ノート:琉球民族/過去の議論2、2008年4月27日から2008年7月23日まで。

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編集方針について[編集]

ウィキペディアは政治的、思想的価値判断の是非を問う項目ではないとの考えにより、項目解説の段落のうち、不要な部分を削除しました。またハワイや南米に移住した沖縄人が琉球人としての共同体意識を主張する例もあり「大和民族」との対比のみにおいて語られる認識ではないと考え、その部分を訂正しました。なお、琉球民族論が政治的、思想的論点であればこそ、記述は努めてその価値判断に巻き込まれることなく、客観すべきであると思います。政治的、思想的評価が本項に必要であるならば、そのための「琉球民族論を巡る論議」という項目を設けることを提案します。--思兼 2008年5月29日 (木) 06:20 (UTC)

沖縄県民の自称について[編集]

原文の「方言に多少の差異があるため、現在沖縄県民を指すウチナーンチュは全体を表しているわけではない。奄美諸島は、沖縄県とは異なる歴史を歩んで来たため、自らをアマミッチュ・シマッチュなどと表現する。」 自分の出身の島を指して「○○チュ(人)」と自称するのは一般的で、民族論とは切り離して成立しています。この指摘を琉球民族のコンテンツで語るのは的確ではないと判断し削除しました。--思兼 2008年5月25日 (日) 06:33 (UTC)

思兼さん、こんにちは。これは、この様に(一つ前の方の編集を修正)ウチナーンチュを誤用される方がいらっしゃいますので、あえて挿入したものですが、不適切でした。修正に感謝します。--スミス16号 2008年5月25日 (日) 07:00 (UTC)
個人的見解を補足しますと、沖縄人、また日本人も同様ですが、島嶼人は自分の島によって同胞と稀人を区別することで、ナショナリズム(カントリーイズム)を形成していく傾向があります。「○○チュ」という呼称もそういう意味では琉球人の民族観と乖離してはいません。己が「○○チュ」であると主張することが、おのずから自他の区別を意味し、帰属意識の表明であるからです。しかしこうしたことまで項目中で解説するのは学問的見解としては1見解にすぎないと判断し、まとめて削除した次第です。--思兼 2008年5月26日 (月) 05:34 (UTC)
ええ、そうだと思います。ただ言い訳のようになりますが、沖縄本島に対してその他の離島部や、特に奄美諸島ではその傾向が強い(絶対と言うほど、自らをウチナーンチュとは言わない)ですよね。その辺が理解されてなくて、琉球民族を語る人々(ウィキペディアの利用者)の中には、安易に、「ウチナーンチュ」との言葉へ、アイデンテティの集約を図ろう(書こう)としているのが気になるのです。琉球=沖縄であれば問題ありませんが。--スミス16号 2008年5月26日 (月) 11:26 (UTC)

異質性の強調について[編集]

2006年の沖縄タイムスの記事ですが(琉球独立党のHPから)、この内容からも一般人がそれほど異質性を認識しているとは思えないのですが、如何でしょうか。ご意見頂けるとありがたいです。--スミス16号 2008年4月27日 (日) 21:41 (UTC)

読み方次第ですね。確実に言えるのは、地元で自分たちを国内における異民族と考えている人が多数を占める状況はないことでしょう。しかし自分の帰属を自分の地域であって国でない、あるいは国より地域を優先すると答えている人が香港やマカオよりずっと高いことは、やはり地域の独自性を意識していることを示しているでしょうね。また、少数とはいえ異民族と考える人が出る点、おそらく日本の他地域ではこれは出ないんじゃないですか?--Ks 2008年4月28日 (月) 00:01 (UTC)
ありがとう御座います。Ksさんの感想が私と似ていると言うのはちょっと拍子抜けですが、まあその通りだと考えます。私自身、そう言う考えもあってWikipediaの編集を行っています。ご質問の件なんですが、そちらも間違い無いでしょうね。で、このアンケートいつも気になっている点があるんです、「あなたはウチナーそれともナイチャー」と質問してないだろなあとか、いやいやそんな事ないか、でもまあ「あなたは琉球民族ですか」なんて直球勝負はできないですよね、与太話すいません。
他に、ここを覗かれた方がおられましたら、是非、ご意見頂けるとありがたいです--スミス16号 2008年5月1日 (木) 14:35 (UTC)
例えば「琉球の風」の流れた年の後半は東北視点の歴史劇でしたね。東北の一部では地方独特の英雄もあるようです。そういった、日本各地方の独自性は当然あるものですが、それは軽視されてきたと思います。でも、沖縄の日本国内における独自性は、それらより一回り大きい、そこまでは確かだと思うんですよ。--Ks 2008年5月1日 (木) 14:48 (UTC)

