ノート:箱館戦争

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

幕末実戦史[編集]

相川司「新選組隊士録」p88-89では、大鳥圭介は、深い霧の中を敵が山を登って来るのに気づかなかったのは新撰組の怠慢だったと「幕末実戦史」で語っていると記載されています。しかし、『幕末実戦史』p387付近を見てもそのような箇所が見つかりません。他版の「幕末実戦史」の可能性もあるので、本文中でのリンクを解除します。--240F:36:82F2:1:1C21:7A2A:D2FD:B79C 2022年6月16日 (木) 10:58 (UTC)[返信]

  • コメント まず『幕末実戦史』は、再刊にあたる新人物往来社『南柯紀行・北国戦争概略衡鉾隊之記』の解説で菊池明氏が書いていますが、『旧幕府』と『同方会報告』に連載された大鳥圭介の文章(南柯紀行および獄中日記)を中田蕭村が編集し『幕末実戦史』と名付けて出したもので、中田による多数の原文改変が指摘されている信頼のおけない本です。よって幕末実戦史より南柯紀行そのものを出典にするほうが良いでしょう。ちなみに南柯紀行では、「箱館山の寒川と唱うに処に上陸せる由、兼て此患あること察し兵を備え置きたれども、番兵怠慢深霧中より敵の登るを知らず、」とあります(『幕末実戦史』ではp.158。まあ実際に箱館山にいたのは新選組ですが、以上の通り大鳥は「新選組の」怠慢とまでは書いてません)。--Iso10970会話2022年6月16日 (木) 14:38 (UTC)[返信]