ノート:清水焼団地

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工業団地[編集]

伝統工芸を扱う団地が工業団地という定義に該当するか疑問です。最初に掲載した生産団地という定義が妥当かと思われます。編集合戦を避ける為にノートにて。--hilo 2010年2月18日 (木) 05:24 (UTC)

  • (コメント)伝統産業も工業のひとつであることから、工業団地の定義に何ら間違いはないため適切な用法と考えます(工業団地には、その定義として『一定の区画の土地を工業用地として整備し、工場などを計画的に立地させた地域』としています)。ところで、Hilo.feat.wikiさんが仰る「生産団地」の定義とは何でしょうか?また、伝統産業だからその用語を使用すべきと言う根拠は何でしょうか?個人的な考えだけではなく、Wikipedia:検証可能性を考慮いただいたうえで、ある程度の根拠を提示しながらご説明いただきたく思います。--Si-take. 2010年2月18日 (木) 23:13 (UTC)[返信]
  • Wikipediaの定義では鉄鋼や造船等の大規模な物を指し伝統工芸品(着物や木彫り等の手作り創作品と定義)は工業とは異なります。ただし辞書での定義は手作りですからWikipediaの定義が大規模な物に限定しているのでJRのように辞書の定義よりは一般常識に基づいた定義に限定しているのが問題ですね。結論を言えば辞書の定義では工業でも正しいと分かりました。--hilo 2010年2月20日 (土) 17:24 (UTC)
    • (コメント)結論として「工業団地」で構わないということなら議論を続ける必要もありませんが一つだけ。重工業だろうと軽工業だろうと、伝統産業だろうとベンチャーだろうと、モノを生産し販売する生業は「工業」です。機械で作ろうが手で作ろうが同じです。Hilo.feat.wikiさんは、有名な作家が創作しているような美術品相当の一品モノをイメージして仰っているのかもしれませんが、清水焼団地はそういう美術向きの工房が恐らく混在しつつも、ある程度の規模をもって商品を量産している工場(工房)も少なくないわけで、団地の全てが「作家先生の手作り創作品」と定義してしまうのは、ちょっと無理があると思います。(余談ですが、わたくしの父はかつて京友禅という「軽工業の伝統産業」の職人でした。趣向を凝らしながら一人で色を入れていく作業は、ある程度の絵心や技術や創造力が無いと染料の調合もできませんが、かといってそれは生産の一工程ですし、注文に応じて作っているだけですから「創作」をしているわけではありません(それでも、手作業ですから一つとして同じものは出来上がりません!)。なお、京友禅の「創作」は、ごく一握りの作家とか人間国宝クラスの方がやっておられる事ですが、もしそういう人たちが集まっている団地があるなら、それは生産活動を生業とする「工業団地」というよりは、創作活動を行う「アトリエ群」とでも言うべき地区となりましょう。)--Si-take. 2010年2月20日 (土) 19:16 (UTC)[返信]
  • こんにちは。通常の工業団地は工場がメインで、「工業専用地域」または「工業地域」にあたると思います。清水焼団地に関しては(WEBの不動産広告をざっと見たところ)「準工業地域」のようですし、「窯元や販売店」ということであれば産業団地と定義するほうが実態に即しているのではないでしょうか。--miya 2010年2月27日 (土) 15:53 (UTC)[返信]
    • (コメント)なるほど。用途地域を考慮するというのは一つの要素かもしれないですね。しかし、だかといってWikipediaが造語をしてしまうのはまずいと思う(個人的には、「産業団地」なる用語は、名称が多用される割にはその定義がいまいち不明と考えます)ので、まずはいくつかの用例を確認したうえで検討する必要があると思います。そもそも論ですが、協同組合は団地を何だと位置づけているのでしょうか?(ちなみに、本文中に出典として使っているasahi.comの記事ではあっさりと『工業団地』って書かれちゃってますが…)--Si-take. 2010年2月27日 (土) 16:14 (UTC)[返信]
      • この地域開発に携わった建設コンサルタント会社と思われる(株)地域計画建築研究所(アルパック)のサイトにある資料では「中小企業団地」としています:PDF, PDF)。だから「清水焼関連産業を中心とした企業団地(または中小企業団地)」でもいいかもしれません。(ついでながら「清水焼団地協同組合」は1962年設立のようです>市政史第2回配本第5巻「資料 市政の展開」綱文一覧による)--miya 2010年2月27日 (土) 16:25 (UTC)[返信]
        • (コメント)コンサル的には企業団地なんですね。工業が主ではあるが小売りにも重きをおいている現状には、ある程度即していおり妥当な表現のひとつかと思います。ただ実際として、「企業」と名が付いていますが企業化されている工房とそうではない工房の比率ってどんなものなんでしょうかね。「企業」という言葉に過度に反応しすぎかもしれませんが、何となく引っかかります。(自分から「出典を要す」と言いながら主観で反論しまして、申し訳ございません…)--Si-take. 2010年2月27日 (土) 16:37 (UTC)[返信]