ご意見は今の所同意出来ますが、この様な微妙な意見を本文に載せる時は出典の明記は是非お願いしますね。--スミス16号 2008年5月3日 (土) 14:04 (UTC)

当然ですね。このあたりはノートだからこそです。実際書いていて、資料をあたるたびに両側に揺れる思いではあるんです。ただ、沖縄のことを書く場合には、同一民族の一部として書くよりは、別の民族として書いた方が書きやすいのではないか、という気はしていますね。もちろん、これは書く方の都合ではあるのですが。逆に、東北地方などにおける独自に歴史観みたいなのは、書く場所が難しいんだろうとは思いますね。--Ks 2008年5月3日 (土) 14:28 (UTC)
揺れる思いですか、なるほど。東北の歴史観はよく判らないのですが、奄美諸島の歴史を編集して思ったことは(前々から準備して未だ全部ではないですが)、奄美が両者の接着剤か火薬庫に成り得た(る)のではないかと言うことです。元々、奄美は南島に在りながらも本土の影響を強く受けていた、それを遮断したのは琉球王国であり薩摩であった訳です。一極(本土)とその曖昧な周辺から、対立のうちに二極化(本土と琉球)して分離していった、でその狭間で振り回された奄美(薩摩は特に不味い政策を取って日本のスパルタと揶揄する研究者もいる様です)。その様な歴史から個人的には、熱く語ることで振り回されかねない存在もいると言う事と、外国の民族対立を見てしまった後では、民族分けが不平等(差別)を新たに生むきっかけになると思うのです。正直私は同一性を強調したいのですが、中立になる様に努力はしています。--スミス16号 2008年5月3日 (土) 15:25 (UTC)
失礼します。そもそも「琉球民族」という項目について「同質性」「異質性」を議論することがナンセンスであると思います。「琉球民族」という定義はすでに「異質である」という認識、価値判断を前提に立脚するものです。この項目において「同質性」をことさらに主張することは、「琉球民族」というものの定義そのものを否定しようとする、矛盾した作業であると思います。個人的にはこの項目には学問的中立性が欠如していると思います。--思兼 2008年5月26日 (月) 05:30 (UTC)

日琉同祖論の扱いについて[編集]

「琉球民族論の対義語は、日琉同祖論である」とのくだりに違和感を覚えて履歴を拝見しましたが編集合戦に近いことが起こっているようですね。(私は本土からの視点に民俗学を入れただけですが。)日琉同祖論についてですが、別に民族の同一性・差異性を主張するものでは無いと思います。民俗学での研究は独特の文化を残している地域に着目するので、他との差異を否定しているわけではありません(むしろ研究対象として考察の手がかりになります)。民俗学は昔のことを研究しますが現在の差異の扱いについて云々することは対象外です。歴史を鑑みると琉球/本土間の問題は多分に近代から起こった政治上の問題で、学問と政治の混同が起こっているのではないでしょうか。人類のアフリカ単一起源説も人種対立に火を注ぐような説ですが学会では広く受け止められています。感情と真実は別問題なのです。ただ元々価値判断は扱わない物のはずですが政治的・感情的な議論に援用されやすい面はあるかと思います。同祖論そのものについていえば学者は本土琉球問わず(その語は使わないにしても)近いことは認めるでしょうし、学問と政治を分別している表れではないでしょうか。いずれにせよ、今の「地元の視点(主に沖縄県)」に分類しているのは不適切ではないかと思います。--廬舎那憂 2008年5月9日 (金) 09:59 (UTC)

