ノート:白仁燁

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「陸軍歩兵少尉」などの呼称について[編集]

編集内容の要約欄に「騎兵少尉、砲兵少尉など旧日本軍記事では同様の表記が多く用いられているので戻します。Pooh456 (会話) による ID:68137884 の版を取り消し」と記入して編集を行ったIPユーザーさんがおられます(差分)。

(1)大日本帝国陸軍においては、明治6年5月8日付の太政官布告「陸軍武官官等表」において、歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重兵の5兵科を定めた(他に憲兵科、および軍医部など各部)。大佐以下は「陸軍歩兵中佐」などと呼称された。
(2)大正14年5月に航空兵科が新設された。
(3)昭和15年(1940年)9月13日、勅令580号と581号によって憲兵科以外の兵科の区分は廃止され、「陸軍歩兵中佐」は「陸軍中佐」となった。
出典は、「秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2)東京大学出版会、2005年。 」の「秦 2005, p. 766, 第5部 陸海軍用語の解説-へ-兵科(陸軍)」。

白仁ヨプ氏は昭和15年(1940年)には17歳であり、この時点で「陸軍航空兵少尉」であることはあり得ません。特に出典は示しませんが、仮に白仁ヨプ氏が大日本帝国陸軍の現役将校を志して大日本帝国の陸軍士官学校に入校していたとしても、陸軍少尉任官は20代前半になります。

本文には「白は明治大学に進学して学徒出陣により陸軍に入り、少尉に任官した」という旨が記されておりますので、同氏が任官したのは「陸軍少尉」であり、「陸軍航空兵少尉」ではありえません。

--Pooh456会話2018年9月10日 (月) 07:48 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

白善燁が改名されましたので、こちらも白仁燁への改名を提案します。--Schwei2会話2020年8月9日 (日) 03:32 (UTC)[返信]