ノート:空海

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こちらのページのコピーに置き換わっています。IPアドレス220.107.56.78さんは、こちらのサイトの方でしょうか? FeZn 04:40 2003年11月25日 (UTC)

04:19 2003年11月25日の版外部ページからのコピー、かつ元記事をばっさりと置き換えており、またWikipedia的スタイルにも則っていなかったため、とりあえずrevertしました。この場合「記事の削除」では対応できないとして「特定の版の削除」が必要になるのでしょうか? まだこのあたり不勉強で……。そうなると開発者権限を持っている方でしか対応できないということで、いろいろと不自由ですね。もっとも、さほど編集が進んでいないので削除してしまっても問題ないということになるのでしょうか……?FeZn 04:49 2003年11月28日 (UTC)

特定の版のみの削除と、丸ごとの削除と、どちらがよいかは僕もわからないですが、とりあえず外部サイトの制作者の方に連絡してみます。FeZnさんは削除まわりは不勉強だそうですが、特に訂正する点などはないです。Tomos 17:26 2003年11月28日 (UTC)

連絡しておきました。お返事を頂いたら報告します。Tomos 18:07 2003年11月28日 (UTC)
お返事がありました。無断転載だそうです。削除が適当だろうとのご意見でした。特に意見などがないですが、問題のある版だけの削除を一応リクエストしておこうと思います。メタ・ウィキメディアのBrionさんのページに以前メモを残しておいたのですが、一応やってくれそうな雰囲気のお返事が書いてあったので。Tomos 21:53 2003年12月1日 (UTC)
書いておきました。Tomos 21:48 2003年12月7日 (UTC)

東寺[編集]

六波羅蜜寺(東寺)とありますが、六波羅蜜寺は空也さんでは? 東寺は教王護国寺だと思うのですが。Martin 14:24 2004年5月20日 (UTC)

記事をよく見直したら六波羅「密」寺になっていますね。設立当時、東寺さんはこう呼ばれていたのでしょうか? ますます判らなくなりました。Martin 10:54 2004年5月21日 (UTC)
一週間経ってもどなたからも反応がないので教王護国寺に変えました。間違いでしたらお赦しを。Martin 12:24 2004年5月28日 (UTC)

いろいろ問題点が多いような気がしますね[編集]

 上記東寺さんは間違いなく教王護国寺です。六波羅蜜寺は空也上人です。間違いありません。空海の没日は3月21日であり、だから東寺の弘法市は毎月21日です。また六波羅蜜寺と六波羅探題のことも知っている人は知っているでしょう。  少し気になったのは、そういう言い方もあるようなのですが、「空海・弘法大師は真言八祖のひとり」とは言われても「日本真言宗の開祖」とは通常言われないと思いますが。真言宗に日本とか中国とか言わないような気がします。  他、通常「神護寺灌頂・高雄灌頂」とは言いますが、このような表現はいかがかと思います。  他、気になるのは、俗名・真魚は幼名?とか勤操大徳に師事した、槙尾山にて剃髪された(現在もお髪堂がある)、教海→如空→空海とか。  文章を増やすのはあまりよくないですが、現在のものはあまり的確な文章ではないような気がします。  少し見ていましたが、24大師でさえろくでもないのに、24大師関係に関して、あまり知識のない方が書きまくっていますね。表現も宜しくないようです。調べてからお書きになったほうが宜しいかと存じます。  どう見ても分かっていない模様ですが、空海と最澄は仲は良くなかったですが、それをそのまま「仲良くない」と表現するのは、見る人にとってどうであるか、書いた人は、理解できていないようですね。子供が百科事典としてこのページを見たとき、史上の立派な人物として空海・最澄を調べてみて、仲が悪かった、書いてはいけないと思います。文章表現能力が低すぎます。史上数10人の大師です。よく勉強なさってすばらしい結果を得た、これは曲げてはいけないと思います。文章表現が下品すぎます。追記ですが、ことわざを書くなら応天門の逸話くらいは書かないと、調べものにならない=百科事典としての機能不測でしょうね。


なるほど、いろいろと元記事に対してご不満をおもちの方ですね。 どうでしょう、御方は大変空海についてお詳しいようですから、このノートで「ここが駄目」「ここが下品」「よく調べてから書いて」等と袈裟斬りに批評・評論しているよりも、元記事を仰る通り御方の知識によって「機能不測」から救ってあげては? このウィキペディアは不特定多数の参加によって成立する百科事典ですから、明らかに誤りがあるのならば、少しでも偏頗ない記事にされるためにも是非参加してほしいと存じます。大変失礼な意見で恐縮です。

makotozushi 23:20 2004年10月15日 (UTC)