私は琉球民族を認める立場ですが、日琉同祖論も一定正しいと思います。同祖で別民族があっていいわけですし。そういう意味では、そういった対立の視点で扱うのでなく、むしろ「日琉同祖論」を独立項目として、もっとちゃんと論じるのがいいのではないでしょうか。--Ks 2008年5月9日 (金) 11:19 (UTC)
当該の部分を書いたのは私ですが、琉球民族論、琉球の異質性、異国化というのは、歴史的に見れば日本(薩摩)がそれを強制してきた側面があるので、あのように記述しました。「単一民族論」が沖縄の独自性の否定というのは一面では正しいでしょうが、一方で沖縄の人々に「大和めきたる」習俗を禁止して、「異国」を強制したのも、日本だったというのも歴史的事実なのです。--尚玉 2008年5月9日 (金) 15:24 (UTC)
琉球民族肯定論がある限り、学問と政治の混同と言うのは無くならないですね、その辺は妥協するしかないでしょう。Ksさんの仰る通り、別項目を立てるのは賛成です、もちろん政治的ご利用状況も書かれることになるでしょう。--スミス16号 2008年5月9日 (金) 23:01 (UTC)

ところで、日琉同祖論は始まりらしい事柄がはっきりしているのですが、琉球民族を最初に唱えたのは誰なんでしょうね。琉球処分時の頑固党の面々かもしれませんが、私が知っているのは日本共産党を率いた徳田球一らしいと言うことまでなので、それ以前について判る方はおられますか。--スミス16号 2008年5月17日 (土) 01:59 (UTC)

「琉球人」という言葉は昔からあったようですが、「琉球民族」という用語自体は、むしろこのWikipediaの記事で広まったのではないでしょうか。『沖縄大百科事典』には「琉球民族」の項目はありません。--尚玉 2008年5月18日 (日) 00:50 (UTC)
尚玉さんもそう考えれますか、自分もここが宣伝になっているんじゃないかと危惧してます。2ちゃんねるや個人のプログなどでも、ここを見て「自分が琉球民族と知った」なんて言う人が何人もいるんですよ、これってWikipediaでは戒められているはずなんですがねえ。それにそもそもの本質は、否定論と肯定論の論争ではなく、沖縄人は日本人の一部と言う一般的な考えに対するアンチテーゼとしての琉球民族創設論じゃないかなあとも思っています。そう言うことから、日琉同祖論をわざわざ対論にしてしまっている事も、肯定論(創設論)者が意見の補強に利用している様で違和感を覚えるのです。--スミス16号 2008年5月18日 (日) 02:58 (UTC)
私自身は、琉球民族を分けておいた方が良いという立場ですが、この言葉自身は確かにここで見たかもです。この記事があったので書き足してる、というところでしょうか。今、手元の関連資料をみてますが、用語としては琉球人とかウチナンチュとかの語を使っていますね。ただし、そこには確信的に、少なくとも日本本土との差を持った集団であるとの意図は感じられます。実際、一部にはそれを標榜する集団もいますし。しかし、その扱いに十分な注意が必要であるのはわかります。琉球民族の語はどこが出典であるかははっきりさせるべきなのでしょうね。実際には、現実的にはウチナンチュがその役割を果たしている気はしますが。--Ks 2008年5月18日 (日) 14:20 (UTC)
琉球民族論というのは、要するに純粋に学術的な議論なのではなく、そこには本土復帰以降の沖縄における左翼勢力の拡大、それに関連して繰り広げられる日の丸君が代問題、基地問題などが絡み合って、その流れの中で琉球民族という主張が出てきたのだと思います。琉球語か琉球方言かの論争も、同種のものです。--尚玉 2008年5月18日 (日) 14:50 (UTC)
それは、問題を矮小化するものでしょう。もちろん、政治的対立はありますが、それ以前に文化的差異が存在することは広く認められると思いますが。--Ks 2008年5月18日 (日) 15:05 (UTC)
Ksさんの仰る事は判るのですが、琉球民族論は政治的な問題です。それを文化的異質性を強調し過ぎて、政治的対立と言う生臭ささを曖昧にしてきたのです。それに初めから文化的に見た、琉球民族論ってあったのでしょうか。琉球語で思い出したんですが、国際SILコードなんて元々キリスト教布教の必要から付けられたものですね。--スミス16号 2008年5月18日 (日) 21:01 (UTC)
遅れましたが、政治的要素が大きいという点同意します。後から調べましたが日琉同祖論自体も政治に振り回された経緯があるようですし、学問と政治も思ったより最初から無縁でないのかもしれません。ただ、それを意識しているなら過度に異質さを強調するのもやはり差し控えるべきかと思います、微妙なところですが。日琉同祖論の位置づけは、一応提唱した羽地朝秀が琉球出身ですので今の所に位置づけするのに異議無いです。--廬舎那憂 2008年5月19日 (月) 12:06 (UTC)
(追記)関連する羽地朝秀の政策の項加筆しました。多少間違っている所がありましたら訂正してくれると幸いです。--廬舎那憂 2008年5月19日 (月) 13:25 (UTC)
日琉同祖論について立項して、現在記事を執筆中です。そちらのほうも参考にしていただければ幸いです。--尚玉 2008年5月19日 (月) 22:53 (UTC)
尚玉さんに習って奄美共産党を立ち上げました(まだスタブですが)。琉球民族を、過去も含めて標榜・是認などした団体と思われるのは、日本共産党沖縄人民党沖縄共産党)、奄美共産党奄美社会民主党)、沖縄人連盟(現東京沖縄県人会など)、沖縄解放同盟準備会ひめゆりの塔事件を起す)、琉球独立党(現かりゆしクラブ)、琉球弧の先住民族会市民外交センター先住民族の権利ネットワークも関係)などが確認できます、参考にして下さい。--スミス16号 2008年5月20日 (火) 21:50 (UTC)

