ノート:法の支配

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過去の議論[編集]


法の支配の日本への受容の部分について[編集]

利用者:うまやど会話 / 投稿記録 / 記録さんの直近の改稿によって、若干ニュアンスが変わった説明になったような感じです。しばらく様子を見ますが、少々違和感を覚えたので、調べなおしてみたいと思います。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年12月7日 (日) 13:32 (UTC)[返信]

差し戻しについて[編集]

上記のログを見るとずいぶん議論がなされているようですが、法の支配が主権の存在を否定する思想であるというのは(少なくとも)現在明確に否定されています。法の支配の元祖・家元といえば、イギリスとアメリカですが、イギリスは国会主権、アメリカは人民主権の国です。「ういき」の英語版では、「アメリカでは独立戦争が人民主権という概念の出発点となった」と明確に書いてあります[1]。合衆国憲法に主権の言葉が使われていないのは、おおせのとおりですが、これは、もともとは各州が「主権」をもつ独自の国家で、連邦の有する権限との関係が明確でなく、合衆国憲法自体が「大いなる妥協の産物」であるから,殊更主権という言葉を避けたにすぎません。各州は、それぞれ憲法を有しており、若干内容が異なりますが、例えばワシントン州憲法は、「すべての政治権力は、人民に由来する固有のものであり、政府は、人民から与えられた同意によって、その政治権力を制御し、個人の権利を守り、維持するために設立されたものである(All political power is inherent in the people, and governments derive their just powers from the consent of the governed, and are established to protect and maintain individual rights.)」と規定し、これは人民主権を定めたものとされています。編集合戦になるのは嫌なので自分では戻しませんが、今後の議論のご参考まで。--Pirosiki 2009年7月28日 (火) 06:10 (UTC)[返信]

私にも利用者:うまやど会話 / 投稿記録 / 記録様の差し戻し理由がよくわからなかったので一度戻しました。--倫敦橋 (Londonbashi) 2009年7月28日 (火) 21:04 (UTC)[返信]

「現在明確に否定されています」とありますが、「明確に否定しているという主張」があるだけです。また、Wikiの英語版はその根拠になりえません。--うまやど 2010年8月18日 (水) 05:21 (UTC)[返信]

全般的な話[編集]

絶望的な状況の記事ですね。異なる学説から部分的に論を取ってきて、筋を考えずにつなげているので、訳のわからない状況になっています。もう少し系統だった記述じゃないと、矛盾だらけで、理解できないと思いますよ。英語版ではthin、thick、functionalと分けて書いていますが、そういう書き方が必要じゃないでしょうか。218.216.99.67 2010年3月18日 (木) 05:38 (UTC)[返信]

国体と憲法の相違について[編集]

Constitutionの訳語には、憲法と国体があります。国体は「実質的な憲法」のうちでも、その国の伝統(背骨)に基づく服のように代わりのきかないボディともいうべき中核部分という意味合いがあるときに使われる比喩的な概念です。ポツダム宣言受託の際の「我が国の国体を護持し・・・」云々はそのような文脈で使われています。日本国憲法の「解釈論」(法的概念)としては国体概念は不要との説が通説だったと記憶していますが(20年以上前の記憶で現時点では確認してません。)、「訳語」の場合は文脈によって「国体」概念を使わないとニュアンスを損ないます。ご検討ください。--Pirosiki 2010年8月3日 (火) 15:08 (UTC)[返信]