清水焼は清水寺発祥について[編集]

「清水焼は清水寺発祥」について疑問の意見がありましたのでこのサイトをご覧下さい。 京焼清水焼窯元松斎窯[1]で説明してます。 明治五年創業の老舗の窯元です。いかがでしょう?--hilo 2010年2月27日 (土) 13:38 (UTC) 朝日堂というサイトです。こちらも明治三年創業の老舗です。あわせてご覧下さい。--hilo 2010年2月27日 (土) 13:58 (UTC)

ご呈示のサイトを拝見しましたが、これは「清水寺界隈に窯を置いたこと」がその名の由来であることを述べているだけであって、清水寺そのものが発祥であるとはどこにも書いていません。これらのサイトの記述を読んでなお、あたかも寺院としての清水寺が清水焼の創設に関与したかの如く書かれるのであれば、小生としてはhilo氏の文章読解力に致命的な問題が存在すると考えざるを得ません。そもそも、京焼あるいは清水焼と現在一括して呼ばれている陶磁器そのものが、古丹波をはじめとする様々な焼き物の系譜を貪欲に取り込んで自然発生的に成立したという歴史的経緯、特に仁清・乾山の時代に始まる陶器の流れと、頴川にはじまる磁器の流れが入り交じりながら展開した歴史を十分に理解していれば、「清水寺発祥」という記述が出てくる筈もないでしょうし、一時存在した「陶器と大きな定義にしてるが細かく定義すると石が素材の磁器と土が素材の陶器に分かれる。清水焼が高級食器とされるのは磁器が数万単位の高額商品だから。陶器は1,000円以下の商品もある為磁器とは基本的な扱いが違う。」などという愚にもつかない(正直、この記述をなされた段階で、小生としてはhilo氏には陶磁器に関する充分な知識も理解もないものと判断せざるを得ません)記述が出てこようはずもないのですが。hilo氏におかれましては、記事に性急に加筆する前に、まず日本語の読解力と文章力を養われることと、京焼全般に関する充分な文献調査と検討をなされることを強く推奨します。--HATARA KEI 2010年2月27日 (土) 14:50 (UTC) --HATARA KEI 2010年2月28日 (日) 06:31 (UTC)(微修正)[返信]
(コメント)松斎窯さんのサイトには『元来は清水寺界隈で作られていたやきものが「清水焼」と呼ばれていました』と書かれています。一方、朝日堂さんのサイトにはもう少し踏み込んで『清水寺の領内にあった「清水焼」はその庇護のもと』で作られた、と書かれていますが、お寺さんが発祥とはどこにも書いていませんね。どこでそういう解釈となったのかお伺いしたいです。(わたくしが読んだ限りでは「清水はんに守られながら、その近所で作ってはった」としか読解できませんでした。)--Si-take. 2010年2月27日 (土) 15:40 (UTC)[返信]

