ノート:絵解き

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細かい点ですが[編集]

細かい点ですが、時間のあるときにでもご回答いただけるとありがたく存じます。

1点目。関連項目に熊野三山が入っています。熊野比丘尼(このコメントの時点で絵解へのリダイレクト)の関連項目としては理解できますが、絵解全般を説明するこの記事の中ではやや関連性が遠いように思いました。強いて熊野三山関連の事項を入れるのであれば、どちらかといえば(熊野比丘尼の統制にあたった)熊野三山本願所、ないしは熊野比丘尼が絵解きした絵画(那智参詣曼荼羅熊野観心十界曼荼羅)とかの方が適当であるようも思われます。強いてそうでなければならないとまでこだわりませんが、若干選定に疑問を感じました。

2点目。熊野那智大社所蔵の那智参詣曼荼羅について「12世紀、熊野那智大社蔵の16-17世紀の模写」とありますが、これはどのような文献にもとづくものでしょうか。手元にあってすぐ参照できるいくつかの文献(根井浄『補陀落渡海史(改訂版)』、2008、法藏館 ISBN 9784831875693; 篠原 四郎『那智権現曼荼羅の絵解き』熊野那智大社(那智叢書第3巻、原著1963年))を見る限り、年代について特定しているものは無いようです。ご教示いただけますでしょうか。

以上、よろしくお願いいたします。--ikedat76会話2012年9月4日 (火) 04:23 (UTC)[返信]

コメント ていねいなご質問ありがとうございます。
  1. 「関連項目」節に「熊野三山」が挙げられている理由は明快です。同項目が「熊野信仰」のリダイレクト先だからです。いわゆる「熊野信仰」という民間信仰が「絵解」という芸能には関連深いから、というわけなんですが、熊野三山本願所、あるいは那智参詣曼荼羅熊野観心十界曼荼羅が「熊野信仰」のリダイレクト先として相応であるならば、そのように変え、さらには該当項目を「関連項目」節に加えたいところです。今後民間信仰としての「熊野信仰」がリダイレクトではなく、独立して立項されることがあれば、「熊野三山」に差し替えて「熊野信仰」を「関連項目」節に挙げたいところです。
  2. 「12世紀、熊野那智大社蔵の16-17世紀の模写」の原典も明快です。当該画像ファイル[1]に付された「概要」節における英語での記述です。ただし、それが正しいのか誤りであるのかは、わたし個人は検証しておりません。Binabik155さんという方がアップロードし、記述も行ったようです。誤りであるのならば、コモンズの記述を訂正する必要があると思います。
以上です。よろしくお願いいたします。--Kmrt会話2012年9月4日 (火) 09:16 (UTC)[返信]
回答いただきありがとうございました。
関連項目の件はいろいろ納得しにくいところがありますが、趣旨は理解しました。特に除去はしません、私が上げた記事は熊野信仰のリダイレクトには成り得ませんし、熊野信仰という概念に対して下位にある・具体的な構成要素を関連項目とした方が適切であるように感じたという感想だけはお伝えしておきます。
那智参詣曼荼羅は30数例ほどの作例が今日に伝わっていますが、多くの作例について作製年代が特定されておりません。那智参詣曼荼羅は熊野三山に本願所が成立し、その勧進活動によって三山の財政が支えられるようになるのと軌を一にして成立する絵画であることを考えると、「12世紀」「16-17世紀」が作製年代を指すのであれば(後者はともかく)前者は明らかに誤りと考えるべきでしょう。Wikiベースのサイトの記述は出典に出来ない点も踏まえて、記述は除去しますのでご了承ください。--ikedat76会話2012年9月5日 (水) 04:27 (UTC)[返信]

色々書かせて頂きましたが、本来の宗教活動より、時代の変遷により遊女に身を落とした状況を主体に記載されており、低俗かつ比丘尼さまの名誉を著しく毀損する内容となっていると考えます。熊野比丘尼の絵解きは現在でも熊野三山で拝聴することができますので、一度足を運んで現実を見てから記載されたら良いと思います。Hisenv2013年12月8日