ノート:筒井康隆

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士農工商…[編集]

筒井康隆の自嘲の言は「士農工商SF作家」ではなくて、「士農工商犬SF作家」だったように記憶しているのですが、どなたか原典の出典で正確な発言を確認できる方はいらっしゃいませんでしょうか。--ウミユスリカ 2005年8月24日 (水) 06:50 (UTC)[返信]

夕刊フジに連載したエッセイをまとめた『狂気の沙汰も金次第』の「カースト」では「士農工商SF屋」とありますね。初版はサンケイ新聞社出版局より昭和48年に発行、自分の持ってる版は新潮社文庫版の昭和51年版です。 Wing09 2005年8月24日 (水) 12:31 (UTC)[返信]

『私説博物誌』の「テングノムギメシ」に、「士農工商犬SF」というフレーズが出ていました。単行本は毎日新聞社から1976年(昭和51年)に発行されています。私が参照したのは新潮文庫版の昭和55年版です。 --かみ かずしげ 2010年12月6日 (月) 08:22 (UTC)[返信]

1993年10月14日放送の「朝まで生テレビ 特集:激論!表現の自由と差別」の中で、「士農工商、えー、私はSF作家と書きました。「士農工商犬SF」というのは我々が日常的に、あの、文壇から非常に差別されていた時代に、自嘲的に話していた日常的なギャグでした。」と述べておられました。

筒井順慶との関係[編集]

『腹立半分日記』の1968年2月6日に「筒井順慶」の依頼を受けた際に「先祖ではない」と記してあります。一方で『筒井順慶』には子孫であることが述べられていますが、こちらは小説です。よく分からないので、現時点では『腹立半分日記』を信用して、順慶の子孫である旨の記述はカットしておきます。Wing09 2006年1月25日 (水) 11:48 (UTC)[返信]

筒井順慶に直系の子孫はいない筈ですが、筒井康隆が順慶の一族であることは間違いないようです。--Arpeggio 2006年2月11日 (土) 12:05 (UTC)[返信]

根拠となる何か資料とかあるんでしょうか? 自分も何かで読んだような記憶があるようなないような。とは言っても、自分で確認できるものと言えば、先に書いた「筒井順慶」と「腹立半分日記」くらいなもので。--Wing09 2006年2月14日 (火) 09:31 (UTC)[返信]
1週間経ちましたが、根拠の明示がないため、再びいったんコメントアウトとさせていただきました。ついでに「大阪人らしく~」のくだりはおよそ百科事典的でない表現としてカットしました。--Wing09 2006年2月20日 (月) 15:48 (UTC)[返信]
筒井順慶/筒井康隆著という本に、筒井康隆自身が「筒井順慶の子孫らしい」という事でそのルーツを探る内容で、その著書に「筒井順慶の子孫らしい」という内容が見受けられます。コメントアウトしている内容が記述に相応しいか判断できませんので、現時点ではこのままの状態にしておきますが、加筆を希望される方はこちらの資料を参考にしてみてください。--59.147.80.88 2008年10月14日 (火) 05:31 (UTC)[返信]

新潮文庫「ヘル」に先祖への言及見つけたので、いい形に整形してください。Ooiei

著作リストの分割提案[編集]

著作リストがページの過半数を占め(すっきりしましたね…)、バランスが悪いと思います。著作リストの部分を筒井康隆の著作等の名で分割できないものでしょうか。--219.99.105.101 2008年4月17日 (木) 22:03 (UTC)[返信]

これくらいなら許容範囲ではないでしょうか。作家と作品リストは不可分な情報ですのでなるべく一緒にしておくべきだと思いますし、バランスという点からすれば今後の加筆で記述部分が増える可能性もあるかと思いますので。--頭痛 2008年4月18日 (金) 07:16 (UTC)[返信]

経歴の初期部分[編集]

石川雄二編集の年譜が基になっているみたいですが、これは後に筒井自身が否定しているもの(出生地他)を数多く含んでいます。のちに筒井康隆研究家の平石滋がちゃんとしたものを作っているのでそっちの方を基にしてもらいたいです。以前はちゃんと平石版が基になってたはずなんですが・・・

あと、筒井順慶の末裔ネタはインタビューで何度も何度も否定しています。何故小説を本気に出来るのか全くもって帆立貝。--119.150.12.229 2009年5月13日 (水) 08:43 (UTC)[返信]

筒井順慶についてはすでにこのノートで話題になっていましたが、気付かずに書き込んだ人がいたようですね。この部分の記述については除去しておきました。
現状の経歴は八橋一郎『評伝 筒井康隆』の記述ともともとこの記事に書かれていた年譜とを組み合わせて書いたもので、もとの記事の年譜が何に基づくものかはよくわかりません。平石滋による年譜というのはどの書籍に収録されていますか? --頭痛 2009年5月13日 (水) 09:26 (UTC)[返信]

80年代以降の年譜はほぼ100%平石製です。履歴確認したけど、2008年4月頃の貴方の編集前のほうが、体裁は整ってないけどしっかりしてる。--119.150.17.51 2009年5月22日 (金) 15:08 (UTC)[返信]

そりゃすいません。私は基本的に八橋文献に沿った記述しかしていませんが、この文献が不正確であるということでしょうか? 書籍自体は1985年に出版されたものですが。--頭痛 2009年5月22日 (金) 15:19 (UTC)[返信]

八橋本は元は全集に付いてた小冊子(1983年-1985年)をまとめたもので、別冊新評の筒井康隆特集本(1976年)がネタ元の一つになってる。その中に入ってた石川雄二編集の年譜にちょいと問題があって、その後筒井自身が間違いに気付いて修正した記述が数多くあるってわけ。1970年代末から一応平石年譜はあったんだけど、その当時の文学者がどっちを取るかと言ったらやっぱり別冊新評の方になっちゃうわけで。--220.150.133.157 2009年5月27日 (水) 17:22 (UTC)[返信]

うーん、なるほど、よくわかりました。『評伝 筒井康隆』が唯一のまとまった伝記らしいと思ったのでこれを基にしたのですが、不正確だったとは残念です。
手を出した責任上私が直すべきなんでしょうが、当分は取り掛かれそうにないです。もし直してやろうという方がいらっしゃったら助かります。(Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:出典を明記するなどに留意してくださるとなお助かります)。長期間放置されるようならそのうち取り掛かりますが、いつになるかわかりません。--頭痛 2009年5月31日 (日) 03:01 (UTC)[返信]

関連人物[編集]

本文「筒井康隆#関連人物」は過剰ではありませんか?--快速フリージア会話2021年6月27日 (日) 08:23 (UTC)[返信]