保護解除後について[編集]

指摘により清水焼という記事を作成。従って保護期間が過ぎればスタブで情報収集をして完成を願います。編集保護された事実を客観的に考えると清水焼団地は住宅街として必要最低限の情報に絞るのがベストかもしれません。以上です。--hilo 2010年2月28日 (日) 10:03 (UTC)

  • (コメント)そんな事の前に、上のセクションで貴殿が疑問を提起した内容についてわたくしや他の人がコメントをしています。保護解除うんぬんの前に、まずはご返答いただけますか?--Si-take. 2010年2月28日 (日) 10:06 (UTC)[返信]
  • (コメント)編集保護が実施された理由がどこにあったのか、hilo氏が全く理解されていないことは、この節の一文だけでもよく理解できました。ただ一方的な主張をなさるだけで、対話の意思が全く見受けられないことがそもそもの原因であり、なおかつこのような性急かつ短慮な行動を繰り返され続ける以上、小生としてはhilo氏の編集姿勢に対するコメント依頼の実施を検討せざるを得ません。--HATARA KEI 2010年2月28日 (日) 10:40 (UTC)[返信]
    • 無用なトラブルを避ける為にあえて要点だけを述べて返答は避けました。まさか発祥の定義から説明する事になるとは…。物事が起こりあらわれること。辞書で検索するとそれが発祥の定義と出ます。つまり清水寺の領地内に限定してません。広義に解釈すれば清水寺界隈という解釈が出来ます。このような説明がトラブルな火種になる事が予想出来ましたし既に現に今は保護されてます。トラブル防止の為に管理者権限で保護となってます。保護期間が最長の1ヶ月というのはそれだけ危険性を感じたという事でしょう。Wikipedia:コメント依頼議会のようなものですね。構いませんよ。議論活性化のためのコメントは派閥攻撃が可能な為にお断り申し上げますが合意形成のためのコメントは建設的な議論が期待出来ると思いますから構いませんよ。最後に編集保護の理由は管理者が権限を行使したのが理由であり我々にそれを知る権利はありません(想像するのは自由ですが)。人一つだけはっきりしてる事はWikipedia:基本方針とガイドラインに基づき保護されたのは間違い有りません。--hilo 2010年2月28日 (日) 15:12 (UTC)[返信]
      • 正直、不毛な問答を続けるのが嫌になりかかっているのですが一つだけ。「広義の解釈」を適用しなければ文意を説明できないような、曖昧かつ誤解を誘発する危険性の高い記述をここでわざわざ採用された理由は一体何なのでしょうか? 「清水寺界隈という解釈が出来ます」とおっしゃるのであれば、最初からそのように書けば「無用なトラブル」は全く発生しないわけで、なぜそういった作業を行わずに、「辞典にこう書いてあったからこうだ」などと後付で弁明しなければならないような、記事を閲覧する人間が辞典を傍らに用意して一語一語確認しながらでなければ「読めない」ような拙劣な記述を、それも繰り返し行われたのか、小生としては全く理解できません。議論において言葉を尽くすべき必然のあるところで言葉を惜しみ、記事において読者の適切な理解を妨げるような曖昧な語を用いて記述することを当然の権利のごとく主張されるのであれば、他者との間でどのような意思疎通もできないでしょうし、また百科事典の記事執筆者たるべき資格もないと思うのですが。--HATARA KEI 2010年2月28日 (日) 17:56 (UTC)[返信]
      • と言いましょうか、ノート:バス停留所のコメントにもある様にHilo.feat.wiki氏は自説の展開が多過ぎます。余りにこう言うのが繰り返される様でしたら投稿ブロック依頼の提出も視野に入れざるを得ません。これだけ忠告して置きます。--目蒲東急之介 2010年2月28日 (日) 18:00 (UTC)[返信]
      • (コメント)「発祥は清水寺である」と「発祥は清水寺周辺である」では、意味が全然違う。どの辞書の定義を参考になさったのかはわからないが、そういう曖昧なことを書き連ねたいという人とはWikipediaでの共同作業はできません。あなたの編集姿勢こそがまさに『トラブルな火種になる事が予想』されるものです。(2,3日外出します。)--Si-take. 2010年2月28日 (日) 23:33 (UTC)[返信]