琉球語[編集]

これは琉球民族を認めるかどうかと別次元で、琉球民族よりはるかに普通に使われてませんか?書籍名にもあった気がします。--Ks 2008年5月28日 (水) 12:28 (UTC)

言語学での論議とは別にと言うことなんです。--スミス16号 2008年5月28日 (水) 12:38 (UTC)
いや、それは変でしょう。この書き方だと、琉球語という表現を使うのは、琉球民族を別民族だと主張する特定の政治団体だ、といっているように見えます。--Ks 2008年5月28日 (水) 13:54 (UTC)

う~んそう取られますか、確かに誤解を撒き散らすのは不味いですね。了解です、これは削除します。--スミス16号 2008年5月28日 (水) 14:03 (UTC)

まず琉球語という表現は一般的といわないまでも、特定の政治団体や思想家だけが使っている単語ではないと思います(居酒屋独立論で出てくる程度には使われているでしょう)。また、「言語」が「民族」を定義する上で大きな要素であることは間違いないので、民族論を語る上で「琉球語」という観点が存在することは記述されていてよいと思います。--思兼 2008年5月28日 (水) 21:36 (UTC)

大幅な削除について[編集]

説明が遅れたことを、先ずはお詫びします。さて理由についてなんですが、独自研究と言い切れる「琉球民族と大和民族の違いについて検証する記事」と化していた事です。本来在るべき(絶対に無ければいけないはず)の「琉球民族」と言う言葉の出所、それに集った人々、団体の蠢動が示されないまま、琉球民族について言及しているとは判断し難い意見を検証するだけの文が増えていくと言う、まさしく印象論しか語られない記事など無価値、記述者の解釈によっては印象操作の容易な記事として、読者には害ではないでしょうか。ウィキペディアにおける百科事典的でない記事内容、つまり三大方針の一つ独自研究は載せないであると判断して整理していきました。
(追)今後の編集は私も、「琉球民族」と言う言葉の出所をはっきりさせる事が急務だと考えます。--スミス16号 2008年5月28日 (水) 13:27 (UTC)、(修正追加)--スミス16号 2008年5月28日 (水) 15:20 (UTC)

