ノート:海のトリトン

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

LRさんが私の編集によるアニメ版の富野色の件を定義に書くものではないとしてアニメ版解説の小見出し下に移動されましたが、『海のトリトン』という存在の特異性というものは、漫画、アニメ史双方に巨大な足跡を残した手塚治と、これまた手塚の後の世代として日本のアニメ界に大きな変革をもたらした富野由悠季が一定の葛藤の上で交錯しているという一種のエポックメーキングな作品だったという点にあると思うのですね。ですから、アニメの富野色という件はアニメ版解説の中に閉じ込めてしまうのではなく、積極的に定義部分でこの二人の交錯を記述した上で、漫画版、アニメ版双方を解説して比較するという構成をとったほうがいいと思うのですが、いかがでしょうか。--ウミユスリカ 2005年12月11日 (日) 02:25 (UTC)[返信]

定義部では『漫画とアニメは事実上別作品である』ことだけに触れ、詳細は概要に書けばよいのでは。 -- NiKe 2005年12月11日 (日) 02:40 (UTC)[返信]
なるほど、概要部分という手がありますね。今、手塚治の漫画のほうを読み返していますので、読み終わって頭の中の整理・構築ができたら手を入れてみようかと思います。ちょっと後になると思いますが。アニメ版もあらすじの部分に手を入れて漫画版との比較論考に堪えるようにしないといけなさそうですね。レンタルビデオを借りてこなければなぁ・・・。--ウミユスリカ 2005年12月11日 (日) 02:54 (UTC)[返信]
『海のトリトン』という存在の特異性は、一重にアニメのシナリオが質的に画期的だったことで、「優れた原作との相乗効果」とは認められません。逆に手塚はこの件では別になにもしていなくて(手塚はここで無理に評価する必要などない偉大な存在で「青いトリトン」は手塚的には凡作でもいいはず)、他者原作でも同じ事は起こったと思います。このジャンルの別の例でいえば「うる星」や「パトレイバー」で押井守がやらかした事(キャラだけ使って好き放題自分の物語をやらせてしまった)とおなじです。LR 2005年12月11日 (日) 05:43 (UTC)[返信]

関西(毎日放送)では水曜深夜に再放送始まってます。AJC 2006年9月18日 (月) 07:01 (UTC)[返信]

最近BSで再放送を行われていて視聴していたのですが、本文のラストの部分と事なってるような感じでした。特にルカ達と別れるシーンは無く、沈む夕日を見つめて終わっていたのですが実際はどうなのでしょうか?私の記憶違い?--Pipora 2009年9月18日 (金) 03:55 (UTC)[返信]

記述にもあるように原作とアニメはストーリーがかなり変わっています。そのため登場人物の説明が非常にわかりにくくなっていると思います。登場人物欄も原作とアニメを別けたほうが良いと思いますがどうでしょう。--126.147.153.38 2019年9月5日 (木) 08:18 (UTC)[返信]

映画版ソフトについて[編集]

宇宙戦艦ヤマト・フェスティバルにて公開されなかった後半部分を含む完全版のソフト化は、02年にDVDが発売される以前(記憶によれば1984年)にビデオソフトが発売されています(購入したのはベータ版ですが、VHSも出たはず)。ソフトをいま確認できないので、ハッキリとしたことが書けずにいましたが、とりあえずノートにて指摘しておくことにします。正確な情報が分かり次第加筆いたしますが、ご存知の方がいましたら加筆をお願いします。--Bokemiann 2010年12月10日 (金) 15:33 (UTC)[返信]

映画版上映時間について[編集]

映画版の上映時間が139分となっていますが、これは前後編合わせての時間だと思います。ヤマトフェスティバルにて上映(前編)された時の上映時間は、せいぜい1時間20分程度だったと記憶しております。正確な情報をご存知の方がおられましたら訂正ををお願いします。--Bokemiann 2010年12月14日 (火) 15:11 (UTC)[返信]