ふたたび保護解除について[編集]

hiloさんによる虚偽と思われる記述がひとつの原因となって編集保護となったことと、上記の議論でも有用なご回答を得られないことから保護解除の議論提起者としての当事者能力がないと考えますので、議論を仕切り直した上で(僭越ながらわたくしが)保護解除へ向けた提起を行いたいと思います。(わたくしの認識としては、編集保護となった原因は実質的なリバート合戦、その編集の理由は団地の説明ではない事柄が必要以上に加筆されたことと、その一部に虚偽を含む可能性があったことと認識しています。)以下、保護解除のための合意事項案をコメントしますので、賛否などご意見をお願いします。

  • 団地の説明ではない事柄について
そもそも論としては「清水焼についての詳細を説明する内容がないまま生産地である清水焼団地が立項されたことがバランスを欠いたものだった」のかもしれませんが、現状は京焼とは別に清水焼も立項された(記事そのものはまだまだ発展途上ですが…)ことから、その定義や歴史は基本的にそちらに加筆することで両記事での記述内容の整理が可能だと考えますので、当項目では、清水焼についての説明は文脈として必要な場合に限り、かつ最小限度に留めるということを、一つ目の合意事項として提案します。
  • 虚偽と思われる記述について
上記ノートでさんざんやり尽くしていますが、「発祥は清水寺である」と「発祥は清水寺周辺である」は、きちんと峻別して書かれるべき内容と考えますので、記述についてはWikipedia:検証可能性を満たす出典に書かれている内容を厳密に適用することが必要かと思います・・・と言いますと「当たり前の事を言うな!」とお叱りをいただくでしょうが、清水寺領内で作られたということだけでは「清水寺が自ら制作に企図したりそれに携わった」とは言い切れません。今後、発祥について加筆する場合は、そのあたりを曖昧にせず出典元に書かれたとおりの内容を記述し、かつソースを明確に示すことが必須と考えますが、ひとまず現時点では「清水寺が清水焼の発祥である」ことを示す出典は提示されていないことを、二つ目の合意事項として提案します。

なお、当議論は今までに編集に参加された方やご覧になっている方々で進めたいと思いますが、もし紛糾するようでしたらWikipedia:コメント依頼への提出も考慮していることを付け加えておきます。--Si-take. 2010年3月4日 (木) 13:53 (UTC)[返信]