琉球民族という言葉の出所について記述する必要はあると思いますが(自分は伊波普猷ではないかと勝手に思っていますが)、琉球独立論者の視点からは、既存の言葉である「大和民族」の対語として必然的に創出されると思います。現実にこの単語が存在し用いられている訳ですから、この項目はそれについて説明する項目でありさえすればいいと思います。是非論は別の場所でやればよろしいでしょう。--思兼 2008年5月28日 (水) 22:59 (UTC)
恥ずかしながら、私は琉球民族という言葉を使った記述にはまだ触れていないのですが、スミス16号様はそれをごらんになったのでしょう?であればそう言う言葉が存在することは確かなわけですね。とすればそれに関する記述があることは当然ですし、周辺の他集団との関係について述べるのもまた不思議でないと思うのですけど。--Ks 2008年5月29日 (木) 00:51 (UTC)
昔読んだ本に載っていたような気がしたので見直したのですが、やはり伊波普猷が使っています。明治三十九年の琉球新報、東亜之光というところのコラムが初出のようですが、彼の論文としては有名な「琉球人の祖先について」で「琉球民族」という言葉を使っています(「古琉球」(岩波文庫)を参照)。ということで、明治期にはすでにこの認識があったということでしょう。個人的には、初出はともあれ、沖縄学を起こした彼がその啓蒙に貢献した人物かと思います。初出についていえば論理的に考えて、「日琉同祖論」以前から琉球民族という「認識」はあったでしょう。琉球人をひとつの共同体として認識する価値観がなければ「同祖論」などありえないわけですから。記事中では「はるかに古く」とありますが、これはいかがなものでしょう。(無論、当時の琉球王国では首里周辺の知識階層だけが民族意識を持っていたと考えてよく、間切りから出ることもできなかった琉球王国人口の大多数を占める農民層の琉球人としてのナショナリズムは明治期以降に発達したものと考えるのが妥当であり、「琉球民族」という単語の普及についても同様と思われます。とはいえ「日琉同祖論」という単語についても、羽地の時代から「日琉同祖論」と自称していたわけではなく、これも明治期以降の学問上の命名ではないかと思います) 個人的には、記事中の「琉球民族」という定義を疑問視する文調が非常に気にかかります。ライターの政治的主張、意図がこめられているのではないかという疑義を禁じえません。この項目はその言葉の意味するところについて解説する項目であって、価値判断や是非、政治問題を論じる場ではないことを繰り返し指摘します。--思兼 2008年5月29日 (木) 03:45 (UTC)

思兼さん、ありがとうございます。私は現在から順番に遡って徳田球一まで辿りついたところだったのですが、伊波普猷が使っていたのは新鮮な驚きです。てっきり日琉同祖論のみかと考えてました、早速調べて見たいと思います。また、解説する文章を書くことに、反対する意志は微塵も無い事を表明しておきます。
Ksさん繰返しますが、解説(頭)も無い記事でAとBの違いを検証する事になんの価値があるのですか、いくら出典が在ろうとも掲示板じゃないんですから。解説を書く事が最優先、それに因っては変わる可能性のある検証をするのであればそれは後回しです、優先順位を間違えないで下さい。素晴らしい記事を量産しているKsさんが、なぜか「琉球民族」に関係する記事にのみ印象論を優先するのか理解できません。--スミス16号 2008年5月29日 (木) 12:14 (UTC)

申し訳ないが、おっしゃることの意味が全然わかりません。解説というのはどのような内容を指して使われているのでしょうか?--Ks 2008年5月29日 (木) 13:58 (UTC)
本当に判らないのか判らないふりをしているのかは知りません、が、貴方は直近で「私は琉球民族という言葉を使った記述にはまだ触れていないのですが」とも仰っておられますよね、そう言う状況の下で更に、「琉球民族」と言及してもいない文章も持ってきて検証と言う行為ができるのですか、そのような行為は止めて頂きたいのですが。ノートの過去ログを見ると2年程前からこの記事に関わっておられるのに、それや更に上での発言で貴方が、「琉球民族」関連の一連の記事で歴史などの肝心な部分も調べずに、いい加減な事をやってきたのが良く判りました。それから肯定論に固執し過ぎて、肯定すると思われる言質を探し回っているようですが、標榜しているかしていた団体の賛同者を調べればすぐに判るでしょうに。--スミス16号 2008年5月29日 (木) 14:48 (UTC)(追加)--スミス16号 2008年5月29日 (木) 21:43 (UTC)
確かの私は琉球民族という語の元で書かれたものを見ていません(より現実的に言うと、ここに書き込む参考としている段階でですが)。しかし、その言葉が何を指しているかは明白ではないでしょうか。とすれば、それをここに持ってきていけない、というのは納得いかないですね。それと、もう一度お願いしますが「解説」という言葉をどのように限定して使っていらっしゃるかを教えてください。それから思兼様にはメッセージの割り込みはどうかと思います。時系列がわかりにくくなると思うんですよ。--Ks 2008年5月30日 (金) 00:16 (UTC)
民俗学からアプローチしている自分の視点ですと、現代につながる琉球民族の意識は伊波普猷が起こした沖縄学と彼の言論活動に立脚してるといっても過言ではなく、また彼の活動が政治思想ではなく第一義として学究であったことも銘記されるべきだろうと思います。補足しておきますが、彼の活動のスタンスは第一義に琉球民族論者であり、そして日琉同祖論者です。また、政治的センテンスで日琉が同祖といったのではなく学問的にそう思索しただけです(詳細は割愛しますが。外間守善や高良倉吉の伊波普猷に関する著書を参照されると手っ取り早いと思います)。また、重ね重ねいいますが、解説を書くのは当然として、自分が問題視しているのは記述者個人の政治的思想的価値判断です。まして、本項は記述者同士が琉球民族論と単一民族国家論を戦わせる項目ではないと思います。そういった議論が必要なら項目を立てるべき、と提案しましたので、皆様にはご検討をお願いします。割り込みは失礼して訂正しました。--思兼 2008年5月29日 (木) 22:53 (UTC)

