ノート:滝村隆一

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

 mcともうします。

 Ryokanさんの改訂文を拝見し、主観的な記述であり辞書に合わないのではないかと考え、校訂文を出してみることにしました。。  Ryokanさんの改訂文を再改訂しながら、私も自分の以前の改訂文の「主観的」なところを反省するきっかけをえました。

Ryokanさんの文はつぎのようなものです。

「滝村は、論敵への峻厳極まる批判的態度、学閥の問題もさることながら、何より研究者としては不可欠な語学が出来ないため原書や海外の専門書が読めず、そのためよく言えば独学、悪く言えば素人談義として政治学・法学の世界ではおおむね無視黙殺されている。しかし異分野である東洋史・日本史の人間とは交流がある。明治維新史の原口清、中国近代史の小林一美、インド中世史の佐藤正哲、考古学者の寺沢薫など。また、1970年代前半までは、三浦つとむと親密な関係にあり、英語学者の宮下眞二との交流もあった。また、南郷継正に論文の書き方を教えたという。」


「より研究者としては不可欠な語学が出来ないため原書や海外の専門書が読めず、」

これは客観的に証明できるソースがありません。よって辞書に載せる記述としては相応しくないと思いました。ん。


「原書や海外の専門書が読めず、そのためよく言えば独学、悪く言えば素人談義として政治学・法学の世界ではおおむね無視黙殺されている。」

「原書や海外の専門書が読めず」という文がソースなしであるいじょう、「独学、悪く言えば素人談義として政治学・法学の世界ではおおむね無視黙殺されている。」という文も、辞書に載せるのにはふさわしくないと思います。また「独学」であることと「素人談義」であることは直接つながらないと思います。

「南郷継正に論文の書き方を教えたという。」 この記述も客観的に確認できない話ですから、辞書に載せるには適当でないと思います。MC2006年7月1日 (土) 07:32(UTC)

この論文教示の部分の執筆は私です。そのソースは、南郷継正本人の著作『なんごう つぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1) 看護と武道の認識論』現代社白鳳選書19 現代社2006年 ISBN 4874741215の71ページの「第1編看護に必要な認識論入門 第4章看護を学ぶのに必要な覚悟を説く 第1節三十九歳からの論文の書き方の学び」にある高名な学者に論文の書き方を習ったとあり、あとがき221ページに恩師の一人に滝村隆一を挙げてある(師は2人のみ挙げてあり、他の1人は三浦つとむ)ことです。他の著作または『学城』にも記述があったかもしれませんが、今手元にあって確認できるのは上記著作です。もし他の著作による言及が必要なら調べますがどうしましょうか?それと記述には署名をお願いします。方法は(~~~~)(詳しくはWikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする参照)とチルダを4つ記入すればできますのでよろしくお願い申し上げます。申し訳ありませんがそちらの署名を付加させていただきます。Izayohi 2006年7月1日 (土) 09:03 (UTC)[返信]
ソース追加です。現代社『綜合看護』2003年3号連載「なんごう つぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義 看護と武道と認識論」(19)(2)右段89ページに、恩師である滝村隆一に20年に渡って師事した旨の記述があります。Izayohi 2006年7月2日 (日) 03:10 (UTC)[返信]