitch" の日本語訳は「絶対音高」となっていました。他にも調べたところ、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』(2009)では同じく "absolute hearing" でしたが、『プログレシップ和英中辞典 第3版』(小学館、ISBN 4-09-510253-5)では "perfect pitch" が「絶対音感」の訳であるとのことでした。インターネット上のサイト・辞典で調べても "absolute pitch" と "absolute hearing" と "perfect pitch" の3つが錯綜していました。英語版の記事には「Absolute pitch (AP), widely referred to as perfect pitch ... 」とありますが、どれが一番妥当なのでしょうか? --Yosu918Talk2017年9月4日 (月) 10:05 (UTC)[返信]