厳密に言いますと、日本における学問上の民族という概念自体、明治以降に西洋思想が日本に流入してからのことではないでしょうか。そもそもヨーロッパでも、民族という概念がはっきりと意識されだしたは、ナポレオン戦争以降であったと思います。それゆえ、学問的な概念としての日琉同祖論や琉球民族論が明治以前になかったのは当たり前であり、明治以後の沖縄学の碩学たちがさかのぼって羽地朝秀の記述を「日琉同祖論」の起源として理解したというのも、西洋思想の流入という当時の流れから考えれば至極妥当だったわけです。羽地は「日琉同祖論」という言葉は使っていないという主張と、羽地の思想は近代思想から再認識すれば一種の民族論であったという主張もどちらも間違っていないと思います。--尚玉 2008年5月30日 (金) 10:51 (UTC)

Ksさん判らないふりは止めて下さいね、馬鹿馬鹿しくてこれ以上話す気にもなりません。どうぞ、お好きなだけ肯定論をぶちまけて下さい。
思兼さんへ、Ksさんの行動を批判しているからと言って、私が単一民族国家論者では無い事を先ずはお伝えしておきます(単に中立を望んでいるだけです)。ただ、ご提案は心に沁みましたので、ご趣旨に従いたいと思います。
それで思兼さんに質問なんですが、もしや現在の記事を全て削除して、新たな記事に置き換える事を考えられておられませんか。もしそうであれば、このノートへその初版を提示して頂くと、尚玉さん他の方々や私も検討し易いのですが。間違いであればすいません。--スミス16号 2008年5月30日 (金) 11:25 (UTC)

申し訳ない、わからない振りなどしていませんが、そう取られたら残念です。ただ、いまだに「解説を書く事が最優先」とある「解説」の具体的な意味を教えていただけませんね。「そんなものは読んでたらわかるはずだ」とおっしゃるのでしたら、私の理解能力の不足を反省するべきなのでしょうね。何も無理して記事に書き込みをするつもりはありませんので、「勝手にぶちまけろ」的なご返事は勘弁したいものです。しばらく静観させていただきますので、どうぞ議論をお進めください。手元でもぼちぼち調べてみます。--Ks 2008年5月30日 (金) 14:11 (UTC)
正直に述べれば、おっしゃる通り、個人的には全文改訂したいと思っています。現時点での本項は琉球民族についての説明、解説というよりは、それを取り巻く評論や存在の検討、反証を掲載するページになっていると思います。たとえば「概説」にしてもよく読むとこれは「琉球民族に対する評価」であって、琉球民族についての説明にはなっていません。人種の項目についても、遺伝研究だけがことさら詳細に記述され、全体を俯瞰するものになっているとはいえません。日琉同祖論の項目についても、琉球民族論の対項ととらえられているようである時点で、伊波がその両者であることを知っている自分からすれば疑問符がつく記述です。全体的に、この項目を政治的にとらえようとするあまりに実像が見えなくなっているのだろうと感じています。スミスさんの中立というのは、おそらく政治的中立という意味ではないのでしょうか。政治的視点はどうでもよいこと、読者が判断すればよいことで、これはすでに学問として取り扱われているものであることであり、項目を記述する上ではライター側はまず存在を肯定することをコンセンサスとすべきではないかと思います。項目についていちいちその実存性を問い始めていたらきりがありません。ですが、自分が時間を割いて事細かく参考文献を引用しての詳細な記事を記述している余裕は、今のところありません。ただ、簡潔な内容でもよろしいならひな形を記述することにやぶさかではありません。--思兼 2008年5月30日 (金) 22:13 (UTC)