 「不満」などという一言で終わらせられると言うあたりが愚だと。大師に関する資料は、これだけの方、日本仏教会・寺、いろいろあるでしょう。問題は、「これを見た人が何の参考になるのか」こういう意図で書かれていない、それくらいのこともご理解いただいていない模様で。だめだこりゃ。で、前に書かれている「六波羅蜜寺(東寺)」なんてのは無視だし、これだけ書きまくられて、どうしようもなくなっている現状がわかっていない模様で。誰でもが思うであろうけど、一度削除すれば一番よいと思うけどな。記事不適格。


 先日書いた者です。私は「空海」の原文に関してはほとんど参加しなかったものであり、前日のものも意見として僭越を承知のうえで申し上げたまでですが、「愚か」だとか「そのくらいも理解していない模様」等と随分と高圧的な方ですね。私はあなたが誰なのかも存じませんが、少なくとも私は初対面の方にはそういう失礼な口の聞き方はいたしません。
どうでしょう。全記事の書き換えというのも特に違反などではございませんので、そこまで現記事に「不満」ならば全文を削除なさって「誰かの参考になる」ような本文に、御方が一から構築されてはいかがですか?批判するだけなら誰でも出来ることです。代替案のない批判は批判ではありません。それが嫌ならば、それこそ空海に関するインターネット上のサイトなど数多くがあるのですから、このような、誰でも参加出来るような「何の参考にもならない」「どうしようもなくなった」記事などにわざわざアクセスして青筋を立てている必要はないのではないでしょうか? makotozushi 14:09 2004年10月16日 (UTC)

 私は、あなたがこの記事を書いたのか、責任があるのか、なぞ何も関与しません。ですので誹謗中傷もしません。対象はこの記事です。この内容文を読んで「愚」と申し上げております。この世に弘法大師の本なぞはいて捨てるくらいあります。なぜ読めないのか?それだけですが。六波羅蜜寺=東寺、真言宗徒はカウントで800万人以上、大師を知らない人なんて皆無でしょう。それを何も知らない「無知」に匹敵する文章だ、と申し上げているだけです。あなたに関する、誹謗も中小も関心も全くありません。「書き直されてはどうでしょう?」じゃなく、まあ監修権限があなたにあるのかどうかは知りませんが、この程度なら、辞書・辞典として機能しないので、消すべきです。ウェブ上の辞典という発想でウィキペディアが発想されたのは良いことですが、無知者の自由参加、書き込み自由、監修体制がないと思いますね。あなたには何の関心もねたみも恨みもありませんが。ですので、「私に何か言いたい」模様ですが、無駄議論が公開されているだけです。  尚、私は追稿も全訂正もしません。見ています。


はいはい(^^)。御方の深い知識を元に高台からご見物して、これからも「ダメだ」「無知だ」「辞書じゃない」とモニターを眺めて怒っていて下さい。
ここはあえて監修体制を置かないという特殊な場所です。その方針にご不満ならば来なければ宜しいだけのお話。例えば店主が「禁煙」とした飲食店内で「タバコが吸いたい」「客に対して失礼だ」等とゴネても、責任者としての店長が「ダメ」と言ったら結局は従わざるを得ないし、嫌ならば退出するしかないのと同じです。でももうやめましょうね。本文を構成した方については私も知りません。脇の人間同士がつまらない議論などしても疲れるだけですね。それでは失礼いたしました。makotozushi 12:10 2004年10月17日 (UTC)


 やっぱりその程度の方のようですね。文章を見れば素性はばれますね。調べ物をするときに検索にかかります。子供が教育のツールとしてネットを使う等等、ネット規制の論議がされるのは、こういうものがあふれているからです。ウィキペディアはサイト登録を削除すべきなのかもしれませんね。ある意味「何でもあり」と公言して、責任者がメディアにも出る分だけ2ちゃんのほうがましかも。  私個人としては、重い高い書物、古い文献などが、なぜネットで簡単に調べられないのか、と言う社会的な不満を感じておりますが、このレベルでは来ないですね。これでは金剛峰寺や善通寺他が「空海の紹介がしたいので掲載したい」、来ないですね。ウィキペディアはその程度かと存じますし、証明していただけてますね。私個人が怒っているのいないの、ずいぶんとまた低レベルに見てますね。それこそがあなたの社会的立場でしょうね。よく分かります。知識が深いのではなく、「知らないから調べたい」、それだけでしょうがね。私もそのひとりですが何か?私は私自身の理解に関して、この程度のことは理解した上で、いろいろと調べ物をして勉強しております。「口で勝とう」など、どうでも良いことですが。まあウィキペディアがその程度だと、このページを見られた方は思うでしょう。それだけですね。バッタものには気をつけろ、どんどん恥の上塗り、ということでしょうか。

