ノート:笠間幹綱

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一族について[編集]

  • 最初の版では笠間幹綱の父は「綱朝」となっていますが最新版は「時広または利長」です。独自で調べると笠間書院の「笠間城史」では前者の「綱朝」でした。原版へ戻してはいかがでしょうか--Soumeijintiyuuryaku会話2013年2月25日 (月) 11:03 (UTC)[返信]
  • 2012年12月25日 (火)の版で父の名が綱家と記されていましたが、『笠間城記』、『聚成笠間史』、『新編常陸国誌』及び稲田西念寺文書の記述より明らかに笠間幹綱より綱家の方が後世代(あるいは同一人物)であり、また『笠間市史』や笠間史談会編の『笠間時朝 : その生涯と業績 上』の記述より幹綱の父は笠間時広、あるいは笠間利長で少なくとも笠間綱家ではないと考えられるためこのように記述しました。初版の笠間綱朝という記述は見落としていました、失礼しました。ところで笠間書院『笠間城史』なる本を笠間書院のアーカイブ及び国立国会図書館の蔵書検索システムで発見できないのですが、どこで参照できるのでしょうか、お教えいただけると幸いです。--みやここんぶ会話2013年2月26日 (火) 13:18 (UTC)[返信]

出典について[編集]

・あいまいなので具体的にお願いします--Soumeijintiyuuryaku会話2013年2月25日 (月) 11:03 (UTC)[返信]

・上記参照ということでノートのこの節を削除します。soumeijintiyuuryakuさんから何もなければ私のほうで削除させていただきます。--Riikukuxtu会話2013年3月3日 (日) 05:50 (UTC)[返信]

子孫について[編集]

・原版とあまりにも違う表現なのでよくよく検討すべきだと思います。--Soumeijintiyuuryaku会話2013年2月25日 (月) 11:03 (UTC)[返信]

「笠間氏」項目の作成について[編集]

・笠間幹綱関連で笠間時朝、幹綱以降の笠間氏についてのページが必要ではないでしょうか。幹綱関連ではないのですいません。--Riikukuxtu会話2013年3月3日 (日) 05:46 (UTC)[返信]