以下、ご意見やコメントをどうぞ。
  • (賛成)わたくしの私見は、上に書きましたとおりです。--Si-take. 2010年3月4日 (木) 13:53 (UTC)[返信]
  • (賛成)正直、かような稚拙極まる内容加筆を、それも当然の権利のごとくルールを(まともに読まずに都合の良い箇所だけをつまみ食いして)振りかざして繰り返す利用者がいること自体が小生には信じられないのですが。妥当な出典もまともに提示できないのであれば、それは排除されて然るべきでしょう。--HATARA KEI 2010年3月4日 (木) 19:00 (UTC)[返信]
  • (賛成よりコメント)あくまでも、清水焼団地の項目ですので、清水焼のことは、当該項目で記述すればいいと思われます。たとえば、有田陶器市の項目の場合、有田焼そのもののことは記述されていませんし。
また、清水焼の発祥の点については、これも本来清水焼の項目に記すべき事象かと思いますが、認識としては、「清水寺が清水焼の発祥である」という出典は示されていないということで、問題ないと思いますが。
ただし、保護解除後、同じこと(編集合戦)の繰り返しになれば(危険性はあります)、長期の全保護も致し方ないかもしれません。--Ma000158 2010年3月4日 (木) 19:19 (UTC)[返信]
  • 未完成と前置きしてこの有様ですか…。反論が占めていてもはや議論は平行線で建設的な議論は無理かもしれません。予定より早い保護解除という性急な判断についても疑問です。Wikipedia:論争の解決に基づきインターバルを設定すれば当事者能力がない'という性急な判断。もはや建設的な議論を望むならWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメントに依頼して善意なる第三者に委託するのがベストかもしれません。今後、私が客観的な発言をしても反論が予測される為、つまり平行線が予測される為、今後発言は自粛致します。念のために申しあげますが保護解除後の件は既に発言済み(提案済み)です。--hilo 2010年3月5日 (金) 10:27 (UTC)[返信]
    • (コメント)Wikipedia:検証可能性を満たさないまま議論や草稿を書いていただいても対応に苦慮するばかりですから、『今後発言は自粛』していただけるならこれを歓迎いたします(試し書きはWikipedia:サンドボックスをご利用ください)。なお、インターバル云々と仰っていますが、それは他者がその意図についてよく理解できる状況を作ってこそ活かされるものではないでしょうか?(あなた自身が何ら問題解決を図ること無きまま「保護解除」に向けての議論を開始されたことに対し「順序が違うでしょ?」とご指摘をした。これに対し「インターバル」だなんて呑気だなぁ、と。わたくしが逆の立場なら、まずは相手の指摘に一所懸命応える姿勢を示したうえで、個別具体的な指摘に対して真摯に回答しますけどね。)なお、コメント依頼については現時点で必要だと思わないのですが、もし必要だと思われるなら、どうぞよしなに。--Si-take. 2010年3月5日 (金) 12:29 (UTC)[返信]

清水焼について[編集]

先ずは一言。下記の内容は未完成な原稿です。Wikipedia:論争の解決に基づきインターバルを設定しました。ところが急展開により予定より早い保護解除になりそうなのでとりあえず未完成な原稿の状態ですが上記に事情によりご了承下さい。
清水焼を知らない人に今回の説明は乱暴でしたね。反省します。先ずノートページという事で語弊についてはご了承下さい。先ず発祥という言葉を使ったのは広義という意味ともう一つあります。清水焼が清水寺をルーツにしてるのは間違いないからです。逆に言えば清水寺に関係がないと清水焼が「何故清水?」となります。京焼だけで充分ですし東山にちなみんで東山焼でも構わないはずです。なのに清水焼です。清水焼界隈の窯元が明治時代から伝統を現代に受け継いできた。だからこそ清水焼発祥という説明になるんです。辞書の定義では間違いではないのでこのような表現となりました。勿論、清水寺と清水焼は直接の関係はありません。まあ住職が常連客だった可能性はあるかもしれませんが。あと京焼の記事は随分語弊がありますね。改訂出来る程の知識もないので黙認してますが。最後に前に清水焼団地で陶器まつりの住み込みバイトした経験があり多少の知識がありまして(勿論、素人レベルですが)それで多少は詳しい訳です。…以上、未完成ですが投稿します。--hilo 2010年3月4日 (木) 14:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)あなたのエッセイは読み飽きました。清水焼の発祥について、お寺が直接関わったという解説をした出典を示してくれとお願いしています。(お寺が直接的な関わりではないなら、相応の書き方をしてくれとも言っています。)記事のノートページはあなたの思い出話を書く場所ではありません。--Si-take. 2010年3月4日 (木) 14:44 (UTC)[返信]
  • (コメント)清水寺関係についてまともな出典が存在しないことは理解しました(あなたの妄想はもう結構)。あと、陶器まつりのバイトをしてその程度の知識・認識(ことに陶器を見下したあの記述は事実誤認も甚だしく、まともに陶磁器を知る人間が見れば到底許容できないものであると断言します)なら、きつい言い方になりますが、二度と当該記事の編集作業に関与されない方がよろしいでしょう。--HATARA KEI 2010年3月4日 (木) 18:41 (UTC)[返信]