ノート:玉生城

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

提示された資料に明記されたものを読まずに要出典を張り続けている荒らしの方がいますが、まずは、提示された資料をきちんとお読み下さい。文章の見落としで要出典を張り続けられても困ります。--Y_mon 2009年9月2日 (水) 13:44 (UTC)[返信]

要出典を張った者です。まずY_mon様、Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないWikipedia:荒らし#荒らしではないものを熟読下さい。この場合、私とあなたの論点は編集方針の違いからくる論争でしょう。
さて、提示された資料とのことですが、{{参照方法}}をつけました。要出典を張った問題はここにあります。単に提示した気にならないでください。特に『塩谷町史』は4冊もあり、『矢板市史』は那須記を収録していたりして、単に中世の解説を探せばよいというものではありません。なおいきなりの添付は謝罪しますが、執筆者たるY_mon様に、該当部分に出典追加を行うという簡単な作業のお願いを行っている意図のみです。どうぞより質の良い記事作成にご協力をお願いします。--KurmUmy 2009年9月2日 (水) 08:37 (UTC)[返信]

また、「時系列的に矛盾するから系図の享年がおかしいとみなす出典」とは、どういう出典でしょうか? 時系列の言葉の意味を理解されていないのでは? 常識的な事項まで、資料至上主義で、何らかの資料に書かれていなければ根拠にはならないというのでしょうか? 意味不明です。資料については、とにかく提示したものをお読み下さい。転載は出来ませんし、見落とされた責任を押し付けられても困ります。--Y_mon 2009年9月2日 (水) 19:52 (UTC)[返信]

本文での言い方が悪かったですね。申し訳ありません。ご指摘感謝しております。正しくは「時系列的に矛盾するから「これは当たらない」と判断する出典」です。忠景の享年が正しいのか、伯父・塩谷泰朝の生年が正しいのか不明ですので(どちらも違うなど色々評価できますよね)、時系列的に矛盾しているのは記述できますが、そこから判断して「これは当たらない」と結論付けてはならないのです。独自研究を参照してください。なお「これは当たらない」は「常識的」に判断できるといえません。言葉を濁さないで避けるべきとされますし、執筆者の「常識」が正しいとは限らないためです(時系列的に矛盾⇒系図の享年が変だとの指摘は常識的に妥当ですので、この指摘であれば聞き流してください)。--KurmUmy 2009年9月2日 (水) 11:45 (UTC)[返信]
(追記)「転載は出来ません」とのことですが、出典を明記するにもあるように'情報を過不足無く記載することを求めています。具体的に言えば、本の題名以外の巻数・著者・出版年です。ページ数は有れば非常にありがたいですが。また、「 出典を示す責任は掲載を希望する側に」とあります。「提示したものをお読み下さい」とのことですが、どれが具体的に要出典部分の出典なのか不明です。一応参照した上で質問していますが、見落としがあったなら、具体的に書名・本の節名、大体この本の何ページあたりにあったよなど、提示して頂けないでしょうか。ご迷惑かと思いますが、ご協力宜しくお願いします。--KurmUmy 2009年9月2日 (水) 12:09 (UTC)[返信]

玉生権太夫式部丞の比定について[編集]

文安3年(1446年)時の城主として「玉生権太夫」(玉生権太夫式部丞)の名前が「宇都宮広巳文書」(『塩谷町史 第2巻』117-123頁に収録)に記載されますが、権太夫が「玉生系図」(『塩谷町史 第2巻』収録)にみえる玉生勝泰の次男・泰忠であったとする説は、『塩谷町史』(全4巻)には見当たりません。文安3年という年代から系図上で探せば泰忠を想起することは容易です。しかしwikipediaでは情報の合成はできません。よって、何らかの書籍・著書において、玉生権太夫は玉生勝泰の次男・泰忠ではないかなどのニュアンスが記載されていなければなりません。そのため要出典タグをつけています。なお代々「権太夫」を名乗ったという玉生綱家の弟・忠家の系統説の出典も脚注で明示せずですが、参考文献にあるかもしれませんのでタグはつけていません。--KurmUmy 2009年10月3日 (土) 14:26 (UTC)[返信]