ここに苦情を書くのがいいかどうか、現状として沖縄を民族として認めたくない方が多めに集まっているのは分かったが、沖縄差別まで無かったことにしてしまうのはあんまりでしょう。johncapistrano 2008年5月30日 (金) 14:21 (UTC)

johncapistranoさん、差別の部分を消した事を言っておられるのですね。理由を述べますと、人類館事件については「大和民族と標榜した為に起した他民族差別と言う汚点」、他は「琉球民族差別である」との印象を与えようしている意図が感じられました、これは否定論または単一民族国家論側から見れば非中立的です。それと差別が無かったなんて、私はこれまで一言も話していませんし思ってもいません、その様に思われるのは心外です。--スミス16号 2008年5月30日 (金) 23:12 (UTC)
横からすいませんが、スミス16号さん。その「中立」の定義では「否定(または肯定)する者の意見がある」という理由で、「中立であるために、あらゆることを言及しない」というおかしな話になってしまうのではないでしょうか。思想への配慮より、おこった事や現実の反応を記述すべきです。思想によって事実や知識が形成されるのではなく、事実や知識によって思想が形成されていくものだと思います。
johncapistrano|johnさん。個人的には、大日本帝国下での琉球人差別という要素は、近代の琉球民族論の形成のバックボーンではあると思います。伊波普猷の琉球人学問の発端には当時の琉球人差別がありました。事実として、伊波は中学時代に差別的発言を行った大和人の中学校校長に対し、学生ストライキ運動を起こし、地域を巻き込んで発展させ、最終的にはこの校長を事実上追放しています(「沖縄学の父」伊波普猷 金城正篤/高良倉吉共著)。伊波がその後、琉球人をして琉球民族とし、それを論ずる沖縄学を起こしたことを踏まえると「琉球民族」なる認識が成立する背景に当時の社会の琉球人差別という要素があったことは否定できません。これを客観的に俯瞰すると、大和人社会が持っていた民族意識が、琉球人に「作用した」ことで、琉球人側にも琉球民族なる自己認識を発生させた(感化した)ということになるかと思います。--思兼 2008年5月31日 (土) 01:41 (UTC)
思兼さんご安心下さい、記述の順序が逆(記事の終りに書く事)になれば印象も変わるので問題と考えただけで、仰る様に客観的な原因としての差別事例を書く事に、なんらの疑問を持ちませんし当然の事です。johncapistranoさんは筋違いな苦情発言(どんな損害を与えたと言うのでしょうか)をされているので、思兼さんが彼(彼女)向けのコメントをする必要は無かったと思いますよ、ここでは編集の方針について話し合っているのであって、差別の隠蔽を図っているわけでは無いのですから。--スミス16号 2008年5月31日 (土) 23:40 (UTC)
関東大震災の記事から琉球人虐殺の記述を除去しているのはスミス16号氏です。「外国人」と並べられるのが厭なら記述を移動するなどより適切な方法があるでしょう。johncapistrano 2008年6月1日 (日) 02:31 (UTC)

みなさんに「大和民族」の記事を参照していただきたいのですが、そこでは大和民族はあるものとしてその文化、言語、宗教等について記述しており、大和民族の実存から問う論調にはなっていません。それは民族の定義が定まっていないということも理由としてあげられると思います。自分はこの項目も同じスタイルであるべきだと思います。「民族とは何を持って定義されるか」ということは「民族」の項目にゆだねればいいし、琉球民族論について議論や異論があるのなら、完全に別項とした方が読みやすい記事になるはずです。--思兼 2008年5月30日 (金) 22:13 (UTC)

