ノート:火野葦平

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(もとの「翌年に」では文脈上、昭和13(1938)年の受賞のように読めてしまうのでおかしい。) という理由で一度、書き換えましたが、元の執筆者が――火野葦平が受賞の事実を知ったのはその「翌年」の昭和14(1938)年で、授賞式に小林秀雄が来たのもその時――という意味で書いたとも思われたため(私は火野葦平の細かな事蹟を確認する資料が手元にない)、元に戻しました。但し、受賞が昭和13(1938)年下半期の第六回受賞であることがこの本文ではやや分りにくい点、小林秀雄がわざわざ出向いた授賞式が翌年であったなら、それが何時(出来れば何処で)行われたのかが不明である点が記述として誤解を生ずるものであることは変わりがないように思われます。明確な加筆が望まれると存じます。