編集についての私見[編集]

1項から6項までを『生涯』等で括るべきではないでしょうか? 7項以降は並列するとアンバランスに思えます。Authority 2005年3月29日 (火) 07:21 (UTC)[返信]

Re.編集についての私見[編集]

ありがとうございます。ここ数日勝手に書き進みまして申し訳ありませんでした。これまでの書き込みに導かれながらも、少々書きすぎて間延びしたものになってしまったかもしれません。お許しください。

1~6はちょっと見出しをつけたらあのようになってしまって(編集の仕方がわかってませんでした)...。空海の一生を頼富先生のように真魚・空海・遍照金剛・弘法大師(921年から現在まで)と四期に分けて考えるとすると、その流れでもよいかとも思ったのですが、確かに仰るとおりだと思います。ひとまず1~6を「その生涯」という大見出しでくくってみました。

7項以降はこれまでのものをほとんどそのまま(...でもないですね)の流れで使わせていただいています。7に関しては、従来独立した項目であった「空海が発見したとされる温泉」「ことわざ」がちょっと唐突な感じがしましたので、伝説の一項を作って「弘法水」で繋いでみました。調子に乗りすぎたかもしれません。

わたしの拙い知識ではこのあたりが限界のようですので、よい案を出していただければと存じます。生涯、伝説の項目がありますから、十住心など「その思想」に関する項目もできるといいですね。

書き込みました内容に関しましては、あるいは間違いもあるかとは思います。御批判を仰ぎたいと思う次第です。ややもするとネットでは怪しげな情報が前面に出てきたりもします。今後ともこのページが、空海に興味をもたれる方に誤解を与えるようなことがないような素晴らしい内容へと発展し続けていくことを僭越ながら祈っています。合掌 2005年3月29日 (火)

久々に見させていただきました。随分と立派な空海の生涯になっていることに、先ずそのご努力・ご指南をありがたく思います。かなりの伝説があるゆえ、なかなか正確なものは難しいでしょうが、詳細にそろっているように思えます。 少し言うならば、先ず「これは伝記か?」ということに対し、もう少し分かりやすく言えば、少し調べたい人が、この量にうんざりしないか、という辺りです。Wikiのあり方、規定はお任せしますが、先ず「空海とは」ということについて、最初に書いてある文章も少し難しいかな、と感じます。「劈頭」という言葉は一般的ですかね?中高生程度でも理解できる易しさで、そのくらいですが。 あとは、できれば大師号に関する観賢僧正・宝亀院の伝説(本覚大師申請とか)、空海・大師を取り巻く人物・弟子や孫弟子、東寺・高野山の後継ぎなど、本来は真言宗のページかもしれませんが、ここに比べて極めてプアなので、どちらかにほしいな、と感じました。 いずれにせよ空海・弘法大師に関して、お坊さんが書かれたようなので、それはプロの手、さすがに詳しく分かります。後は広く読まれるように、願っています。ご苦労様でした、と共にまたご指導いただきたく存じます。 話は変わりますが、香川県屏風ヶ浦の大師母君・玉寄御前の郷と言われる仏母院に、いろいろな寺で調べた、大師・真言宗の系図の書いた大きな石版があります。血縁もあり師弟関係もありです。ああいうものがウェブで調べられたらなあ、と思うのは贅沢でしょうか。また増えること、期待しております。

明治時代に本居宣長?[編集]

> 弘法大師は,江戸時代を通して,お大師さんとして人々に親しまれていた。しかし,明治時代に入ると,純正の日本に仏教という外来の不純な思想を持ち込んだとして,本居宣長などによって一時的に批判されることになった。

言いたいことは微妙に分からなくはないのですが、本居宣長は江戸時代の人ですよね? 何か、正確な情報をお持ちの方はいますか?ゆきち 2006年1月10日 (火) 06:03 (UTC)[返信]

そういうことじゃなくて、「こんなに長く書いて、どうすんだよ」とみんな呆れて放置されてるんじゃないですか。誰も弘法大師・空海でこのページなんか見ませんよ。辞書に伝記書くかよ、全く。

この件は現時点で直っているようですね。ちなみに私は、空海でこのページを読みました。例外中の例外かもしれません。 詳細な伝記まで書く必要はないと思います(確かに長過ぎるとは思います)が、せめて略伝がないならば、空海という人物を半分も知ることはできないと思います。その点では、空海の伝記にここで触れられて私はよかったと思う一人です(もちろん、全てを鵜呑みにしているわけではありません)。例外中の例外かもしれませんが。 空海に関しては、言及すべきことが多いために、スマートにまとめることは困難だと思います。 この困難なことをどう解決していくかというのが、今後の課題だとは思いますね。--一閲覧者として