(賛成)思兼さんの意見を可とさせて頂きます。この不毛な(私だけが感じるのかもしれませんが)状況を、改善改良するには、大和民族に準拠するのが一番の得策ですね。ひな形の記述は、あちらを参考にしているであれば表示しなくても構いません。--スミス16号 2008年5月30日 (金) 23:12 (UTC)
では、基本的にあちらを参考にしていただければ。この項目独自の情報があれば、後から設定すればよいと思います。これまで揉めていた琉球民族論の是非、有無等の議論については、こちらには小見出しを立てて簡潔な説明とそれを取り扱う別項への案内を設けておけばよいと思います。--思兼 2008年5月31日 (土) 01:41 (UTC)
改訂についてですが、ウィキペディアではこの様な編集の場合、提案をされてから一週間ほど意見を募り、反対が特に無ければ取り掛かる事例が多いようです。ただし、他の方から反対する意見がでれば、解決する為の議論を経なければいけません。--スミス16号 2008年5月31日 (土) 23:40 (UTC)
この節の原因が私である事は勿論認めます、で在るからこそ思兼さんのご意見を可とさせて頂きました。貴方も古くからから参加されているご様子ですが(この節で一番古いですね)、この記事が2005年10月29日出来てから一向に解決しなかった問題でもあるでしょう。その言い方では最初から全ての原因が私にあるようにも取れます。--スミス16号 2008年6月1日 (日) 03:23 (UTC)

思兼さんのご提案を確認しましてから一週間経ちました、特に反対意見は無いものと判断します。思兼さん、全面改訂よろしくお願いします。--スミス16号 2008年6月7日 (土) 13:47 (UTC)

えーと、自分がやってもいいですが、上記したように、今この記事に集中できる状況じゃないので、少々時間をください。もしどなたか記述されるのであれば。フォーマットについて「大和民族」に倣うということでコンセンサスができていますので、それで改定していただければと思います。--思兼 2008年6月11日 (水) 01:36 (UTC)

県民あるいは島民について[編集]

この表現の場合、例えば本土や中国からの移住者、あるいはその混血の者もその時点で県民や島民なのではないでしょうか。この文章は民族という文化的側面でなく、人種の方の面から述べたものと見ての変更です。その点で見ていかがでしょう。なお、これは単に観点について述べたもので、当然ながら琉球の住民が民族としても人種としても独立であることを前提にしているものではありません。--Ks 2008年7月19日 (土) 22:46 (UTC)

琉球「民族」の記事である訳ですから、「読者」は「民族」と言う視点で見ます「人種」じゃないでしょう、その点を間違えないで下さい。それから、過去の移住者はみんな琉球民族と定義している様なんで、その点は消しても良いかも。--スミス16号 2008年7月20日 (日) 12:42 (UTC)
そうではないです。民族は文化的な集団で、人種は系統的な集団ですが、この両者は往々にして一致傾向がありますよね。で、該当の文章は、必ずしもそうではないよ、と言っていると思ったのですよ。つまり沖縄圏内に古くから居続けている人たちだけでなく、他地域から入ってきている人もいるよ、と言うことでしょ?でも、それではは言ってきた人は、入った段階ですでに沖縄県民や沖縄島民だったりするんじゃないかな?と言うことです。--Ks 2008年7月20日 (日) 14:17 (UTC)
ああなるほど、これは失礼しました。先住民先住民族をいじっている人がいたんで、そっち方面かとも誤解してました、申し訳ないです。人種方面なら、後ろの「人種の系統」節に内容が重なっているんで、統合しても良いですね。--スミス16号 2008年7月20日 (日) 15:09 (UTC)

一気に消しちゃうのはどうでしょう。いや、ここを消すのは悪くないと思うんですが、でもそれに変わる部分が人種に関する記述にはないのですよ。例えば伝承の上でも中国とか殻の移住者があるぞ、とか言った記述がそこになされてから、改めて消してはいかがかと。--Ks 2008年7月23日 (水) 14:19 (UTC)

了解。人種の記述は、同様の内容がいろんな所にあるので、確認後整理しましょう。--スミス16号 2008年7月23日 (水) 21:10 (UTC)