弘法大師伝説[編集]

この間クワズイモに書いたんですが、そういうのが沢山ありますよねえ。多分あちこちの項目に含まれてると思うんですけど、そう言うのをまとめてリンクするカテゴリと言うのは作れないでしょうか?--Ks 2007年2月4日 (日) 14:11 (UTC)[返信]

空海の生年月日について[編集]

本記事では、空海の生年月日を「宝亀5年6月15日」としています。しかし、いくつかの文献で調べたところ、生年の「宝亀5年」は定説となっていますが、月日については宗門の伝承では「6月15日」となっているものの、それはだいぶ後世になってから生まれた伝承で、史料的裏付けがないようです。よって、記事解説冒頭及びテンプレート中の「6月15日」という日付を除去し、「出生月日については6月15日とする説が流布しているが、史料的裏付けはない」旨の説明を入れたいと思いますがいかがでしょうか。このことは多くの文献で検証可能ですが、さしあたり次の3つの文献を挙げておきます。

  • 上山春平『空海』、朝日新聞社(朝日選書)、1992
  • 竹内信夫『空海入門』、筑摩書房(ちくま新書)、1997
  • 佐藤良盛『わが家の宗教 真言宗』、大法輪閣、1988

上山春平氏は、空海の「明確な出生月日を裏付ける資料は欠けている」と言っています(上掲書p49)。竹内信夫氏は、空海の誕生日を6月15日とする伝承について、「根拠は何もありません」と言っています(上掲書p79)。さらに、宗門側の著者である佐藤良盛阿闍梨さえ、6月15日出生説は、空海入定の400年後の頼瑜僧正撰『真俗雑記問答鈔』に初めて見える説だとして、否定的見解を示しています(上掲書p38)。現状のウィキペディアの記事には「空海が誕生したとされる6月15日は、中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承に繋がっていく」とありますが、話の順序としては逆で、「空海を不空三蔵の生まれ変わりとみなす考えから、後世、空海の誕生日を6月15日とする伝承が生じた」とすべきではないでしょうか。私、日本史にあまり詳しくなく、初版からずっと書かれている「宝亀5年6月15日」を変えてしまっていいのか自信がないので、詳しい方からのご意見をいただければと思います。--Urania 2008年8月31日 (日) 10:33 (UTC)[返信]

残念ながら2か月待ってもご意見がなかったので、上記のように編集しました。ご異論があれば、検証可能な資料を明示のうえお願いします。--Urania 2008年11月7日 (金) 14:05 (UTC)[返信]

こんにちは:

相も変わらずここの書き込み方を知らずにすいません。 当初かなり量が少なくて硬かった頃から見ています。なんかその時にチャチャ入れてたのが2ちゃねらーでした。だから揚げ足ばかりでしたが。 その後感想文になって、「これ辞書と言える文章か?」にはかなり疑問もありました。逸話だらけで詳しいけど「辞書じゃないよな」という感想でした。 今見直してみて、あ、また変わってる、はいいんですが、できる限りの事実(まあ空海の事実なんて誰がわかるんだではありますが)で客観的に「空海の人生とその功績の情報がかなりまとまっている」という感じで、いい感じになったなと、読んでもよくできていると思えます。ご努力ありがとうございます。

ま余談としては。大師号により廟が開けられた時の逸話とか、久米寺大塔での梵字との出会いとか、まあ温泉ですが、独鈷水まで行くとどうなるのか?でも大分の椿堂のあの髪の毛の奉納とか、病死ではあるけど、死に際が眠っているのか印を組んで禅定に入っているのか、そういうことから入定伝説があるとか、あとは私も情報を詳しく知らないのですが、奥の院の法灯、4つあるとかですが、まあ逆に堅苦しい文章が多いので有名どころで逸話も交えたら、でもこれ以上文章を増やすべきかどうか?とかを感じました。

個人の感想文なので気になさらないでください。どうもお世話になります。かなり修正されて、知識を持たれた方がどんどん参加されて良い方向になってるな、と感じました。失礼しました。お世話になります。

2016.04.27.02.03 wilderness2015

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

空海」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月27日 (火) 15:36 (UTC)[返信]

空海伝説と瀬戸大橋[編集]

空海#伝説・伝承の項で、ほとんどは当該記事に、空海との関係が記述されており、そうでないものでも、「てこね寿司」「水銀鉱脈の発見」「ダウジング」と、空海伝説に結びつけるのは想像に容易なのですが、昭和63年開通の瀬戸大橋に関しては、何が伝説。伝承となっているか不明です。「要検証」とさせていただきますので、ご確認お願いします。--Mtodo会話2021年5月24日 (月) 19:39 (UTC)[返信]